零 紅い蝶のストーリーを考察する

PS2ホラーゲーム「零 紅い蝶」(以下、蝶)の考察です。
ネタバレが含まれますので、未プレイの方はご注意ください。

「蝶」はリメイク版も含めると三部作で最もエンディングが多く、また解釈が難しい作品だと感じます。難しさの原因は、物語が多層構造になっていることでしょうか。ゲーム開始直後から繭が紗重、澪が八重にそれぞれ取り憑かれており、ゲーム中での繭と澪の言動が、自分の意志によるものなのか、取り憑いた者の意志によるものなのか、あるいは双方の意志に基づくものなのか、不明な箇所があります。
特にエンディングのシーンでは、「澪と繭は本当に儀式を望んでいたのか」という問題の答えが、「儀式を行ったのは誰の意志か」によって変わってきてしまいます。考えられる可能性としては、
1.澪と繭、双方儀式を望んでいた
2.繭は望んでいたが、澪は望んでいなかった
3.澪も繭も儀式を望んではいなかった
の3パターンですね。

この問題、及び作品全体に関する考察をされている方がいらっしゃるようでして、以下URLを貼っておくので興味のある方はご覧ください。正直、私も以下のサイトからかなりヒントを得ており、私の記事を読むよりリンク先の記事を読んだほうが良いかもしれません。

0.基礎知識編

(1)双子とは

①一卵性双生児と二卵性双生児

まず、本作は双子の話なので、双子に関する基本情報から見ていきましょう。
双子には大きく分けて「一卵性双生児」と「二卵性双生児」の2つがあります。一卵性双生児というのは、一つの卵に一つの精子が受精した後、その受精卵が2つに分かれて生まれた子のことです。二人とも同じ遺伝情報を持つため、容姿が非常によく似ています。通常私達が「双子」と聞いてイメージするのはこちらの「一卵性双生児」ですね。
これに対し、「二卵性双生児」とは、二つの卵にそれぞれ別の精子が受精した子のことです。イメージとしては、兄弟が一緒に生まれてきたようなもので、この場合、遺伝情報は50%程度同じだそうです。そのため、一卵性双生児ほど容姿がそっくりになることはないと考えられます。
「蝶」に出てくる双子は、基本的に一卵性双生児です(立花樹・睦月は二卵性という説がありますが、それは別の所で述べます)。繭も澪も顔がそっくりですし、紗重と八重は着物も同じなので区別が難しいほどですね。

皆神村においては、双子は「もともと一つだったものが、分かれて生まれてきたもの」と考えられてきました。現在では先に生まれたほうが姉(兄)、後に生まれたほうが妹(弟)とされますが、これは明治の太政官布告によって定められたものらしく、それ以前は後に生まれたほうが姉(兄)とされていたようです(地域によって差はあった)。これは、「先に着床したなら、奥にいるはず」だとか「妹(弟)が姉(兄)を守るために露払いとして先に生まれてくる」といった考え方に基づいて決めていたからだと言われています。

②双子と儀式

Ⅰ紅贄祭とは

皆神村における双子は紅贄祭(あかにえさい)と呼ばれる儀式の中心となっています。この儀式は姉が妹を絞殺し、妹の遺体を虚に投げ込んで黄泉の扉を封じ、妹の首に焼き付いた痣が蝶となり、姉の魂と一つになる(ただし、ひとつになりたいという強い願いがなければ、儀式は失敗する)といった内容です。これだけ見てもよくわからないので、個別に詳しく見ていきましょう。

Ⅱなぜ双子の妹が生贄とされるのか

生贄とか絞殺とか物騒な単語ばかりで読んでいて滅入ってくるかもしれませんが、ご容赦ください。
なぜ双子の妹が、それも絞殺によって生贄とされるのか?
まず、大前提として、黄泉の門を封じるほどの力を生み出すためには、相当な霊的力を生み出さなければならない、そのためには最も大切なものを生贄として捧げなければならない。そのように村人は考えたと思われます。そして、村において双子は貴重な存在であり、かつ元々一つだったものが分かれて生まれてきたものだと考えられていました。つまり、村において最も貴重な存在である双子に、自分の片割れという最も大切な者を手に掛け、一体化させることを通じて莫大な霊的力を生み出し、黄泉の門を封じようとした。
だから、双子が儀式の主体かつ客体となった、と考えられます。

次に、なぜ妹が生贄となるのかですが、これはいくつか理由が考えられます。第一に、当時妹のほうが体が弱く、長生きできなかったため、村の維持(子孫繁栄)の観点からすれば強くて長生きする姉のほうを残したかった。だから、弱いほうである妹が生贄とされたとする説(生存確率向上説)。
第二に、単に年功序列的な考え方、つまり「姉のほうが妹より優れている」といった考え方のもと、妹が生贄にされた説(年功序列説)。

そして、なぜ絞殺なのかですが、これは自分の力(意志)を強く必要とする方法であり、儀式を行う者の意志を確認する目的があったためだと推測します。たとえば、これが銃殺の場合、命を奪うのはあくまで銃であり、弾です。自分の力ではない。急所を狙えば、すぐに終わるでしょう。
これが絞殺だと、自分の力を加え続けなければならないから「やっぱりできない」場合は失敗します。全身全霊でやらないと成功しない。そして、儀式に求められるのは、まさにこうした全身全霊のエネルギーだった、というわけです。

Ⅲ皆神村における死生観-「ひとつになる」とは

以上が、儀式に関する個人的見解ですが、この儀式が成立するためには「儀式によって双子が一つになる」ということを当の双子たちが信じていることが必要です。もし信じられなければ、これは宗教的儀式ではなく、単なる殺人罪として認識されたはずです。あくまで儀式として手に掛けたのだという建前がなければならなかった。
このゲームの賛否が分かれるのは、おそらくこの部分にあると思います。
現代の我々からすれば、双子の一方にもう片方を殺させて、それを生贄にするなどという行為は、法律的にも倫理的にも許されない行為ですし、紗重のように片割れに「殺されたい」と思っている事自体、異常事態です。
しかし、当時の皆神村ではそれを当たり前にしてしまう価値観が蔓延していた。そして、その異常を正常化するために、「儀式を行えばふたりはひとつになれる」ということを双子に言い続けてきた。幼少期からそう言われて育ってきた双子は、基本的にはそれを受け入れることになってしまう、という構図が出来上がるわけです。

それで、ゲーム中耳にタコができるほど聞かされる「ひとつになる」という言葉ですが、この言葉の意味がわかったようでわからない。
肉体を捨てて、精神が一つになるくらいの意味なのかと思いますが、抽象的で難しい。一つになるといっても、たとえば「遊戯王DM」のように、「異なる人格が自分の中に別個独立した存在として入ってくる」のか、あるいは「遊戯王GX」における十代とユベルのように「異なる人格と融合(一体化)して新しく別の人格になる」のか判然としません(後者のほうがよりひとつになっている感はありますが)。
たとえば、儀式後しばらくして澪が悲しみを乗り越えた後、依然として儀式前のような活発さを保ち、自分の中にいる繭の魂を実感していれば、前者になるでしょうし、活発だった性格が影を潜め、急に内向的で臆病になった(繭の性格)としたら、それは繭の人格と融合(一体化)したということができると思います。
結局儀式後の澪がどうなってしまったのか詳しいことはわかりませんが、
「刺青」において未練が残っていることを見ると「蝶」の時点ではひとつになれなかったのかもしれません(「刺青」真エンドでは儀式を受け入れた?)。

1.澪と繭の言動における主体と客体

(1)繭は本当にヤンデレなのか

長過ぎる前置きでしたね。ただ、基本的なことを確認しないと話を安易に進められないと思ったので書きました。ここからは、澪と繭の言動、最終局面でのやり取りなどを見ていきます。
よく繭はヤンデレ(愛情が強すぎて病んでいる状態)と言われます。私も最近までそう思っていたのですが、先のURL先の記事を読むなり、自分で考えるなりして繭=ヤンデレ説に多少疑問が出てきております。そこで、繭は本当にヤンデレキャラなのかを考察していこうと思います。

まず、繭はゲーム開始直後に紗重に憑依されています。そして、ゲーム中ほとんど憑依されたままです。なので、基本線として、「繭の言動=紗重の言動」と私は考えます(もちろん、場面によってはこの等式は成り立ちません)。つまり、繭の言動は基本的には紗重の言動と考え、繭自身の言動はそれと認められるものだけに限定しています。
次に澪ですが、こちらはおそらく最初鳥居のあたりで八重を見つけたあたりから取り憑かれたと考えます。繭は霊感が強いため、紗重からの影響をもろに受けたと思われますが、澪は八重からどの程度影響を受けたのかわかりにくいです。澪が操作キャラであることに加え、八重自身の心理描写が少ないからです。そのため、断定はできませんが、「澪の言動は基本的に澪のもの(ただし、無意識に八重の影響を受ける)」として考えます(エンディングのみ例外)。

で、肝心の繭はヤンデレなのかどうかですが、私は紗重はヤンデレだと考えているので、繭が紗重に同調(シンクロ)したならヤンデレ、そうでなければヤンデレではないと見なしています。
私はゲーム終盤、繭を追いかける澪に対して言った言葉がヒントになると考えます。このとき、繭は紗重に憑依されながらも、「澪、来ちゃだめ。一人で逃げて」と言っています。つまり、紗重と完全には同調していないのです。
要するに、ヤンデレの紗重に取り憑かれていたからそう見えるだけであって、実際の繭はヤンデレではない、というのが私の答えです。
「でも、最後儀式を受け入れて「ありがとう」って言ったから結局は紗重に同調して、儀式を望んだのでは?」とか「儀式が成功した、ということは繭は儀式を望んでいた(望まないと成功しないから)。」と言われそうですね。
それについては次のチャプターで答えましょう。

(2)儀式の主体と客体

はい。最も重要なテーマです。随分冗長なブログだなと思った方、ご安心ください。ここだけ読めば大丈夫です。これを書くために今までの長い語りがあったんです。大事なのはここからです。
結論から言いましょう。「最後儀式を行ったのは八重と紗重であり、澪も繭も本心では儀式を望んでいなかった」というのが私の考えです。
「本心では」というのが重要です。深層心理においては澪も繭も儀式を望んでいた可能性はあります。しかし、積極的な選択肢としてではなく、あくまで消極的な選択肢としてのみ認識していた、というふうに捉えています。

こう考える理由は、先述した儀式直前の繭の「逃げて」発言が信用できるからです。このとき、繭はすでに紗重にほとんど憑依されていますが、これは繭自身の言葉です(紗重が「逃げて」と発言する理由がない)。つまり、繭は儀式を、少なくとも積極的には是認していなかった、といえます。
さらに時間を遡ると、繭は「何があっても澪のこと許すから」と発言しています。これは儀式を受け入れたかのような発言ですが、本質は違うのではないか。つまり、「澪の安全が第一だから、私が捕まっても逃げて(逃げても許す)。もし、儀式をしないと生きて帰れないという最悪の状況になったら、私は儀式を受け入れるから澪は生きて帰って(儀式で殺されることを許す)」というダブルミーニングを込めているのではないか。そう思ったのです。

よく、繭は願いを叶えて幸せになったけど澪はひとり残されてかわいそう。繭は自分勝手だ、とか言われますが、別の捉え方もできるのではないか。
繭は紗重にほぼ完全に憑依されていたので、澪が来てしまったら儀式を行わざるを得なくなることがわかっていた。だから澪に逃げてと言った。でも、澪の性格を考えても自分一人を置いていくとは考えにくい(過去の事故の件を澪が引きづっているのを知っていたから)。きっと澪は来るだろう。そうなったら儀式を成功させないと澪が帰れないから私は儀式を受け入れよう。
繭はこのように考えていたのではないでしょうか。
最後あたかも儀式を望んでいたかに見える繭の発言は、繭を支配していた紗重の発言だったと思いますし、仮にあれが繭自身の言葉だったとしても、今述べた「やむをえず望んだ」に過ぎなかったのではないでしょうか。

今度は澪(八重)の立場から儀式を見ていきましょう。
私はこのエンディングを初めて観たとき、なぜたった今自分の手で繭を殺したのに、直後信じられないといった顔つきになって謝ったのかが疑問でした。それは、ゲームをクリアせずにエンディングだけ観たことも原因なのですが、あの場面、紗重と八重が憑依して、二人が繭と澪の体を借りて儀式を行ったという描写に、直接的にはなっていないんですよね。一見すると、儀式を行っているのは澪と繭に見える。だから違和感があったんだと思います。儀式の瞬間は受け入れたけど、直後我に返って後悔した、という描写ではない。儀式の瞬間、澪の意識は八重に支配され、澪は一時的に意識を失っていた。儀式が終わると自分の手が姉を殺してしまったことを知って慟哭した。
というのが私の結論です。

(3)繭(紗重)の「ありがとう」と澪(八重)の「ごめんなさい」

澪と繭が本心では儀式を望んでいなかったという話をしてきましたが、もう一つ解決しなければならない問題があります。繭の「ありがとう」発言は儀式を受け入れたものではないのか?という疑問に対する解答です。
ところで、この「ありがとう」は澪の「ごめんなさい」とセットで考える必要があると思います。

まず、「ありがとう」ですが、これは繭の発言なのか、それとも紗重の発言なのか、双方の発言なのか、断定できません(断定できる方がいたら教えて下さい)。ですが、繭の発言だと仮定して話を進めましょう。
問題は「何に対して」ありがとうなのか?です。文脈を素直に追っていくなら、「儀式をしてくれて、私を解放してくれてありがとう」となるでしょう。多分これが一番ストレートな解釈だと思います。
ただ、もうひとつ別な解釈もできるのではないか。初代の真冬兄さんのように「今までありがとう」と言った、とも解釈できるはず。前者の場合は自分が儀式を望んでいて、その望みを叶えてくれた澪に対する感謝という意味合いになると思います。しかし、後者の場合、儀式をしてくれたことに対する感謝というよりは今まで自分を守って一緒にいてくれたことへの感謝という意味で言っているように聞こえます。

繭は儀式を本心では望まず、やむを得ず受け入れた、と私は捉えたので、その場合は後者の感謝のほうがより自然になっていると感じました。
※あくまで私の個人的見解を脱しないですが

次に、澪の「ごめんなさい」を検討します。
「何に対しての」ごめんなさいなのか?
これ、実は結構解釈が難しいと思います。
素直に読めば繭を殺してしまったことに対して「ごめんなさい」と言っているわけですが、その前に繭は「ありがとう」と言っているわけです。つまり、繭の望みを叶えて、繭から感謝されているのに、繭に謝っているという構図になっています。この対比がおそらくかなり重要です。
儀式が失敗して謝っているならわかります。でも、儀式は成功した。ということは、澪は儀式をするつもりはなかった(けれども八重に憑依されて行ってしまった)。二人で逃げて一緒に生きようと思っていた。でも繭を殺してしまった。ずっと(生きて)一緒にいようという約束を守れなくてごめんなさい。
という意味ではないでしょうか。
紅い蝶をプレイした誰もが印象に残る澪のあの悲痛な叫び、あれは自分の片割れを失ってしまった喪失感と約束を守れなかったことに対する後悔と自責の念だった。

澪って凄く責任感の強いキャラだと思うんですよ。繭が怪我をしたのは自分のせいなんだから、自分が責任を持って繭を守らなきゃとずっと一人で抱え込んできた。それなのに、その責任を果たせなかった。だから必死で謝ったのだと思います。私がしっかりしていれば、お姉ちゃんは助けられたはずなのに、助けられなくてごめんなさい、と。
そして、この後悔と自責の念が、次の「刺青」における眠りの家につながっていく。私はこのように理解いたしました。

2.終わりに

ものすごく長くなりましたが、以上で紅い蝶に関する考察を終えます。私はまだ眞紅の蝶をプレイしていないので、もしプレイして新たな発見があったらまた新しく記事を書きたいなと思います。
紅い蝶は他にも色々考察できる箇所がたくさんありますね。
今回リンクを貼った記事も素晴らしい考察が数多くあり、今回の記事の執筆に大いに参考となりました。記事を書いてくださった方、ありがとうございました。
そして、ここまで記事を読んでくださった皆さんにもお礼を申し上げます。
考察しがいのある作品なので、興味を持った方はどんどん考察に挑戦して新たな発見・説を追加していってほしいなと思います。

今回の記事は以上です。
皆さん、本当にありがとうございました!

幸運の笛吹き


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