見出し画像

【短編小説】ここではないどこか 2

部屋の中には、大きな本棚があって、そこに400冊以上の本が並んでいる。本は全て薄いけど、中身より立派な表紙がそれぞれついている。若干、薄汚れたものもあるけど、ほとんどは新しく、読まれるのを、お行儀良く待っている。それらの本の中身はすべて読みつくした。というか、記憶している。

僕は本棚の前の床に寝ころんで、本を読んでいた。もう何回目かになるか分からない。記憶しているから、読む必要はないと言えばないのだが、本の手触りとか、紙の匂いとか、最後のページに書き込まれたコメントとか、何度手に取っても、何度読んでも、飽きることはない。

そんな僕の背中に、何かが乗ってくる感覚があった。
普段、本を読んでいる時は、集中しすぎて、何をされても反応できないが、ここにある本は、記憶しているせいか、読んでいる間も、ちゃんと外に向いている感覚があって、何かされれば直ぐに気づくことができる。

仁詩ひとし。残念なお知らせがきました。」

背中の上に、ぴったりと自分の体を重ねて、僕の耳元で、説理せつりが言った。彼女の髪が、自分の頬に触れて、くすぐったいと思った。

「あんまり聞きたくないけど。何?」
「今後、本がなかなか増えなくなるみたいです。」

彼女は、僕の前に、光沢のある紙を一枚差し出した。この家の持ち主からの通知文書だ。僕は読んでいた本を置いて、その紙を受け取る。その場に身を起こすと、説理は僕の隣に同じように座って、ぴったりと身を寄せた。彼女は僕と一緒になるくらい、体を近づけ合うことを好む。彼女の髪を上から下に向かって撫でると、猫が体の毛を撫でられる時のように、くくっとあごわずかに上にあげた。

彼女の髪を撫でる手を止めずに、僕は通知文書に目を通した。今まで、毎日のように増えていた本が、週に1回くらいになるらしい。僕たちは数多くの本を読んでいるが、一番好きなのは、この家にある本だから、本が増えなくなるのは、とても残念だ。
だけど、僕たちが、家の持ち主に向かって、意見をすることはできない。

「とても、残念そうな顔をしています。」
「そう?説理も、残念そうな顔をしてる。」

僕が彼女に向かって言うと、彼女は「私は仁詩に共感しているだけです。」と答えた。

「本が増えないのは残念だけど、僕たちの毎日の行動は、変わらないだろう?」
「本が増えないということは、訪問者も減るのではないですか?」

彼女は、自分の頬に手を当てて、首を傾げる。僕は、彼女の言葉を聞いて、その意見に、そうかもしれない。と思った。

僕たちは、毎日、前日の訪問者リストを元に、その訪問者の家を訪れて、本を読み、コメントを書き、印を残す。その後、説理の気まぐれによって、別の訪問者の家を訪れるが、本が増えたばかりの家の方が、より興味を引きやすい。本が増えないということは、興味を引きにくくなるから、訪問者が訪れにくくなるということになる。

「これが長く続いて、家の持ち主が、じゃあ、家を消そうと思わないなら、まぁ、いいか。」
「そんな、寂しいことを言わないでください。仁詩。」

また、説理が泣き出しそうになっている。僕は慌てて、彼女の体を抱きしめた。

「家がなくなったら、僕も君も一緒に消える。一人残されることはない。」
「そんなことは分かっています。」
「それに、また本が毎日のように増えるようになるかもしれない。」
「先のことは分からないということですね。」

説理が僕に向かって笑いかけた。彼女の気持ちが少し晴れたようで、僕は心の中で安堵あんどの息を吐く。僕は、彼女ができるだけ、悲しむことがないようにと願っている。僕には彼女しかいなくて、彼女には僕しかいない。

「説理は、友達が欲しいと思う?」
「どうでしょうか?他の人と話したこともないので、よく分かりません。」
「本の中だと、皆、友達と遊んだりしてる。」
「・・・私には、仁詩がいるので、問題ありません。」

そう、僕も説理が側にいれば、今のままでいいと思う。

「さぁ、そろそろ、毎日のルーティンを始めましょう。今日は、あのお知らせが張り出されたおかげで、訪問者リストが長いのです。」
「張り出された?」
「この家の玄関の外側に、もっと簡素な通知文書が掲示してありました。私たちが読んだ通知文書みたいに、その理由とかは書いてありませんでしたが。」
「忙しくなりそうだね。」

説理はその場に立ち上がり、クルリと回ってみせる。

「でも、今日もいいお天気です。秋晴れです。」
「じゃあ、ゆっくり時間をかけて、出かけよう。」

僕も彼女の隣に立って、その掌を、力を籠めすぎないように握った。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。