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【短編】感触ではなく温もりを

寝室のベッドの上に、丸太のような形のものが転がっているのを見つけた。
「これ何?」
「抱き枕。」
恋人がそう言って、抱き枕を取り上げる。胴の部分が長く、よくよく見ると、猫の形を模しているらしい。

「見て、この顔。」
そう言って、恋人はその抱き枕の猫の顔をこちらに示す。眠そうな、ふてぶてしい感じの猫の顔が付いている。模様を見る限り三毛猫か。ということは、メスか。三毛猫のオスは、滅多に出現しないというし。

颯真そうまに似てるでしょ?」
「似てねぇし。」
「似てるよ。そっくり。」
「何で、抱き枕なんて買ったんだよ。場所取るし。」
「・・寝る時、いつも颯真がいるわけじゃないから。よく眠れそうと思って。」

そう言って、恋人は手に持った抱き枕をギュッと抱きしめた。その微笑む様子に、俺の心がキュッと締め付けられた。
「責めてる?この生活のこと。」
「責めてない。分かってるよ。」
陽登はるとには責める権利はあると思う。」
「ない。俺には颯真が欲しがっている家族をあげられないから。」

「颯真のことが好きなのに、俺は颯真の一番の願いを叶えることができない。」
「陽登。」
「この生活だって、いつだって終わりにしてくれていい。」
「俺は陽登がいればそれでいいと、いつも言ってるじゃないか。」
「嘘だ。知り合った当初は、あんなに将来の理想を語ってくれていたじゃないか。たくさん子どもを作って、家族で幸せに暮らすんだろう?」

そう言われて、俺は自分の唇を噛む。思えば、自分の口が軽いのが悪い。俺はどれだけ恋人を傷つけてきたのだろう。知り合った当初は、こんな関係になるとは思っていなかったから、馬鹿みたいにぺらぺらと自分の夢とか希望めいたものを話したものだった。陽登はそれを嬉しそうに聞いていたと思ったが、きっと心の中では泣いていたに違いない。

そして、その夢や希望が捨てきれなくて、俺は陽登との関係を続けながら、それらを叶える方法を常に模索している。それが叶ってしまったら、そこに陽登がいられる隙間はない。
「俺は、颯真が幸せになってくれるなら、それでいい。」
「陽登も幸せになるんだよ。」
「・・・俺の幸せは、颯真と一緒にいることだから。叶わない。」

そこで、俺が幸せにすると言えないのを、陽登は分かっている。陽登の腕の中の抱き枕の猫が、その眠そうな眼差しで、俺のことを見つめていた。


俺は大きくため息を吐く。腕の中ではこの間買った抱き枕の猫が、彼に似た表情で自分を見つめている。もちろん何も答えてはくれないし、声をかけてくれるわけでもない。

抱きしめて眠ると、自分が一人だということを忘れられる気がする。そして、時折、自分が一人だということを突き付けられる。腕の中の『ソーマ』にあるのは、その柔らかな感触だけで、彼と同じ温もりなんて持っていやしない。

このところ、彼と一緒にいると、口論になることが多くなった。彼の夢や希望を応援したいと思うのに、いつかは来る別れが分かってしまって辛くなる。彼の夢や希望が叶った時は、俺との別れの時だ。それが迫っているのを日々認識させられる。彼を困らせたくはないのに、俺は自分の気持ちを彼に伝えずにはいられなかった。そうしないと、たぶん俺が壊れてしまうからだ。

たとえ、彼がその気持ちを受けとめることができないのを、分かっていたとしても。

「ソーマ。俺はどうすればいい?」
「俺は颯真と離れたくない。ずっとずっと一緒にいたい。」
「でも、俺は夢や希望を諦めてほしくはないんだ。」
「俺のせいで、辛い思いはしてほしくない。」

彼のいない夜ごとに問いかけても、返事はなくて、もう涙は枯れ果てて出なくなって久しい。これ以上一緒にいたら、多分自分は壊れてしまうんだろう。そうしたら、彼には物凄く迷惑をかける。もう少しと騙して宥めてこの関係を続けてきたけど、そろそろ限界みたいだ。

「会いたい。颯真。」

君に会えば、こんな事を考えずに済むのに。俺が腕に力を込めると、ソーマの体が不自然な形に歪んだ。


夜中に目が覚めてしまった。
俺は一人にしては広いベッドの上に身を起こす。伸ばした手が柔らかい感触のものに当たった。
そのまま手元に引き寄せて、腕の中に抱える。

その柔らかさは恋人のことを思い出させる。恋人はここを出て行く時、この抱き枕を置いていった。顔を見ると俺のことを思い出してしまうからと言って。
眠そうな、ふてぶてしい眼差しと目が合って、俺は思わず苦笑してしまう。やっぱり俺には似ていないと思うんだけどな。

俺は結局、抱いていた夢や希望も、そして大切に思いながら、傷つけずにはいられなかった恋人も、失う羽目になった。俺の手元には何も残らなかった。残ったものと言えば、この三毛猫を模した抱き枕くらい。あれもこれもと、不安になって手の内に囲い込もうとして、それらは全て指の隙間から零れ落ちてしまった。

どうするのが正解だったのだろう。
夢や希望を叶えるために、早めに恋人を解放することだったのか。
夢や希望を諦めて、恋人と共に一緒に過ごす時間を大切にすることだったのか。
今でも後悔してしまうけど、時はもう戻らないから。

腕の中で、恋人がくすくすと笑う。
「やめてよ。颯真。くすぐったいから。」
そう言って、俺に向かって嬉しそうに笑ってくれていたのに。

腕の中で、恋人が嗚咽を上げる。
「もう、無理。寂しくて辛い。」
そう言って、俺の胸を叩かせたままにしたのは俺だ。

一人のベッドはとても冷たい。
陽登は何度もこのベッドで、一人で寝ていたのだから。俺はこの冷たさを甘んじて受けるべきなんだ。

そう思うのに、流す涙は止まらなくて。
ぼんやりと、明日、会社に行くのが辛そうだなと、冷静に考える自分に唾を吐きかけたくなった。
腕の中の抱き枕の柔らかさだけが、ほんのり俺の心を慰めた。

私事ですが、抱き枕を買いました。寝返りをうつ時に、お腹の傷が痛くないようにと思って。寝る時に何かを抱きしめるのは、ほんの少し寂しさを紛らわせます。温もりはないですけどね。

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