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【短編】花見をしよう。

人混みの中を進んでいる間に、会社の他の同僚と離れてしまった。
軽く息を吐きつつも、心が少し高揚しているのを感じる。
そんな俺の気持ちに気づかないまま、彼女は周りの桜にスマホのカメラを向けている。

職場の近くに、桜で有名な名所がある。
そこは毎年、多くの人でにぎわう。
夜はライトアップされて、それはそれで綺麗なのだが、ここ数年は、打ち合わせついでに、花見をすることが多かった。
それは純粋な花見だ。順路に沿って、数多くの人がぞろぞろと列をなして歩いていく。その両脇には、数多くの桜が咲き誇っているのだ。

桜の奥にはお堀もあって、お堀の中でボートに乗ることも可能ではあるのだが、ボート乗り場には、数多くの人がやはり列をなしているし、流石に数多くのカップルの中、仕事を抜け出した同僚同士で、ボートに乗るわけにもいかないだろう。

「どうしました?津田さん。」
「いや、皆とはぐれたなと思って。」
桜とその中の彼女を何となく見ていると、彼女が声をかけてきた。
「そうですね。でも、最終的には職場に戻ればいいんですから、大丈夫ですよ。」
辺りを見回しながら、彼女はふんわりと笑う。
その笑みは、今の桜の中の風景に溶け込んでいて、その情景に一瞬見惚れた。

彼女は、同じ職場の同僚である朝倉だ。自分は開発だが、彼女は開発補佐と顧客サポートを担当している。職場と言っても、現在4名の小さな会社だ。だから、多少の融通が利く。何より、社長の田山が、イベント好きだ。仕事の合間をぬって、理由をつけては、俺たちを外に誘い出す。
たまには息抜きしないと、とよく言っているが、息抜きの方が多いようにも思う。でも、仕事は確かにできる人だ。

おかげで会社の雰囲気はよく、売り上げもそれなりにたっているらしい。らしい。と曖昧なのは、俺には経営とかが、まったくもって分からないからだ。仕事をして、それに見合った給料が貰えれば、それでよかった。
それに、朝倉が入社してからは、俺には別の楽しみができた。平日は、毎日、職場で彼女と顔を合わせることができるからだ。

「いいなぁ。ボート乗りたいな。」
「朝倉は、乗ったことはあるの?」
ボート乗り場の方を見下ろしながら、つぶやく彼女に尋ねると、彼女は首を大きく横に振った。
「ないですね。特にこの時期は乗るのに、数時間待つなんてことも、ざらにあるみたいですよ。」
「数時間はすごいな。」

俺の感想に彼女は頷くと、軽く人差し指を上げた。
「カップルで、ここのボートに乗ると、その恋は続くって言われているんですよ。」
「へぇ。」
俺は、そう相槌を返すことしかできなかった。
こう話している間にも、人の流れに沿って、俺たちは桜並木の間を歩いている。ボート乗り場の横を通り過ぎると、桜並木も間もなく、途切れてしまう。

「そろそろ、戻ろうか。」
「あの、津田さん。」
彼女に呼び止められて、俺は足を止めた。
桜並木が途切れたので、人はそこから先、あちらこちらに散っていく。
俺たちが立ち止まっていても、邪魔そうな視線を向けられることもない。
「今度、ボート乗りに来ませんか?」
彼女の顔を思わず見ると、何となく頬が赤い。髪には桜の花びらが散っていた。

彼女の背後には、俺たちが歩いてきた桜並木が見える。桜色の雲のようにも見えた。その前で、顔を赤くした彼女が、俺の答えを不安そうに待っている。
俺は彼女の前に立つと、髪についた桜の花びらを払った。視線を上げた彼女の方に身をかがめて、その耳元で囁く。

「その前に、夜、桜を見に来たいな。二人で。」
彼女は、俺の顔の横で、首を小さく縦に振った。

数日後、久しぶりの通勤なのですが、桜は見に行けるかな?無理かもなぁ。

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