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【短編小説】これ以上メッセージをお預かりできません。

仕事から帰って、お風呂場の扉を開けると、明らかにダルそうな表情で、リュウがこちらを振り返った。お風呂場の窓は開いているものの、風はあまり吹いておらず、窓の外は夏の強い日差しが降り注いで、彩度のない白飛びした畑が見えた。

「おかえり、白羽しらは。」
「ただいまー、水、ぬるそうだね。」

リュウが浸かっている水に手を当てると、お湯まではいかないものの、思った以上に温い温度が感じられる。リュウは白羽の手を取ると、自分の頬にそれを当てる。ぬるっとした感触。リュウの肌の方が冷たく感じられる。

「保冷剤とか持ってくるね。」
「気休めにはなるよな。」

リュウは、白羽の手を放し、鱗が生え、元、足だった尾で水面を打った。


秋本白羽しらはが、リュウに初めて会ったのは、4ヶ月前。
まだ、春になったばかりの漸く暖かくなってきた頃のこと。

白羽は、繁忙期明けに有休を利用して、北陸地方の海に行った。

泳ぐことが目的ではない。できることなら、高い崖の上から飛び降りてしまいたかった。でも、観光地ということもあり、人も多く、白羽が行った場所も例外ではなかった。どこへ行っても、人目があり、実際に事を起こせば、誰かには目撃されてしまうだろう。

白羽は、自分が漫然まんぜんと、ただ息をして暮らしていることに気づいていた。このままいっても、この日常に変わりはないように思われた。

自分の代わりはいくらでもいる。それは、仕事しかり、プライベートしかり。誰かに必要にもされていないのに、自分はなぜ生きているのだろう。事あるごとに、そう考えるようになっていた。

命を絶つのは簡単ではあるのだが、他の人に迷惑をかけない方法がいい。電車の人身事故や飛び降りなんて、とんでもない。自分はそれで死んでしまうからいいものを、後々たくさんの人が困るだろう。それは、私が本意としているところではない。誰も見ていないところで、静かに死んでいきたい。でも、行動に起こすきっかけもなくて、ここまできてしまった。

日が暮れると、崖近くの観光名所は、人払いされる。夜遅く、転落事故など起こされても困るのだろう。観光客の安全を考えて、翌日の営業開始時間まで閉所される。白羽が来ていた場所も、なぜか『蛍の光』が流れ、皆が入口に向かって、踵を返す。ここで、不自然に残ろうとしていたら、目に留まる。白羽も人の流れとともに、崖に背を向けようとした時だった。

崖の端の端に人影を見たのは。

白羽がその人影の方に足を進めると、相手はこちらに視線を向けた。

「もう、閉まりますよ?」
「・・そんな時間ですか、ありがとうございます。」

そう答えて、薄く笑う男性は、明らかに軽装で、観光客には見えなかった。地元の人が、散歩の途中でふらっと訪れたかのような、そんな様子があった。

「一人旅ですか?」
「はい。仕事の忙しい時期も終わったので。」
「この辺りに来るのは初めて?」
「そうですけど?」

質問攻めにされ、白羽の表情が曇る。それを見た男性は、体の前で手を振った。

「地元の安くておいしい所、知ってますよ。教えましょうか?」
「・・そこは観光客でも入りやすい所ですか?」
「どちらかというと、観光客には知られてない穴場です。」
「それは、教えてもらっても、行きにくいです。」

白羽の言葉に、相手は少し考えこむように口を噤んだ後、「一緒に行きましょうか?」と提案する。一人でいたら、気分が落ちることが分かりきっていた白羽は、相手の提案に乗った。彼がリュウだった。

結局、一緒に夕飯を食べ、飲みすぎた白羽は、気分が悪くなって、リュウの家に転がり込んだ。それから、旅行中、滞在する予定の3日間は、そのまま2人で過ごした。酔っぱらった勢いで、自殺願望をペラペラと話した白羽のことを心配したらしい。一人にさせておくのは危険と判断されたのだろう。

白羽が帰る段階になって、リュウは「白羽が見ている世界を見てみたい」と言い出した。正直言って白羽から見ても、リュウの存在は異質だった。生活はしているが、仕事をしている様子がない。毎日のように、最初に出会った観光名所で、海を眺めている。そして、知り合って間もない人に、ついてこようとするその様子も。

でも、白羽はリュウの希望を叶えてみようと思った。彼は白羽の言動を一度も否定しなかった。心配はしたものの、「死んだらいけない」とは言わなかった。一緒に過ごした時間は、白羽にとって、割と心地いいものだった。これなら、誰かと一緒にいるのも悪くはないと思ったのだ。


白羽しらはが、リュウは人間ではないと知ったのは、一緒に旅行から戻ってきてからだ。

白羽の自宅についたリュウは、かなり疲弊ひへいしていて、すぐに水風呂に浸からせてほしいと言い出した。水風呂に浸かると、リュウは元気を取り戻したが、水に浸かった両足がみるみるうちにくっついて、尾になった。魚というよりは、タツノオトシゴのような尾だ。先に行くほど細く、丸まっている。

白羽が言葉なくその様子を見ていると、リュウはなぜか照れたように笑ってみせた。

人間ではないと分かると、リュウの世間離れした様子にしっくりときた。海を見ていたのは、彼の生まれ故郷なのかもしれない。なぜ、こんなにも海から離れたところに来たのだろう。白羽の住んでいる県には、海はないというのに。

リュウは水風呂に浸かっていることが多かった。でも、水から体を抜くと、尾はちゃんと人の両足に戻る。外に出ることもできるが、夏の日差しは苦手らしく、夜に活動することが多かった。食べ物は、生魚かサイダー。ひとまず、サイダーを一日一本飲めば、生命は維持できると、リュウは得意げに語った。

白羽は生活の為、仕事に行かなくてはならない。家のことをリュウに任せることも多かった。リュウは、人の生活には、ある程度慣れていて、一度何かを教えると、器用に何事もこなしてみせた。考えてみると、白羽と知り合う前は一人で暮らしていたのだから、当然とも言えた。


2人の日常は、思っていた以上に平穏へいおんに過ぎていったが、うだるような夏の暑さが過ぎ、秋めいてくると、リュウの元気のない日が続くようになった。
水風呂に入る回数が減り、彼が大好きなサイダーを飲む量も減っていく。

心配になった白羽が、詰め寄って理由を聞くと、彼は泣きそうな顔になって、ぽつりと呟いた。

「もう、戻らないと。」
「戻るって・・どこへ?」

白羽についてこちらに来る時に、リュウが住んでいたアパートは解約してきた。彼の戻るところなど、どこにもないはず。

「寒いのはダメなんだ。」
「水風呂を止めて、普通のお風呂にする?」
「そういうんじゃなくて、もうこの生活は十分なんだ。僕は、帰るよ。」
「・・私を置いてくの?」

自分で呟いた言葉に、驚いたように口を押える白羽の頬に、リュウは手を当てる。

「一緒に来る?今度は白羽が。」
「でも。」
「白羽は僕の願いを叶えてくれた。君が望むなら、僕はそれを叶えたい。」
「私が望むこと・・。」

リュウに初めて会った時に、願っていたことは何だった?

「・・私を必要としてくれる?」
「必要としてるよ。いつだって。」
「本当に私の願いを叶えてくれる?」
「もちろん。僕にできることなら。」

白羽が身を寄せると、リュウの体からは海のにおいがした。


冷たい海に面した崖。その岩陰に、スマートフォンが転がっていた。
観光客が落としたのだろうか。
画面は落とした時の衝撃のせいか、バキバキに割れていたが、電源は入っていて、まだ、充電が残っているのか、通知のバイブ音を鳴らす。

『秋本さん、心配しています。連絡をください』『今日もお休みですか、連絡なく休まれるのは困ります』『あなた、どこで何してるの?連絡して』『ねぇ、本当に大丈夫?家に行くよ』『ちょっと、どこにいるの』『申し訳ありませんが、自主退職扱いの手続きを取ります。ご不明点あれば、ご連絡ください』『本当に、あんた、どこにいるのよ』『お願いだから、連絡して』『一言、大丈夫って言ってくれればいいから』『なんで、こうなる前に話してくれなかったの?』『・・連絡くれた通り、手配はしたよ。これでいい?』『言ってくれれば、何でも聞いたのに』『私たちって、友達でしょう?』『白羽って、前から何考えてるか分からなかったよね』『私のこと、バカにしてたんでしょう?』『なんか、行方不明って聞いて、連絡してみた』『久しぶりに会いたいな。連絡ください』『まさか、死んじゃったりしてないよね?』『今まで言えなかったけど、好きでした。面と向かって言いたかった』『・・私、とても幸せだよ。ありがとう』

これ以上、メッセージをお預かりできません。

台風が接近しているので、急遽仕事がお休みとなりました。
通常土曜日に投稿していますが、一日早めます。

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