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【短編小説】遠い想いを繋ぐ:病みの彼への彼女の嗚咽 後編(バットエンド)

その建物の前に立った時、直ぐに分かった。
これは、私と彼が住んでいるマンションだと。
もちろん、現実ではなく夢の中で。

おかげで初めて訪れた場所にもかかわらず、私は何の苦もなく、玄関の前に立っていた。私は渡されていた合鍵で、扉を開ける。
一人で暮らすには、広い間取りだった。中は薄暗い。玄関近くの電気のスイッチを試しに入れてみたが、照明はつかなかった。ブレーカーは落とされているのだろう。

通路を進んで奥のリビングに向かう。
カーテンが閉め切られているために、外の光が入ってきていないことが分かった。リビングの中央に置かれたテーブルの上に、封筒が置いてあるのに目を止める。私はそれを手に取った。封筒の表には『三間みま 亜依あい 様』と書かれていた。『三間 亜依』は私の名前だ。

私は封筒を手にしたまま、窓際まで足を進め、カーテンを開け放った。窓からは青い空が見えた。窓も開けて、外の空気を取り入れる。誰もいないリビングを振り返って、眺めた。

彼が引っ越し前に使っていたと思われる家電や家具が置いてある。リビングの広さに比べると、単身者用と思われる小さめのサイズで、違和感を感じる。食器とか本とか小物類は見えないが、もしかしたら段ボールに入ったまま、他の部屋に置いたままになっているのかもしれなかった。

誰もいない部屋だから、もっと空気がこもったり、ほこりっぽくなっているのかと思ったが、ここまではそんなことは感じなかった。もしかしたら、誰かに頼んで空気の入れ替えはお願いしているのかもしれない。少なくとも、彼自身はこの部屋には帰ってきていないのだろう。ブレーカーも落とされていたし、この部屋には全く生活感が感じられない。

考えてみると、私は彼の友人のことは何も知らないなと思った。彼の身内のことも。夢の中にも私達以外の人物が現れることはなかった。

彼は何を思って、この部屋を借りたんだろう。
私は彼の何を知っていたんだろう。

私は手に持った封筒に目を落とす。

たぶん、この中に私の知りたかったことが書かれている。

私は窓際に座り込み、その封筒の封を切った。


亜依へ

君がこの手紙を読んでいるということは、僕は君を迎えに行けてないということだね。きっと、君を迎えに行くと言ったのに、長い間待たせてしまってごめん。

このマンションは、僕の病気が治ったら、そのまま住もうと思って借りたものです。君は気に入ってくれたかな。契約期間が2年だったから、2年分の家賃は前払いしてある。いつ戻ってこられるか分からなかったから。その間は、近くに住んでいる友人に、定期的に空気を入れ替えてくれるよう頼んである。だから、君も息苦しさは感じなかったと思う。

本当は、このマンションで君と一緒に暮らしたいと思っていた。
僕が転院を決めたのは、病気を治して、ずっと君と一緒に生きていたいと思ったから。治すのにどれだけかかるかは分からなかったし、君がそれだけの間待ってくれるのかも分からなかった。
分からないことだらけだけど、自分の夢を叶えるためには、何か行動しないと駄目なんだろう。

亜依に自分の気持ちを全て話していたら、君は自分のことなどそっちのけで、僕のことを応援してくれただろう。だから、僕は君に、はっきりしたことを伝えなかった。それが、逆に君を苦しめることになっていたとすれば、本当にごめん。僕は、亜依には亜依のしたいことをしてほしかったし、自分のこともはっきりしないのに、君と一緒に生きていきたいなんて言えるほどの勇気も自信もなかった。

君に渡したペンダントだって、本当は2人の夢を繋げるためのものじゃない。それは、僕の思い描いた夢を君に見せるもの。僕の夢は、君と結婚して、このマンションで一緒に幸せに暮らすこと。その為には、まず僕が病気を直さなきゃ。病気を治しても、君が僕と結婚してくれるかどうか分からないのに、気が早いよね。僕は君に告白すらしていないのに。

僕が君に告白するのは、僕が病気を治して、君の前に立つ時だと思っている。だから、それまで待っていてほしいと言いたいけど、亜依はそれが待てずに来てしまったんだよね。

好きだよ。亜依。君のことを愛してる。
本当はすぐにでも君に会いたい。夢で願うだけでは、全然足りない。

いつか、きっと、君に会いに行くから。

どうか、待っていてほしい。

江天えそら 翔太しょうた


窓の外の空に、赤いものが混じるようになった頃。
玄関の方でガチャガチャと鍵を回すような音が響いた。私はその音に意識を戻す。手紙を読んでからの意識がない。その余韻よいんに呆けていただけなのか。実際に意識を失っていたのか。

慌てて、その場に立ち上がると、玄関の方から「誰かいますか?」と男性の声がする。一瞬、翔太かと思ったが、直ぐに彼ならそのように声を出さないだろうと思って落胆する。私が足を動かす前に、相手の方がリビングに姿を現した。

相手は私を見て、動きを止めた。
翔太と同じくらいの背格好の男性だった。彼は私をまじまじと見つめると、なぜか軽く息を吐いた。

「三間・・亜依さんですか?」
「なぜ、私の名前を?」
「翔太が合鍵渡した相手は、貴方しか聞かされていないんで。」
「翔太は?翔太はまだ病院ですか?」

私が問いかけると、男性は口をつぐむ。私は息を詰めて、相手の答えを待った。

「亡くなりました。一ヶ月ほど前に。」


「嘘つき。迎えに来るって言ったくせに。」

私がベッドの上で、彼のことをそうなじると、彼は私の髪を撫でたまま困ったように笑う。

「手紙を書いた時には、本当にそう思っていたんだ。」
「だったら、何で死んじゃう前に、私のことを呼ばないの?そしたら、死ぬ前に会えたでしょう?」
「それは無理だよ。面会謝絶なんだから。」
「だからって、私を置いていった責任は取ってよね?」

彼の手がピタリと止まる。
「どうすればいい?」
「私と一緒に生きていってほしい。夢の中で。」
「僕はもう死んでるんだけど。」
「でも、そうとしか表現できない。」
「僕の夢は叶うけど、亜依はそれでいいの?」

彼の問いに、私は微笑んで答えない。

私は彼が借りたマンションに住み始めた。仕事もせず、一日中家にいる。薬の力を借りて、できるだけ夢の中にい続けることを望んだ。
食事もろくに取ってないし、きっとその内、私の命も尽きるだろう。私は生きることを諦めた。彼のいない現実で生きていても仕方がない。
それを彼に言ったら、諭されるか悲しまれるか、されるだろうから、内緒にしている。

服の上から、ペンダントの結晶がついていると思われるところに手を当てる。これだって、彼が言う通り、彼が望む夢を見させられるものなのか。本当は彼が見ている長い長い夢に、私が入り込んでいるのではないだろうか。彼がひとりで寂しい思いをしていないのなら、もうそれでもいいのかもしれなかった。

時々、夢と現実が混ざって分からなくなる。ペンダントのせいかと思っていたけど、元々ぼやけていた境界が、更に混じって溶けあっていく。今、目の前にいる彼は夢のはずなのに、時々、そのぬくもりや感覚すら感じられるような気がする。

「私はいつまでも貴方を愛してる。翔太。」

そう言ったら、彼は本当に幸せそうに笑った。

◆後編(ハッピーエンド)
お時間あれば、読み比べてみてください。

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