見出し画像

【短編】すごく幸せ/有森・古内シリーズその10

下駄箱に上履きを入れ、運動靴に履き替えて、昇降口に立つと、外はしっとりと雨で濡れていた。
鞄の中から、折り畳み傘を取り出す。
僕の隣に立った彼女が、そんな僕の様子を見て、大きく息を吐いた。
「あれ、古内。傘は?」
「・・忘れちゃった。」
彼女が照れたように笑う。

「今日の天気予報。夕方から雨って。」
「それは朝テレビで見たんだけど、学校に置き傘していると思って、持ってこなかった。」
そしたら、学校に置き傘がなくて。と彼女は言葉を続けた。
「送ってくよ。」
「でも・・有森君の家とは逆方向だよ。私の家。」
確かに古内の家は、学校を出て、途中から自宅とは逆方向にある。でも2軒を繋ぐ直線距離はそれほどでもない。

「大したことない。」
僕は傘をさすと、彼女を手招きした。彼女は申し訳なさそうに、僕の側に歩み寄った。
「もっと近づかないと濡れるけど。腕掴んでいいよ。」
古内は恐る恐る僕の腕を掴む。鞄を自分の前に来るように持ち直した。
「じゃあ、行くよ。」
僕たちは同時に雨の中、足を踏み出した。

2人で入ったのが、折り畳み傘だったということもあり、古内の家に着くまでには、僕の右肩は大分濡れてしまっていた。
玄関の前のポーチ部分で、一旦傘を閉じる。古内は、僕の右側部分を見つめた後、僕に向かって声をかけた。

「ねぇ。有森君。よかったら家寄っていって?」
「それはちょっと。」
古内の家に来たことは、今までに一度もない。しかも今は一人だ。できれば、心の準備が欲しい。
「結構濡れてるでしょ?そのまま、帰ったら風邪引いちゃいそうだから。それに・・久しぶりに話しよ?」

話だけで済むだろうかとちょっと思ったけど、確かにゆっくり彼女と話す機会は逃したくない。学校の行き帰りに話はしているものの、時間が足りないとはいつも思っていたから。
「わかった。今日は別に予定もないし。」
「よかったぁ。じゃあ入って。」
「お邪魔します。」
家に上がったら、そのまま古内の部屋に通された。リビングなどは2階にあるそうで、古内の家族の姿はまだ見ていない。

「座って待っててくれる?お茶入れてくる。」
「わかった。」
古内が鞄だけ置いて、部屋を出て行く。一人でいると余計に落ち着かなくなって、部屋の中を見回してしまう。思っていた通り、大きな本棚が設置されていて、本が隙間なく収まっていた。学校でも彼女は時間が空くと、一人で、自席で本を読んでいることがある。

外は雨が降っているせいか、音もなく静かだ。そして、部屋の中は、彼女の匂いがする。それが余計に僕を落ち着かなくさせる。

部屋に戻ってきた古内は、お茶だけでなく、タオルやハンガーなどいろいろなものを持ち運んできた。
「有森君。制服の上脱いでくれる?」
「そこまでしなくても・・いい。どうせまた帰る時に濡れるし。」
「ダメ。乾かしておいた方がいいから。」
僕が制服の上を脱いで渡すと、彼女は、肩付近を乾いたタオルで軽く叩いた後、ハンガーにかけて、ラックに吊るした。

勧められた暖かい紅茶を飲んでいたら、思った以上に掌が冷えていたことに気づく。紅茶の温かさを無意識に欲し、ティーカップを掌で包み込んだ。
古内は僕の隣に座り込むと、制服を拭いたものとは別のタオルを差し出した。
「髪の毛も拭いた方がいいかも。」
「・・ありがとう。」
僕が髪を拭いているのを見ながら、彼女も紅茶を口にする。

「こちらこそありがとうだよ。おかげで濡れずに済んだし。」
「急に来て、迷惑だったんじゃないの?」
僕の言葉に彼女はフルフルと頭を横に振った。顔の横で彼女のサラサラとした髪が揺れる。
「お母さんには話しているから、有森君のこと。」
「え?」
「後で、何かお菓子持ってくると思う。有森君の顔見たがってたから。」

「古内は、僕のこと何て話してあるの?」
「彼氏・・じゃないの?」
なぜ語尾が上がるのかは分からないけど、自分のことをちゃんと家族に話しているとは思っていなかった。どんな顔して、古内の家族に会えばいいか分からない。
「間違ってはいないけど、くしゅっ。」
くしゃみをした僕を見て、古内が慌てだす。
「寒い?やっぱり雨に濡れたの、良くなかったかな。」

彼女は部屋にあったベッドの上にあったタオルケットを、俺の頭の上からバサッとかけた。
「・・。」
「少しは温かいでしょ?」
タオルケット越しに、古内の声が聞こえてくる。タオルケットに包まれたことで、彼女の匂いが強くなって、むせかえる。頭がくらくらする。
「有森君?」
僕から返答がないことに心配になったのか、彼女の手がタオルケットの端にかかった。

今のこの姿を彼女に見られるのは、まずいような気がする。
彼女の手を抑えようとしたが、その前に容赦なくタオルケットがめくられ、自分の顔のすぐ前に、彼女の澄んだ瞳があった。
「有森君。顔真っ赤だよ。今度は熱が出たとか?」
「ち、違う。」
慌てて否定したけれど、彼女は僕の額に自分の手をひたっと当てた。
「う~ん。分からないなぁ。私の手、温かいから。」

彼女自身の部屋にいるからなのか、普段より彼女との距離が近い。喜ぶべきなんだろうけど、全然気持ちに余裕が持てなくて、辛い。
彼女はそんな僕のことを、ただ体調が悪いと思っているらしい。
僕をおかしくさせているのは、彼女自身だという自覚はきっとないに違いない。どうすれば自分が落ち着けるのかも、だんだん分からなくなってきた。
そして、そんな気持ちは膨れ上がって、自分の体温を上げていく。

「古内・・。」
「何?有森君。」
「ちょっと無理かも。」
「具合悪くなっちゃった?どうしよう。お母さんに。。」
「ベッド貸してくれない?ちょっと横になれば、治るかも。」
「それは構わないけど、本当に大丈夫?」
「古内は、側にいて。」

彼女の許可を得て、ベッドに横になると、急激に眠気が襲ってくる。
感情の上がり下がりが激しかったせいか、極度の緊張が緩んだためか。
彼女はベッドの横に座って、潤んだ目で僕のことを見つめている。
考えてみると、前回彼女を自宅に呼んだ時、相当緊張していたなと思い返した。

「古内もあの時こんなに緊張してたんだ。」
「あの時って?」
「僕の家に来た時。」
彼女は、ああと納得したような顔をして、コクリと頷いた。

「今、有森君は緊張しすぎて、気分が悪くなったの?」
「たぶん、そう。」
それだけではないとは思うけど、そういうことにしておく。
身体を動かす度に、彼女の匂いが自分を包み込む気がする。
古内は、僕の様子を見ながら、考え込んでいたが、恐る恐るこちらに向かって手を伸ばした。そして、僕の頭に掌を当てると、撫で始める。

「古内・・。」
「少し寝てもいいよ。そしたら、気分も良くなるかも。」
頭を撫でられたのなんて、いつぶりだろう。そして、確かに頭を撫でられると徐々に瞼が重くなってきた。

「でも、このまま寝たら迷惑かける。」
「1時間くらいなら大丈夫だよ。ちゃんと起こしてあげる。」
僕の目の前で彼女が微笑んだ。
やばい。すごく幸せだ。そう思いながら、僕は目を閉じた。

目を開けると、ベッドの縁に腕を重ねて、その上に頭を伏せている彼女の姿があった。寝ている自分の上にも、その隣で眠っている彼女にも、タオルケットが掛けてある。これは古内が掛けてくれたのか、それとも2人が寝ている間に古内の母親が来て掛けていったのか。
寝たおかげで、気分の悪さもなくなっていた。ちょっと自分が情けなく感じる。

「古内。」
「んっ。有森君おはよう。」
肩に手を当てて軽く揺らすと、彼女は目をこすりながら、頭を上げた。
「起こしてくれるんじゃなかったっけ?」
「ちゃんと目覚まし掛けたもの。1時間たつ前に起きれたね。」
彼女は、枕元にあった目覚ましを手に取ると、アラームをオフにした。

「ごめん。心配かけて。」
「全然。体調はよくなった?」
僕が頷くと、彼女は顔をほわっと和らげて笑った。

「でも、そろそろ帰らないと。話す時間・・無くなっちゃったね。」
僕がごめんと頭を下げると、彼女は首を横に振る。
「ううん。また来てくれればいいし。」
「古内は・・学校でも一緒にいる方がいい?」
僕の問いかけに、彼女は首を傾げる。
「有森君が、学校では今まで通りでいようって言ったんだよ。」
「そう、なんだけど。」

確かに自分が彼女にそう言った。学校でも一緒にいたら、自分が挙動不審になるような気がしたし、他の人に何か言われるのも嫌だった。それに、自分が早急に彼女との関係を深めようとしたら、きっと彼女を困らせる。
「私は、今のままでも構わないよ。行き帰り一緒できること多いし。」
「それは古内の本心?」
「・・ちょっと寂しいかな。」
僕はベッドから降りると、諦めたような顔をした彼女をぎゅっと抱きしめた。

「ちょ、有森君?」
「ちゃんと古内が思ったことを言ってほしい。バレンタインデーの時のようなことはもう嫌なんだ。」
僕が彼女の背中に回した腕に力を籠めると、彼女は自分の額を僕の肩に当てた。
「もう少し会う時間を増やしてほしい。放課後とか休みの日とか。私たちが受験ってことは分かっているけど。」

「他には?」
「2人でいる時は、私のことを名前で呼んでほしい。」
「・・莉乃りのは自分の気持ちを一人で抱え込んじゃダメだよ。」
「わかった。理仁りひと・・くん。」
呼び捨ては彼女にはハードルがまだ高いらしい。それでも名前で呼ばれるのは素直に嬉しかった。なるほど、名前呼びは特別感が出るのか。

彼女の顔を覗き込もうとしたら、莉乃は顔を真っ赤にして、両手で顔を覆ってしまった。

連載小説と、短編小説の続き物と、短編小説単体を、並行して書いていると、それぞれの気持ちの度合いがよく分からなくなります。特に、有森・古内ペアは中学生なので、・・。
間もなく梅雨ですね。雨の日が増えそう。で本日は大雨です。有森君のように、雨に濡れて体調崩さないよう気をつけてください。

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。