社会人20年以上の自分が、通信制大学で学び始めた話
私は、2024年4月から、通信制大学で学び始めた。仕事をしながら、大学で学んでいる「社会人通信大学生」だ。
通学制の大学も、社会人になる前に経験済みだ。前の大学を卒業してから、既に20年は経っている。大学では、仕事に関係している内容を学んでいるわけではない。今は、「スキルアップ」を考え、大学で再度学びなおしている人も多いことだろう。だが、私が通っているのは、芸術大学で、創作に関することを学んでいる。
noteでも主に小説を書き始めて丸3年がたっている。「創作」は別に行わなくても、それを仕事にしている人は例外として、生きていけるものだ。実際、私もnoteを始める前までは、創作活動を行っていなかった。なら、なぜ今「創作」について、通信制大学にまで行って学び始めたのか。それは、「創作」って、結局何なのかを、より深く知りたくなったからだ。
大学で学んでいるのは、小説とは別の手法による創作だが、同じ創作ではあるので、大学で学んだことは、noteでの創作活動にも活きてくる。大学では、ただ創作するだけでなく、自分がなぜその創作をしたのか、どのような点を工夫し、どのような点がうまくいかなかったかを、言葉で説明しなくてはならない。通信制なので、対面で話ができず、書き言葉でのコミュニケーションが多くなる。自分の考えを書いて相手に伝えること、これは小説にも活かせることだ。
アウトプットするには、まずインプット。書籍、インターネット、映画、音楽、また日々の生活の中での些細な出来事から、情報、観察した知識、体験した事象を自分の中に取り込む。そして、自分の中でそれらインプットしたものを、こねくり回す。で、手を動かして表に出す。これがアウトプット。
出来上がった創作物は、必ず公開する。自分の中に留めただけではダメで、人の目に何らかの形で晒す。今はネットが普及して、簡単に創作物が個人でも公開できるようになった。最初は公開したところで、何のリアクションもないだろうが、何らかの気づきを得たら、また別の創作に取り掛かる。そのサイクルを繰り返す。
大学だと、同じ創作を行っている人たちがいて、かつ自分の創作を添削してくれる講師の方々がいる。創作活動は自分の内面と向き合わないといけないので、孤独感を得やすいが、大学では、同じような思いを抱き、創作をしている仲間がいる。それだけでも、少し力を得たように感じる。また、創作の添削を受けるという経験も、個人で活動している限り、あまりないだろう。
創作活動で自己表現を行っていると、自分が何を感じたのか、どう思ったのかを考える時間が増える。その思いを表現の形で目に見えるものにして、他者に伝えることができるようになる。それは、日々の生活や仕事にも役立つことだし、相乗効果を得ることもできるだろう。そう考えると、人はみな、他者と繋がるために創作活動を日々行っていると、言えるのかもしれない。
通信制大学に通うと、唐突に決めた自分に、今は拍手を送りたい。