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【短編】心細い気持ち

会社に入った新人が、突然体調を崩した。

聞いたところ、今日起きたときから体調は優れなかったらしい。
それなのに無理をおして、出社してきたそうだ。
体調が悪いときは、素直に休んでほしかった。そんな状態で来てもらっても、仕事が行えるわけがない。

問題は、一人で帰宅できる状態になかったということだ。女子更衣室の空いているスペースに寝ているそうだが、熱が高いのか、身体を動かすのもつらいらしい。
本当に、なぜそんな状態で会社に来たのだろう?

結局、その後予定のなかった私が、彼女を自宅まで車で送っていくことになった。
他の女性社員に断って、女子更衣室に入らせてもらった。
「吉川。送っていくから、今日は家に帰れ。」
彼女は、私の言葉に閉じていた目をゆっくり開いた。

「主任。すみません。ご迷惑おかけして。」
「俺もお前を送った後に、直帰ちょっきするから。別にいい。」
上司の許可は、既に得てある。
仕事も普段から溜め込んではいないので、許可はあっさりと出た。

「起き上がれるか?車に乗ってほしいんだが。」
「多分大丈夫だと思います。」
そう言って、彼女はその場に立ち上がったが、すぐにふらついた。慌てて、ふらついた身体を支える。服の上からでも、彼女の身体の熱を感じる。

私は、彼女に背中を向けた。
「なんですか?主任。」
「その状態じゃ、歩けないだろう?背中におぶさってくれ。」
躊躇ためらったような間の後、彼女は私の背中に身体を預けた。

他の社員に声をかけ、会社を後にする。
彼女の家は車だと1時間くらいかかると、ナビに出た。彼女は助手席でぐったりしている。彼女は自宅に着くまで、目を閉じて荒い息を吐いていた。

自宅に着いたはいいが、彼女は一人暮らしだ。他に任せられる人がいなかった。ただ送るだけで、別れて大丈夫なものか。分からなくて、とにかく車を近くのコインパーキングに止め、なんとか歩けるようになった彼女を支えて、マンションの自宅に連れていった。

彼女はベッドに倒れ込む。そのまま、眠り込みそうだったので、せめて寝間着に着替えるよう言って、仕方なく冷蔵庫の中をあさった。
氷枕も、簡単に食べられそうな物も、入ってはいない。飲み物もない。
これは近くで買ってこないと。

「吉川。買い物に行ってくるから、着替えたら、大人しく寝てるんだぞ。」
「主任。そこまでしてくれなくてもいいです。寝ていれば何とかなります。」
「どうせ、この後は家に帰るだけだから。気にしなくていい。」
「でも、遅くなったら、ご家族が心配するのでは?」
「俺も一人暮らしだ。心配する家族などいない。」

「はぁ。ではお言葉に甘えます。」
ベッドに寝ながら、こちらを向く顔は真っ赤だった。頭も朦朧もうろうとして、回ってなさそうだ。
「とにかく寝てろ。」
「はーい。」
彼女は俺の言葉に従って、のろのろと布団に潜り込んだ。

買い物をして帰ってくると、彼女はぐっすりと眠りこけていた。冷却シート、飲み物以外は、適当に冷蔵庫や冷凍庫に閉まったり、キッチン近くにあるテーブルに並べておく。
タオルが欲しいところだが、何処にあるだろう。

ひとまず、冷却シートを先に貼ろう。ベッドに寝ている彼女の額にかかっている髪を払う。髪が湿っている。汗をかいている。
意識をしたら、手が震えた。
自分は何を考えている?
軽く頭を振って、冷却シートを額に貼ると、さすがに冷たかったのか、手の下のまぶたが開いた。

「ありがとうございます。気持ちいいです。」
彼女はそう言って、こちらを見て顔を緩めた。
「汗をかいていると思う。タオルはどこにある?」
「脱衣所の棚の中です。一番上の引き出しに。」
「水分補給もした方がいいが、起きられるか?」
身体を起こした彼女に向かって、キッチンにあったカップに飲み物を注いで、渡す。
彼女はそれを大人しく飲み切ると、軽く息を吐いた。

「主任。なんか慣れてますね。」
タオルを持って、戻ってきた俺に向かって、吉川がぼつりとつぶやいた。
「そうか?まぁ、一人暮らしは長いからな。」
タオルを渡すと、それで首筋を拭きながら、吉川がこちらを見る。
「食べられそうな物を冷蔵庫とかに入れておいたから。あと氷枕も今冷凍庫で冷やしてる。」
「すみません。お金は・・。」
「元気になってからでいい。じゃあ、俺は帰るから。」

ベッドの横から踵を返そうとすると、後ろに向かって何かが引かれる感覚があった。
振り返ると、吉川が腕を伸ばして、俺のスラックスの一部を掴んでいる。
「吉川・・。」
「主任。もう少しいてもらえませんか?ちょっと心細くて。」
「他に頼れそうな知り合いとかいないのか?」
「就職と同時にこちらに出てきたので、いません。今の私の頼りは、主任だけです。」

と、言われてもなぁ。
これ以上は、上司部下の関係を逸脱いつだつするのでは?
でも、体調の悪い時は、心も弱くなるから、誰かに側にいてほしいという気持ちは分かる気がする。それに既にやり過ぎている感も否めない。
「わかった。他の社員には内緒にするように。」
「は、はい。それはもちろん。」
彼女の顔が、ぱぁっと明るくなる。
そんな顔をされると、余計に断りにくい。

ベッドの隣に腰を下ろす。幸い床にはラグが引いてあって、痛くはない。
「ここにいるから、もう少し寝てろ。」
「・・主任、手を握っていてもらえますか?」
俺はお前の彼氏ではないんだがな。でも、彼女は病人。声を荒げて断るのも違う気がする。
俺は差し出された掌を、自分の掌で包み込んだ。

彼女は俺と目を合わせると、フフッと笑った。

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