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【短編】掌を合わせてみたら 有森視点/有森・古内シリーズその3

もう何回目のため息だろう。
やっている本人はきっと気づいていないだろうけど。

僕は教室の椅子に座って、隣の彼女の様子を眺めている。
彼女の手元には細かく書かれた日誌がある。日誌には彼女の特徴のある筆跡で、今日あったことが細かく書かれている。

日直の担当である日誌の作成は結構面倒だ。
その日あった事を思い出して書くというのが特に。
日誌に書く内容は人によって結構な差が出る。自分は何事もそつなくやる人間なので、多くもなく少なくもない文章量を心がけて書く。

何事にも真面目な彼女は、とにかく書く分量が多く、しかも書くのに時間がかかった。書く箇所を分担しているのにこれでは、全部終わるのはいつになることか。

しかも、今日の彼女は所々で手を止め、ため息をついている。さすがの僕も彼女に声をかけた。
「古内。」
「なに?」
「幸せが逃げるよ。」
「は?」
僕の言葉に、彼女はわけが分からないといった様子で声を上げた。
「さっきから、ため息ばっかだけど、何かあった?」

古内は、自分の口に手を当てて、困ったように言った。
「そんなにため息ついてた?」
「10回くらい?」
数は適当だ。それより多いかもしれないけど。

僕の言葉を聞くと、古内はまたため息をついた。
「だ、か、ら、幸せが逃げるって言ってるけど。」
「あああ、ごめん。・・大したことじゃないよ。」
彼女は、慌てたように呟いた。

僕は彼女の手元を指差した。
「でも、手が進んでない。」
「ごめんね。待たせちゃって。すぐにやるから。」
古内の日誌を書く手は進みだした。今のところは止まっていない。だが、彼女は机に載せた自分の手をチラチラと眺めていた。
「なに?手が気になるの?」
「・・有森君って、指長いね。」

突然言われた言葉に、返す言葉を失った。
日誌に目を落としたままの彼女は、手を止めず話を続ける。
「私、自分の手が嫌いなんだよね。お父さんに似たのか、指も短いし、掌も小さいし。爪の形も楕円と言うより四角いし。何より、手が温かいし。」
「いいじゃん。温かくて。何が悪いの?」
そう返したら、彼女は一瞬手の動きをピタッと止めた。でも、また何事もなかったかのように手が動き出す。

「手が温かい人は、心が冷たいって、聞いたことある?有森君。」
「いや、初耳だけど。」
「何かそれを聞いて納得しちゃったんだよね。ああ、私は心が冷たいんだって。」
「・・僕は、古内の心が冷たいとは思わないけど。」
彼女の顔が弾かれるように上がった。顔を見てギョッとした。
彼女は泣いていた。

「なに?一体。誰かに何か言われた?」
慌てて自分のハンカチを出して、手渡した。彼女は少しためらった後、そのハンカチを取った。
「ごめん。気にしないで。」
「いや、そんなの、無理でしょ?」
彼女はハンカチで自分の涙をぬぐっているが、簡単には収まらないらしい。
僕だって、目の前で女子が泣きだしたら、それは気にする。しかも、古内は普段結構穏やかに笑っている子なのだ。泣いたのを見たのは初めてだ。

「でも、自分でもよくわかってないから。多分、説明できない。」
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。ごめんね。心配させて。ほら、日誌も書けた。先生に出しに行かなきゃ。」
日誌を閉じて、席を立とうとする彼女の肩に手を置いた。
「だめだよ。」
「有森君?」
「そんな顔で職員室に行くのは、良くないと思う。ちょっと落ち着くまで、待ったら?」

目尻が赤くなった顔で、こちらを見た彼女は、そのまま椅子に座り直した。
合わせて、自分も同じように椅子に座る。
しばらく無言で見つめ合っていたが、古内がぽつりとつぶやいた。
「有森君は・・手が冷たそうだね?」
「また、何を突然。」
「手が冷たい人は、心が温かいって。こんな私に付き合ってくれる有森君は、心が温かいから。」

どうも、彼女の気持ちがひたすら落ち込んでいることは分かった。
僕は、彼女の前に掌を見せて差し出した。
「試してみれば?冷たいかどうか?」
「え、そういうつもりじゃなかったんだけど。」
古内は、僕の手を見て、明らかにうろたえた。
「ついでに手の大きさとか、指の長さとかも比べてみれば?気になるんでしょう?」

自分も、古内の手の温かさを知りたいという気持ちを棚に上げ、僕は何でもないことのように、彼女に手を重ねることを促した。
彼女はしばらく視線をさまよわせていたが、思い切ったように、自分の左手を僕の右手に重ねた。

思った以上の掌の温かさに驚いた。きっと、冬とかだったら、それこそカイロのようにずっと握っていたくなるような。その情景を思い浮かべて、慌てて心の中で打ち消す。
古内は、一度重ねたら、気持ちが吹っ切れたのか、指の長さや手自体の大きさを比べて、ニコニコしているけど、自分は変に恥ずかしくてたまらなくなってきた。

この気持ちが古内に知られたら、きっと今のような関係は持てなくなるような気がした。絶対に警戒される。自分も他の男子と同じだと、距離を置かれる。普段の彼女の様子を見る限り、自分以上に仲のいい男子はいなさそうなのに、その立ち位置を手放すことは、自分が望んでいることじゃない。
まぁ、ひとまず、笑ってくれたようで良かったけど。

そんなことを考えながら、僕は古内がこの状態を嫌がらないまでは、素知らぬ顔で掌を重ねつづけていた。お互いが日常に戻るまで。


古内さん視点は以下からご覧ください。

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