ウコワカメウのトリニティ・コレッジ

 そもそも「トリニティ」は、キリスト教において、「三位一体」の意味を表す。
 「三位一体」を「神」–「父」−「子」という、簡単に図式化するならば、それは宗教をも越える意味を持つだろう。
 その意味において、現代のトリニティを考えるならば、「神」=「メンター」、「父」=「親」、「子」=「自分」という図式を描いてみてはどうか。
 だから、「神」「父」の項目には、さまざまな事柄が代入できる。それは、個人個人によって可変し、「子」の自己同一性によって、千差万別であり、ラカン風にいうなら、ああなんか忘れちゃった。
 とにかく、さまざまな項が、その「トリニティ」に代入できるので、考えてみると面白いかもしれません。いうまでもなく、「子」は、「あなた」です。

正直に言うと

 「キリスト教」の「三位一体」は、ちょっと理解できないところがあるので(別にキリスト教が悪いと言っているわけではない)、何とも言えないが、とにかく、この「置き換え」は、もうすでに行われており、じじつ私が「無意識」の内に「やってしまっていた」。
 それは、どう言うことかというと、私の中には、「複数」の「トリニティ」があり、それは時によったり、状況によったりするのだが、このような三位一体が、私を形作っていることは間違いない。これは、断言できる。
 だから、何か現実で困っていることがあるのならば、この「トリニティ」の考え方=態度を実践してみると、今までの感覚と変わった感覚が、呼び起こされるかもしれません。
 これはまだ、人に言ったことのない、今できた言説なので、ご批判、ご意見、感想、殺意、敵意、共感、賛成、反対、賛成の反対、その他その他何でもおっしゃって頂いて構わないので、とにかく、「斜め読み」だけは、「ご遠慮」いただき笑、まあ、変わった考えがあるのだなあと思っていてくだされば幸いです。幸というか、「幸せ」です。また、一歩、私が幸福に近づきます。
 いや、もしかしたら、怒り狂うかもしれませんが笑、人生何が起こるか、文字通り「誰にもわからない」ので、憤死しない程度に、社会に怒り狂っていこうかと思います。逃走の反対笑!

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