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読者を眠らせないための、たった二つのコツ

村上春樹さんに川上未映子さんがインタビューしたものをまとめた本

「みみずくは黄昏に飛びたつ」

を読んだ。

奥が深すぎて、感想がまとめられない。
これだけの質問ができる川上未映子さんはすごい。

村上さんも後書きで、退屈な質問には退屈な答えしか返せないけれど、退屈する暇なんてなかったよ、みたいなことを書いている。

といことで、全体的な感想をまとめるということはできないのだが、この中で文章を書くときの基本方針は二つしかないと、村上さんが語っているところが印象的だったので、それを自分のためにもまとめておこうと思う。

まず一つ目は、会話での動きの付けかた。

「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」って一人が言うと、もう一人が「俺はつんぼじゃねえや」と答える。乞食とかつんぼとかって、たぶん今使っちゃいけない言葉なんだけど、昔はよかった。僕はこれを学生の頃読んだんだけど、普通の会話だったら、「おまえ、俺の話聞こえてんのか」「聞こえてら」で済む会話ですよね。でも、それじゃドラマにならないわけ。「つんぼじゃねえや」と返すから、そのやりとりに動きが生まれる

これは簡単そうで難しい。小説教室でも「受けの会話」はいらないとよく言われるのだが、何かの質問に対して「そうなんです」なんて受けちゃダメなのだ。でも、これ普通にやっちゃうんだよなぁ。物語を推進させる会話の受けかたというのがあるのだろう。

もう一つが、比喩のこと。

チャンドラーの比喩で、「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というのがある。これは何度も言っていることだけど、もし「私にとって眠れない夜は稀である」だと、読者は何も感じないですよね。普通にすっと読み飛ばしてしまう。でも、「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というと、「へぇ!」って思うじゃないですか。「そういえば太った郵便配達って見かけたことないよな」みたいに。それが生きた文章なんです。そこに反応が生まれる。動きが生まれる。

比喩もたいへん難しい。多くの人に「へぇ!」って言われるような比喩ってそう簡単に書けるものでもない。だいたいどこかずれた比喩になることが多いと思う。ましてや、うまく書いてやろうと思うと途端にうさん臭くなってしまうのだ。これも小説教室で人の文章を読んだり、自分で書いたりして感じることだ。

でも、この二つを意識することで、文章が生きてくるというのは確かだと思う。それがうまくできるかどうかは別として。

これを知っただけでも、この本を読んだ価値はあるのだけれど、もっともっともっともっと深いことがたくさん書いてある。

無意識の話、文体の話、影の話、グレングールドの右手と左手の話。
分かるような、分からないような話がぐんぐん続く。

やはり作家という人種は、思考が深くまでいっているんだなぁ。
才能にもよるのだろうけれど、文章を書くことでさまざまな理解が深くなっていくというのは間違いないと思うのだ。

今の僕は、この本に出てくる無意識層の地下一階の部屋をちょっとのぞいているぐらいのような気がする。
地下二階に行くことはあるのだろうか。

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