フラニーとズーイ
サリンジャー著、村上春樹訳の「フラニーとズーイ」を今さらながら読んでいます。
中学か高校くらいの時に、「ライ麦畑でつかまえて」と「ナインストーリーズ」は読んだような覚えがあるのですが、どんな内容だったかほとんど覚えていません。
えらく難しかったなぁという印象があるくらいか。
ただ、思春期のなんとも掴みどころのない感覚が、さらに研ぎ澄まされたような記憶があります。
でも、もう一度読もうとか感銘を受けたとか、そんなことはなかったというのは確かです。
さて、あらためて「フラニーとズーイ」です。
大人になったからか、村上さんの訳が素晴らしいからか、つらつら読めます。それでも、とっつきにくいという印象は確かにあります。
文庫で買ったのですが、そこには別冊的に村上さんのコメントがあります。
村上さんも若いとき読んだけれど、よくわからなかったとのこと。
翻訳に当たって、あらためて原文を読んでみると、文体がこの物語の凄さだと気づいたというのです。
読んでみると、先日投稿した「読者を眠らせないための、たった二つのコツ」で村上さんが指南していた通り、ほとんど比喩と会話のみで物語が進行していっている感じです。
とにかく比喩はひねくれていて、会話もひねくれている。
会話なんてすべてが罵りあいです。
全てがひねくれているのだけれど、結局、物事を突き詰めて考えていくとこうなっちゃうんじゃないかと思わされます。
誰もがおかしなことを言っているようで、誰もがまともなことを言っているようなギリギリの感じ。
それが全く不自然じゃない。
これで物語を成立させるなんて正気の沙汰じゃないですよ。
村上さんの訳もしつこくしつこく推敲されたことが伺えます。
この文体を英語から日本語に置き換えていく作業はかなり緻密なものを求められたのではないでしょうか。
そんなことを感じつつ、残りあと少しを存分に味わいたいと思います。