自分探しって言われてるほど重要じゃないよな―って思った話

皆さんこんにちは。こーたと申します。


僕くらいの年齢(26歳)にもなると、アイデンテティ(?)の再確立の時期になるらしいです。30歳から40歳の間でも起きるみたいです。


生きてるからには、自分とはどんなものなのか、どういう人間なのか、何がしたいのか、どうしたいのか、とかハッキリさせたい欲が出てくるのが人間です。生きる意味とか自分とか探したいやん?みたいな。


何なら小学生のころから自分について考える授業とかあります。(僕だけ?)ジョハリの窓とか有名ですね。まあ、10代って多感な時期ですから、そういったことも必要なのでしょう。



でも、この年になって、自分探しとかあんまりお勧めしないよな―って思った次第です。



なぜかというと、自分というものを確立しすぎると、それだけ自分の可能性が目に入らなくなりそうだからです。

自分はこういう人間で、性格はこうで、こういうものが好きで、苦手なモノや嫌いなものはこれで、こういう考え方をして・・・とかラベリングしちゃうと、考えるってことが難しくなるというか。放棄してしまうというか。


モノの見方に柔軟性がなくなりそうな気がして、あんまりいいもんじゃない気がするんですよ。特にそういった決めつけが強いと、自分には合わない、とか、自分らしくないとか、新しさの否定になってしまうんじゃないかな。

考え方に多様性が求められる昨今。自分らしくないという理由だけで、新しい考えの否定や、アイデンティティの崩壊が怖くて、思考を受け入れられなくて自己否定してしまうとか、まあ、これは僕が勝手に恐れている事なんですけど。そういったことが起きてしまうのでは、と。


アイデンティティが強いと、異なる考えを持つ人と相容れないことが多発してそれだけ苦しくなるんじゃない?


だから、自分探しってほどほどにしておいて、自分の思考を疑う練習をしたり、いろんなものの見方を受け入れる練習をする方が生きやすくなると思うのよ。


勢いに任せた書き込みでした。こんな話をyoutubeでダラダラとしているので興味のある方はよしなに。



最後まで読んでいただきありがとうございました。それではまたどこかで。



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