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【朗読原稿】『新明解国語辞典』に「おいしい」と評された食べ物はいくつあるか

0. 朗読をされる方へ

 本稿は、2021年5月23日にclubhouseで開催されたルーム「声優うのちひろが新明解国語辞典の『おいしい』食べ物を読む。あの声で。」のために準備した資料を、朗読用に加筆修正したものです。資料の画像ファイルは筆者のTwitterでご覧になれます。clubhuseでの朗読の材料を探している方がいらっしゃいましたので、何かのお役に立てればと思い公開することにしました。お気づきの点などがありましたら、Twitterのリプライに書いていただければと思います。

1. はじめに

 三省堂という出版社から刊行されている『新明解国語辞典』は、1972年の登場以来、その独特な語釈で注目されてきた。その一部は『新解さんの謎』、『新解さんの読み方』、『新解さんリターンズ』などの書籍や、ドキュメンタリー番組『ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜』(NHK—BSプレミアム、2013年4月29日放送)をはじめとする各種メディアで取り上げられている。本稿では語釈に「美味」、「おいしい」、「うまい」、「味がよい」といった言葉が含まれる語を列挙し、「新解さん」の食の好みを調べるとともに、様々な資料に基づいて語釈が生まれた背景を探っていく。語釈の引用は第八版(2020年)による。

2. 「美味」、「うまい」、「おいしい」の定義

 具体的な食べ物を紹介する前に、「美味」、「うまい」、「おいしい」が『新明解国語辞典』でどのように定義されているかを見ておこう。

びみ【美味】-な 飲食物の味がいい様子だ。また、その飲食物。「この上なく美味だ」↔︎不味(フミ)

『新明解国語辞典』第八版、三省堂

(次の語釈に登場する記号△は、そこから括弧開き"("までの単語・フレーズがその後ろの括弧内の単語・フレーズと交換可能であることを表します。朗読の際は括弧内は読まない方が意味が取りやすいかもしれません。)

うまい【旨い】(形)①味が好ましいので、△もっと(また機会を見つけて)飲み食いしたい感じだ。おいしい。「久しぶりに旨い酒を味わった/旨い汁を吸う〔=自分の地位を利用したり他人の手柄に便乗したりして、利益を得る〕↔︎まずい[表記]①は「甘い・美味い」とも書く。

『新明解国語辞典』第八版、三省堂

おいしい【美味しい】(形)〔接頭語「お」+美味の意の文語の形容詞「いし」の変化〕「うまい❶の意のやや上品な表現。「甘くて美味しいリンゴ/土壇場で裏切られ、美味しい〔=利益や手柄になる〕ところを仲間に独り占めにされる」↔︎まずい [派]美味しさ 美味しげ 美味しがる

『新明解国語辞典』第八版、三省堂

3. 語釈に「美味」、「おいしい」、「うまい」、「味がよい」を含む語の一覧

(実際の朗読では単語を飛ばして、最後の結論だけを読まれるのもよいと思います。それぞれの単語について、初版〜第八版の語釈の比較記事を作っていく予定です。)

 ここでは、語釈に「美味」、「おいしい」、「うまい」、「味がよい」を含む語を、調べた限りすべて列挙する。なお、版によって表現が変わったものについては、2020年出版の最新第八版を優先した。

3.1「美味」(36語)
あかがい【赤貝】、あめのうお【鯇・鯇魚】、あら【𩺊】、あわび【鮑・蚫】、あんきも【鮟肝】、いがい【貽貝】、いしがれい【石鰈】、いちご【苺】、おこぜ【鰧・虎魚】、かき【牡蠣】、かれい【鰈】、かんぶり【寒鰤】、きじ【雉】、くえ【九絵】、こち【鯒】、さくらだい【桜鯛】、さけ【鮭】、じゃがいも【じゃが芋・馬鈴薯】、しょくようがえる【食用蛙】、すずき【鱸】、すっぽん【鼈】、ずわいがに【ずわい蟹】、たらばがに【鱈場蟹】、とらふぐ【虎河豚】、ひらめ【平目・鮃・比目魚】、ほしがれい【星鰈】、ほたてがい【帆立貝】、ほっきがい【北寄貝】、マンゴスチン、むしがれい【虫鰈】、むつ【鯥】、めなだ【赤目魚】、めぬけ【目抜】、もも【桃】、やまめ【山女】、ゆりね【百合根】

3.2「おいしい」(8語)
がんにく【眼肉】、かんぱち【間八】、きんとき【金時】、ばかがい【馬鹿貝】、はくとう【白桃】、はまぐり【蛤】、はも【鱧】、ふぐ【河豚・鰒】

3.3「うまい」(7語)
あこうだい【あこう鯛】、あまだい【甘鯛】、いしなぎ【石投】、えんがわ【縁側】、かも【鴨】、しばぐり、しゃも【軍鶏】

3.4「味がよい」(3語)
いしだい【石鯛】、きいちご【木苺】、たい【鯛】

結論1:語釈に「美味」、「うまい」、「おいしい」、「味がよい」が確認できた語は計54語。(2024年2月9日時点)

4. 幻の語釈

 『新明解国語辞典』の前身である『明解国語辞典』の編集会議の席で、「タラ」の語釈を巡って一悶着あったということが『明解物語』に書かれている。金田一春彦先生へのインタビューから引用する。

 「タラ」というのが出てきたとき、山田君(引用者注:山田忠雄先生、『新明解国語辞典』主幹)がタラは美味だと書けって言うんです。タイならいいけど、ほかの魚に美味と書かないのにタラに美味はおかしいだろうと言ったら、富山県ではタラがいちばんおいしいんだそうです(笑)。「それじゃあ『富山県では』と書こうか」と言ったら、彼、怒り出しましてね。僕はどうも山田君とはしっくりいかなかった(笑)。(後略)

柴田武監修、武藤康史編『明解物語』三省堂

 ちなみに、『新明解国語辞典』において「鱈」の語釈に味に関する記述は無い。

5. どのような食べ物をおいしいと感じるのか?

 上で列挙した語を魚類、貝類、甲殻類、植物に分類し、どのような種類の食べ物をおいしいと感じるのかを調べてみた。ここでは「〜科」がわかるものに限り、「縁側」、「眼肉」、「シャモ」を除いた51語について分類した。「あん肝」は「アンコウ」として魚類に分類した。
 結果は魚類が最も多く、全51語中28語であった。次いで植物が9語、これは主に果実に対する評価である。第三位に貝類が8語。甲殻類と鳥類が同率最下位で2語であった。そして、以上の分類に当てはまらないものをその他とした。具体的には「食用がえる」そして「スッポン」がここに含まれる。

魚類28、植物9、貝類8、甲殻類2、鳥類2、その他(アカガエル科、スッポン科)それぞれ1
「科」ごとに分けた語数(単位:語)。分類が版で異なる場合は第八版を優先。

 ここから、次のように結論づけた。

結論2-1:新解さんは魚介類、特に、白身魚を好む。肉の部分はほとんど全てを食す。
結論2-2:新解さんは「スッポン」や「食用がえる」などの珍しい食材を食べたことがある。

6. なぜ語釈に「おいしい」などと書いたのか?

 山田主幹は複数の書籍の中で、辞書は独創的でなければならない、辞書には編集者の独自性が含まれていなければならないと主張している。この考え方は、辞書の中には過去の辞書の語釈を“パクって”いるものがあり、そして間違いもそのまま受け継がれているという問題意識から来ていると思われる。もちろん、独自性には編集者の主観が反映されることも自身で指摘している(『新明解国語辞典』初版 序文「新たなるものを目指して」)。また、『近代國語辭書の歩み——その模倣と創意と——』では、後発の辞書に対して次のような「挑戦状」を突きつけている。

盗めるものなら盗んで見よ

山田忠雄著『近代國語辭書の歩み——その模倣と創意と——』三省堂

 『新明解国語辞典』の関係者以外から二人の声を紹介しよう。一人は芥川賞作家で、芸術家の赤瀬川原平さんである。赤瀬川さんは『新解さんの謎』で『新明解国語辞典』の独特な語釈や用例にいち早く目をつけた一人である。対談『三人で語る新明解国語辞典』で次のように考察している。

 でも、辞書にもなんか社風みたいなものってあるじゃないですか、会社とか編集部とか。この『新明解』はいろいろおもしろいことがあるんですけど、たとえば魚の項目で、いろいろ科学的に書いてあって、最後に「おいしい」とか「うまい」と。何だか可愛いんですよね。(笑)
 これは金田一春彦さんが書いておられたと思うんですが、三省堂の辞書の場合は、ただ科学的に分析するだけでなくて、日常にある状態を表そうとしている。ふつう一般人は魚の分解図を見るわけじゃなくて、まず食べるものとして見るので、「おいしい」というのは意識的に示してあるんだ、みたいなことを書いていた。やっぱり社風というか、なんか要するに、できるだけ具体的にという態度が強いんじゃないですか。

『三人で語る新明解国語辞典』

 もう一人は国語辞典編纂者の飯間浩明先生である。飯間先生は『新明解国語辞典』と同じ三省堂が出版している『三省堂国語辞典』編集委員の一人である。飯間浩明先生は、NHKの番組『ケンボー先生と山田先生』の取材で次のように述べている。

 いいですか、これは強調しておきますけどね、客観的な記述を心がけていたとしても、編纂者の人生経験や思想、考えていることなどが自ずとにじみ出てくるものなんです。主観的な記述だから表れてくるんじゃない。客観的な記述を試みていても、出てきてしまうものなんです。

佐々木健一著『ケンボー先生と山田先生』文藝春秋

 同じく、飯間先生のTwitterを紹介しよう。

 『新明解国語辞典』は、編者の好き嫌いが表れた辞書だと言われます。でも、私は必ずしもそう考えません。「鴨」の項に〈肉はうまい〉とあったりして、「新解さんは美食家」とネタになりますが、実際、「鴨が葱を背負って来る」との表現もあります。鴨は、現に「うまいとされている」鳥なんですね。

飯間浩明先生Twitter

 これらをふまえると次のように結論づけることができる。

結論3:『新明解国語辞典』の主観的ともとれる語釈は、独創を求めた山田主幹の信念の表れであり、読者の日常の体験(=五感)と結びつけようとした結果である。

7. 番外編

 本編は以上で終わりだが、最後に興味深い記述を紹介しよう。一つ目は、「ビール」に関するものである。

えだまめ【枝豆】……塩ゆでにして、ビールのおつまみなどにして食べる。

『新明解国語辞典』第八版、三省堂

かくべつ【格別】「風呂上がりに飲むビールは格別にうまい」

『新明解国語辞典』第八版、三省堂

 山田主幹か編集委員の中にビール好きがいたのかもしれない。

 「おいしい」があるなら「まずい」もあるのではないかと思って探してみた。これが最後なのもどうかとも思うが、近い表現が1つだけあったので紹介する。

しおふき【潮吹(き)】②アサリ・ハマグリに似た二枚貝。味は少し落ちる。〔バカガイ科〕

『新明解国語辞典』第八版、三省堂

 見落としている単語もあるかもしれないので、他に味について書いている語釈があれば、コメントあるいはTwitterのリプライでご連絡ください。

参考資料等

(webページはすべて2021年7月17日閲覧)
『新明解国語辞典 初版』三省堂、1972年(特製版 第1刷、1972年4月1日発行)
『新明解国語辞典 第二版』三省堂、1974年(革装 第1刷、1975年3月10日発行)
『新明解国語辞典 第三版』三省堂、1981年(第41刷、1986年9月1日発行)
『新明解国語辞典 第四版』三省堂、1989年(第36刷、1997年1月20日発行)
『新明解国語辞典 第五版』三省堂、1997年(第23刷、2000年12月1日発行)
『新明解国語辞典 第六版』三省堂、2005年(第18刷、2009年11月20日発行)
『新明解国語辞典 第七版』三省堂、2012年(第5刷、2016年1月10日発行)
『新明解国語辞典 第八版』三省堂、2020年(革装 第1刷、2021年1月10日発行)

赤瀬川原平『新解さんの謎』文藝春秋、1996年(文春文庫、1999年)

佐々木健一『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』文藝春秋、2014年(文春文庫、2016年)

柴田武監修、武藤康史編『明解物語』三省堂、2001年
柴田武、赤瀬川原平、如月小春『三人で語る新明解国語辞典』三省堂「ぶっくれっと」127号(1997年11月)・128号(1998年1月) https://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/booklet-shinmeikoku.html
鈴木マキコ『新解さんの読み方』リトルモア、1998年(角川文庫、2003年(夏石鈴子名義))

夏石鈴子『新解さんリターンズ』角川文庫、2005年

山田忠雄『近代國語辭書の歩み——その模倣と創意と——』三省堂、1981年
「「ひとこと多い」新明解国語辞典」(2013年7月7日)
「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった。──tech book hack(1)」(2018年6月28日)
「食べる貝として、最も普通で、おいしい。」(2020年11月26日)
「【日本語.15】辞書なのに「この魚うめぇ」って主観入れて説明してくるものがある」(2021年7月5日)

追記

2021年6月21日 YouTube「みず&とーいに聞かせてchannel」の番組「声優オモテウラ」(ゲスト:うのちひろさん)にて本稿の元になった資料をご紹介いただきました。

2021年7月17日 内容を一部修正。
2022年1月15日 stand.fmで読んでみました。
2024年2月9日 内容を一部修正。(コメントありがとうございます)

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