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「辰」をいろいろな辞書で調べていたら意外な言葉に巡り合った件——後編:この字にも「辰」が入っていた!

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「辰」は「龍」なのか

前編では、昔の中国の辞書で「辰」という字がどのように説明されていたかを見てきた。しかし、ここまでで「辰」が十二支において「龍」を指すことに対する説明はなかった。白川先生によると、これには天文の知識を要するらしい。少し長いが引用する。

辰を龍と釋するものとは、新城新藏說を指すものであろう。新城說は辰を蠍座の大火の名とし、この第五辰をのち龍に配したのはその星象から出たとする(東洋天文學史研究第1章)。この大火は宗の分野であるため、藤枝了英氏の釋辰(支那學十號)に辰を雩祭における龍と結合して、殷の祖神とする考說があり、農耕儀禮との關係において說く。橋本增吉說は、新城氏の大火說に批判を加えながらも同じ見解をとり、「辰はもともと龍と同一の意義を有する象形文字として作成され、大火心星を中心とする龍形の星象を意味する字であり、語であった」(暦法研究・251頁)とする。この兩說には、後の觀象授時、あるいは十二獸を以て十二支の字を解しようとする豫見があつて、その所說中、隨處に破綻がみられる。

白川静『說文新義 卷十四』p.187

数え方の辞典

辰(常用漢字では竜)は一匹、二匹と数えるのか、はたまた一頭、二頭と数えるのか。

竜は「匹」「頭」で数えます。ただし、想像上の動物として民話などに登場する場合は「匹」で数えます。「頭」で数えると、竜の現実的な存在感が増します。

p.317

文学作品からは1つの例が見つかった。

むかし、あるところに一ぴきりゅうがすんでいました。

宮沢賢治『手紙 一』

数え方の辞典に即すれば、フィクションとしての竜を指すために「疋(匹)」になっているものと思われる。

漢和辞典

『大漢和辞典』

たつ。十二支の第5位。方位で東東南に、月で3月に、時で午前8時に配する。(中略)〔說文〕辰、震也、三月昜气動。靁電振、民農時也、物皆生、从₂乙匕₁、匕、象₂芒達₁、厂聲、辰*、房星、天時也、从㆑二、二、古文上字。〔釋名、釋天〕辰、伸也、物皆伸舒而出也。
十二支
日取り。ひまわり。
とき
あさつとめて
日のやどり
ほし日・月・星
星の名。(イ)なかごぼし。〔爾雅、釋天〕大火謂₂之大辰₁。(ロ)そひぼし。
北極星
天子に配する。

『大漢和辞典 巻十』p.1093(一部説明を省略)

*厂に「武」に似た漢字。

長くなりすぎるので用例は『説文解字』と『爾雅』に限って引用したが、辰についての文献を多く引いている。

[解字]會意形聲。十二支のたつの意。乙・匕・二・厂の合字。春三月に至って陽氣暫く盛となり、それまで乙乙(のびなやむさま)として伸びなやんだ草木が變化伸張する故に、乙と匕(變化の意)とを合はせ、又、この月、房*星といふ農星が天上に出づるにより、二(上の古字)に從ってその意を示す。厂は音*符。字解を見よ。(中略)▷(甲骨文)象形。二枚貝が殻から足を出してゐる形に象る。

*印をつけた字は旧字体表記。

『全訳 漢辞海』

はじめに『第漢和辞典』にはなかった部首の説明から。

しんのたつ。「辰」は「陽気が動き出す」意を表す。「辰」から構成される漢字と、「辰」形を字画の要素とする漢字のために立てる。

p.1422

現在の分類で「辰」を部首とする漢字は、辰・辱・農・辴の4字だ。唇・娠・振・晨・蜃・賑・震は「口」「女偏」「手偏」「日」「虫」「貝偏」「雨冠」にそれぞれ分類される。

「なりたち」に『説文解字』の現代語訳が載っていたことは前編で触れた。もう一度書いておこう。

震う。三月に陽気が動きはじめ、雷が震動するのは、民が農作業をする時節である。万物がみな生じるときなので、「乙(=草が屈曲しながら地上に出るさま)」「匕(=変化)」から構成される。草がまっすぐに達する意にかたどり、「厂」が音。「辰」は〔二十八宿しゅうの〕房星で、〔農耕する〕天の時節を示す。「二」から構成され、「二」は古文の「上」字である。

意味もかなり詳しく書かれている。

[一](名)❶十二支の第5位。十干と組み合わせて年月日を表す。たつ
(ア)時刻では、午前8時ごろ。また、午前7時から9時まで。
(イ)方位では、東南東。
(ウ)動物では、竜。
(エ)五行では、木に当てる。
❷十二支のこと。えと。「十二辰じゅうにしん
❸日。「忌辰(=命日)」「良辰」
とき
(ア)時間。
(イ)時期。「芳辰(=春のよき時期)」
❺星座名。さそり座。二十八宿の1つ。心宿しんしゅう。なかご。
❻ほし。
(ア)北極星。「北辰」
(イ)群星。「星辰」
(ウ)日・月・星の総称。「三辰」
❼日と月の公点。《陰暦で、1年12か月の毎日の月朔のときに太陽が位置する場所》
❽早朝。あさ。「辰夜」
[二](動)❶振動する。ふるう(振)。
❷のびる(伸)。
[三](形)❶気高く美しいさま。

辰のつく熟語は意外と多いことが窺える。

『角川 新字源』

辰(二枚貝)のからを農具に用いたことから、これを部首にして、農作に関する意を表す字ができている。

p.1349

こちらの説明は甲骨文の成り立ちをもとにしていると考えられる。

なりたち
象形。二枚貝が殻から足を出している形にかたどる。「蜃」の源字。借りて、十二支の第5位、また、「とき」の意に用いる。

意味
❶たつ。(ア)十二支の第5位。動物では竜。(イ)方角では東南東。(ウ)時刻では午前8時、およびその前後2時間。(エ)月では3月。
❷干支の通称。
❸ひ。「佳辰」
❹とき。時間、また時期。「芳辰」
❺日・月・星の総称。「三辰」
❻星座の名。さそり座。
❼星の名。(ア)北極星。「北辰」(イ)大火星。アンタレス。なかごぼし。(ウ)→「辰星」
❽あさ。「辰夜」

『漢字源』

「辰」は、二枚貝から肉を出している形。これを部首にして、「辰」を含む漢字が集められる。

p.1843

こちらも甲骨文に基づいている。

❶[名]たつ。十二支の5番目。▷時刻では現在の午前8時、およびその前後2時間、方角では東から南へ30度の方位、動物では竜に当てる。/十二支の5番目に当てたのは、動植物がふるいたつ初夏のころの意から。
❷[名]十二支をまとめていうことば。「浹辰しょうしん(子からがいまでで一巡する12日)」
❸[名]とき。時刻や日。「時辰」「吉辰きつしん」「我ガ辰ハいづクニカ在ル」〔詩経・小雅・小弁〕
❹[名]時刻につれて動く天体。日、月、星の総称。「三辰さんしん(日月星)」「北辰ほくしん(北極星)」
❺[名]星の名。水星。「辰星しんせい
❻[形]元気よくふるいたつさま。▷「振」に当てた用法。

語源では『説文解字』を引用していた。

語源 「辰は震(震え動く)なり」が古代の普遍的な語源意識。植物が勢いよく盛んに枝葉を伸ばして生長する段階を循環的序数詞である十二支の第五位の名とした。

全くの偶然であるが、馳星周の小説『北辰の門』が最近発売された。ここでの「北辰」は天子、つまり天皇を指す。

古語辞典

昔は他の意味でも使っていたかもしれないと思い、古語辞典を紐解いてみた。

たつ【辰】[名]❶「十二支じふにし」のひとつ。第5番目。
❷東南東の方角。
❸現在の午前8時ごろ、およびその前後2時間。一説に、その後2時間。

三省堂『詳説古語辞典』

たつ【辰】[名]❶十二支の5番目。
❷方角の名。東南東。
❸時刻の名。いまの午前8時およびその前後2時間。午前8時からの2時間とする説もある。

三省堂『全訳読解古語辞典』第二版

ここまでのまとめとして、十二支と暦・方位、時刻の関係を図解する。

十二支と暦・方位の関係。最も外側に十二支、その内側に暦(1月〜12月まで)、さらにその内側に方角を示している。辰は三月で東南東に当たる。
十二支と時刻との関係。最も外側に十二支、その内側に昔の時刻、さらにその内側に現在の時刻を示している。辰の刻は明け五つ、現在の7時から9時に当たる。

国語辞典—蜃気楼について

さて、「辰」という字を調べている中で「蜃」にも辰が含まれていることに気づいた。蜃気楼の「蜃」である。辰の下に虫がついているのは、春になって土の中や卵から出てくる様子を表していると思いきや、そうではなかった。

最後の項では種々の国語辞典における「蜃気楼」の語釈を見ていこう。以下見出し語や品詞は省略する。

[史記天官書「海傍の蜃の気楼台をかたどる」](「蜃」は大蛤。古くは、大蛤が吐く気によって空中に楼台などが現れると考えた)地表近くの気温が場所によって異なる時、空気の密度の違いによって光線が屈折するため、地上の物体が空中に浮かんで見えたり、あるいは地面に反射するように見えたり、遠方の物体が近くに見えたりする現象。砂漠・海上、その他空気が局部的に、また層をなして、温度差をもつ時などに現れやすい。富山湾で春に見られるのが有名。蜃楼。貝楼。貝櫓かいやぐら。空中楼閣。乾闥婆けんだつば城。海市かいし。ミラージュ。

『広辞苑』第七版

さすが百科事典も兼ねて編纂された『広辞苑』だけあり、出典を書いてくれている。ここで引かれている『史記』は『説文解字』から遡ることおよそ200年、前漢時代の紀元前91年頃の成立と考えられている。科学への理解が不十分であったことは仕方がないが、貝の吐き出す息によって楼閣が見えるという想像は興味深い。

ミラージュという単語にピンと来た人もいるかもしれない。そのうちの少ない数は「ミラージュコロイド」を思い浮かべたのではないだろうか。これはテレビシリーズ『機動戦士ガンダムSEED』『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』、そして現在(2024年3月30日)好評上映中の映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』に登場した架空の物質、および技術である。一言で言えば偏光を使った光学迷彩であるが、応用先はかなり幅広い。「ミラージュコロイド・ステルスといえば」という題でアンケートを取れば、「ブリッツガンダム」、あるいは『FREEDOM』における「ズゴック」で二分されるかもしれない。

閑話休題。

〔蜃(大蛤おおはまぐり)が気を吐いて描いた楼閣の意〕下層大気の温度差などのために空気の密度に急激な差が生じて光が異常屈折をし、遠くのオアシスが砂漠の上に見えたり、船などが海上に浮き上がって見える現象。日本では富山湾の魚津海岸のものが有名。海市。

『大辞林』第四版

〔「蜃」は、ハマグリの意。大ハマグリの吐く気によって現われるものと解したことから〕熱気(冷気)のために大気中で光が異常屈折し、空中や地上に何か物があるように見える現象。

『新明解国語辞典』第八版

大気中の温度差によって光の屈折率が変わり、遠くの物体がうかんでいるように見えたり、上下に反転した像が見えたりする現象。海市かいし

『三省堂国語辞典』第八版

光が異常に曲がって、物が逆さに見えたり、見えるはずのない遠くの物が近くに見えたり、地上の物が空中に浮いて見えたりする現象。海上や、砂漠などで見られる。

『例解小学国語辞典』第七版

大気の下層部の温度差から、空気の密度が不均一になったため光が異常屈折し、空中や地平線上に遠くの風景などが見える現象。[参考]古くは、はまぐりが気をはいてできると考えられた。

『新選国語辞典』第十版

熱気・冷気による光の異常な屈折のため、空中や地平線近くに遠方の風物などが見える現象。▷昔、蜃(=大はまぐり、または、みずち)が、気を吐いて楼閣の姿を現したと考えた。日本では富山湾のが有名。

『岩波国語辞典』第八版

熱気や冷気のため光線が異常屈折して、空中や地上に遠方のけしきや物体が見える現象。[参考]昔は、はまぐりが息をはいて生じると考えられていた。わが国では富山湾の魚津うおづで見られるものが有名。

『新解国語辞典』第二版

下層大気の著しい温度差によって空気の密度に差が生じることから起こる光の異常屈折現象の1つ。海上などで水平線の向こうの景色が浮き上がって見えたりする。海市かいし。▷蜃(=大はまぐり)が気を吐いて描いた楼閣の意。

『明鏡国語辞典』第三版

光の異常屈折によって、実際にその場所にないものが見える現象。空中楼閣。mirage

『常用国語辞典』改訂第五版

空気の密度のちがいによって、光線が異常に屈折し、そこに実際にはない物があるように見える現象。蜃楼しんろう海市かいし。空中楼閣。語源 昔、おおはまぐりがはく気によって生じると考えられたことから

『学研現代新国語辞典』改訂第6版

砂漠や海上などの空中に、そこにあるはずのない遠方の景色などがあらわれるもの。空中楼閣。

『学研現代標準国語辞典』改訂第4版

砂漠や海岸などで、遠方の空中の低いところに、実際にはない風景があるように見えること。塔や家であったり、町なみであったりするので、「空中楼閣」「海市かいし」など、各地にいろいろな名がある。像がさかさになっていることもある。ミラージュ。
[由来]「蜃」は大きなハマグリ。中国に、海中の大ハマグリのはく息でできる像だという言い伝えがあったことから。

『例解新国語辞典』第十版

熱気や冷気による光の異常屈折によって、海上や地平線などに実際にはないはずのものが見える現象。[語源]むかし「おおはまぐりが吐き出す息によって、楼閣(建物)などがあらわれる」と考えられていたから。

『ベネッセ新修国語辞典』第二版

熱や冷気のために、大気中で光が異常に屈折し、空中や地上にないはずの物体があるように見える現象。にげ水もその一種。

『角川 国語辞典』新版

砂漠さばくや海岸などで、そこにないものや風景があるように見える現象。気温のちがいによって、光が異常屈折くっせつするために起こる。[類]空中楼閣ろうかく海市かいし貝楼かいろう

『角川 必携国語辞典』

発生する場所、見えるもの、語源を示しているものなど、辞書による違いが面白い。

『数え方の辞典』に蜃気楼は載っていなかったが、現象であるから1回2回と数えるのだろうか。

結び、そしてダイマ

本記事では、「辰」と「龍」との関連を探るべく、前編では中国の字書における「辰」の説明を、後編では日本の辞典での辰の意味、そして辰を含む文字である「蜃」の入った単語である蜃気楼の語釈を比較した。後編の冒頭に書いたように、「龍」の意味で「辰」を使うようになった経緯は他の文献も読んでみなければわからないが、振え動くという由来を知れば天に昇る龍を連想することも難しくはないように思われる。

「蜃気楼」という曲を紹介して終わろう。コンポーザーギタリスト・瀬戸輝一てるかずさん作曲の素敵な曲である。ぜひ聴いて、弾いてみていただきたい。

ギター+メロディ楽器verもあります。ストアから注文が可能です。

文献

一般書

白川静『白川静著作集 別巻 説文新義7』、平凡社、2002年。『說文新義 卷十四』、五典書院、1973年。
白川静『文字講話Ⅰ』、平凡社、2002年。
阿辻哲次『新装版 漢字学—「説文解字」の世界』、東海大学出版会、2013年。
落合淳思『漢字の成り立ち 「説文解字」から最先端の研究まで』、筑摩選書、2014年。

辞典

【漢和】
諸橋轍次『大漢和辞典 巻十』大修館書店、1959年(初版)1994年(修訂第2版)。
戸田芳郎監修、佐藤進、濱口富士雄編、『全訳 漢辞海』第四版、三省堂、2017年。
小川環樹、西田太一郎、赤塚忠、阿辻哲次、釜谷武志、木津祐子編『角川 新字源』改訂新版、KADOKAWA、2017年。
藤堂明保、松本昭、竹田晃、加納喜光編『漢字源』改訂第6版、学研プラス、2018年。
【古語】
鈴木一雄、伊藤博、外山映次、小池清治編、『全訳読解古語辞典』第二版、三省堂、2004年。
秋山虔、渡辺実編、『詳説古語辞典』、三省堂、2018年。
【国語】
久松潜一、佐藤謙三編、『角川 国語辞典』新版、1969年。
大野晋、田中章夫編、『角川 必携国語辞典』、角川書店、1995年。
大石初太郎編、『新解国語辞典』第二版、小学館、1999年。
中道真木男編、『ベネッセ新修国語辞典』第二版、ベネッセコーポレーション、2012年。
金田一春彦、金田一秀穂編、『学研現代新国語辞典』改訂第六版、学研、2017年。
新村出編『広辞苑』第七版、岩波書店、2018年。
松村明編、『大辞林』第四版、三省堂、2019年。
西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫、柏野和佳子、星野和子、丸山直子編、『岩波国語辞典』第八版、岩波書店、2019年。
田近洵一編、『例解小学国語辞典』第七版、三省堂、2020年。
石井庄司編、『常用国語辞典』改訂第五版、学研プラス、2020年。
山田忠雄、倉持保男、上野善道、山田明雄、井島正博、笹原宏之編、『新明解国語辞典』第八版、三省堂、2020年。
林史典、林義雄、金子守編『学研現代標準国語辞典』改訂第4版、学研プラス、2020年。
北原保雄編『明鏡国語辞典』第三版、大衆館書店、2021年。
林四郎監修、篠崎晃一、相澤正夫、大島資生編著、『例解新国語辞典』第十版、三省堂、2021年。
見坊豪紀、市川孝、飛田良文、山崎誠、飯間浩明、塩田雄大編『三省堂国語辞典』第八版、三省堂、2022年。
金田一京助、佐伯梅友、大石初太郎、野村雅昭、木村義之編、『新選国語辞典』第十版、小学館、2022年。
【数え方】
飯田朝子著、町田健監修『数え方の辞典』小学館、2004年。

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