見出し画像

まちのコミュニケーションジム③−1「観察の答え合わせ」

(前回のストーリーはこちら)

次のトレーニングまで、正倫も不安を募らせていた。

「結局何も教えてくれてないじゃないですか!」
そう怒って途中でやめてしまったクライアントが過去に何人かいた。たとえ最初に同意を得ていても、「思ってたのと違う」と言われると心苦しい。

(カランコローン)

予定時間の五分前、ドアチャイムは静かに響いた。約束通り、由成はやってきた。やはり、元気はなさそうだった。

「こんにちは。今日もよろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」

お互い遠慮の混じった挨拶を済ませ、いつもの流れで席についた。正倫はコーヒーを出し、由成は控えめに砂糖を加えた。

「今週はどんな一週間でしたか?」
「……はい、全然何もできなくて」
「観察してみて、いかがでしたか?」
「上司は不機嫌だし、部下は本音がわからないし、失敗でした」

それでもここへやってきたことが、正倫には嬉しかった。

「きちんと実践してくださって、ありがとうございます」
「いえ、ただ見てただけで、何もできてませんよ」
「観察って、そういうものです。それで、何か気付きはありましたか?」
「そこが全然わからないんです」
由成の頭の上に「?」が浮かんでいるようだった。

「観察って、ただ見ていればいいわけじゃないですからね」
「……どうすればよかったんですか?」
その言葉を聞いて、正倫はワークシートを取り出した。

「では、観察できてたかどうか、ちょっと確認してみましょう」
由成は初めて訪れた時と同じような質問をされるのかと身構えた。

(正倫のワークシート)

□ 上司と部下はどんな表情でした? どんな気持ちが表れていました?

□ 上司の言葉が強くなったのはどんな時? イラッとしたのはどんな時?

□ 上司はどこに焦りや不安を感じてましたか?

□ 部下は何に怯えていましたか? 何に納得していない様子でしたか?

□ 部下はどこに自信がありそうでした? どこに自信がなさそうでした?

由成はペンを手に取り、一つずつ回答しようとした。しかし、すぐに考え込んでしまった。

「……すみません、あまり書けません」
「まずは、書ける範囲で大丈夫ですよ」
正倫の中では想定内のことだったのかもしれない。でも由成には、想定外の質問がたくさんあった。

「それに、ちょっとよくわからないのですが……」
ただ単に言葉にできないだけじゃなく、理解できないところもあった。
「上司の不安とか部下の怯えとかは、僕が見る限りではないと思います」

部下を叱っている上司から、不安は感じられない。
怯えてる部下なら、飲みの誘いを断ったりしないはずだ。
由成には、質問項目そのものが謎に思えた。

「これが、観察するっていうことなんですよ」

正倫は意図を詳しく説明した。

 人の心って、口で言っていることと違うことが結構あるんですよね。思ってもないのに逆のことを言ってしまったり、不安を隠すために強がったり。
 観察するっていうのは、見た目で判断するのではなく、心の中を推察することなんです。その人の言動を見た時に、『なんでそんなこと言うんだろう。なんでそんなことするんだろう?』って。 相手の意図を理解する前に、早く解決しようと思って説得しようとしまうことがよくあるんです。

正倫の言葉には心当たりがあった。由成はすぐに自分の言葉を思い出した。

「でも、あいつ決まった仕事をこなすのは結構早いですよ」
「お前の言いたいこともわかるけど、上司のこともわかってやれよ」

それは観察ではなく、説得だった。課題に頭がいっぱいで、上司と部下の心の中なんて考える余裕もなかった。その結果、全然観察にならなかった。

「つまり、僕がしていたのは観察ではなかったということですね」
「観察の難しいところは、まさにそこです。相手を理解しようとするより先に、自分の意見を言いたくなるんです。そして、多くの人は自分の意見を強化するためにコミュニケーションを学ぼうとするので、余計に人間関係がこじれてしまうんです。
正倫は、多くの人に伝わらなかったメッセージをようやく言葉にできた。

「でも、それでいいなら次はもう少しうまくやれるかもしれません。今まで行き詰まっていたのは、相手への理解不足だったんですね」
実際に試して、失敗した経験から痛みを覚えた由成は、ようやく正倫の意図を理解した。そして、再び活路が見えてきたことが嬉しかった。

(まだ、何も始まってなかったんだ!)

もし正倫が知識を教えることから始めていたら、由成にこの「気付きの瞬間」は訪れなかったかもしれない。三週間かけて、ようやく二人はこの日初めてスタートラインに立てた気がした。

これが、コミュニケーションを学ぶということだ!

(つづく)


サポートがあると、自信と意欲にますます火がつきます。物語も人生も、一緒に楽しんでくださって、ありがとうございます。