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たまごの中身、実力の中身

何かがんばっていることがある人なら、
「自分の存在意義がほしい」
「自分の実力を証明したい」
という気持ちはあるかもしれません。

しかし、世間的に「エゴ」は批判の的になりやすいので、多くの人はエゴを隠します。

「周りの人のおかげでここまでこれました」
「チームやファンのためにがんばりました」
「親や師に感謝しています」

実際のところ、まわりの人のおかげでがんばれている要素がたくさんあるのは事実。それでも、「自分のがんばり」だってもっと評価したいし、されたい。

「自分の実力」と「まわりのおかげ」に対する気持ちのバランスは、どのように見出せばいいでしょう?

61年続くたまご農家で育った半澤さんの物語がヒントになりそうです。

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◆ 子どもの頃からそこにあったもの

半澤さんは、山形の(株)半澤鶏卵の三代目(予定)。
おじいちゃんが創業し、お父さんが継いだ会社なので、物心ついた時から「農家の子」でした。家には人がよく出入りし、親が商売をしている様子も普段からよく見ています。

来客があると、笑顔であいさつする。
お客さんの話には、よく頷いて最後まで聞く。
地域のつながりや取引先にも、感謝の意を示す。

いわゆる「処世術」というものは、半澤さんにとって日常の中にあるものでした。そのおかげか、半澤さんは幼稚園や学校でも友だちと仲良くなるのが上手でした。

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鬼ごっこをして遊ぶ時も、野球でチームを作る時も、クラスで行事に臨む時も、半澤さんはいつも中心に近いところにいました。

「自分は、まわりの人に恵まれてるなあ」
実際にそう感じながら、学校生活は高校・大学へとステージアップしていきました。

◆ 成長するに従って見えてくる世界

大人に近づくにつれ、半澤さんは少しずつ将来や人生を意識し始めました。

「自分が将来したいことって何だろう?」
「自分にしかできないことって何だろう?」

家業のことは意識していましたが、農家に生まれただけで後継ぎが決まる時代ではありません。

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「自分で納得して将来を選択したい。その結果として、家業が当てはまるなら継ぎたい。」
受験や就活を通して、半澤さんは自分と向き合い始めました。

まさかそこで、恵まれた環境の落とし穴に気付くとは想像もしていませんでした。

◆ 自分の世界と、世間の目

「お前は受験が失敗しても、実家があるからいいよな」
「スポンサーがついてるから、何でもできるじゃん」
「人気者は、考えることが違うねえ」

受験や就活のことを話していると、揶揄されることがよくありました。
もちろん友だちや知り合いですから、冗談だということは頭ではわかっています。でも、真剣に「自分の人生」と向き合おうとしている半澤さんにとって、それは冗談の皮をかぶった不都合な真実のように思えました。

(今までがんばってきたことって、俺の力じゃなかったのかな?)
オセロの白が黒にひっくり返っていくように、半澤さんの中で自信が揺らぎ始めました。

遊びや部活動に集中できたのも、東京で進学や就職ができたのも、人と仲良くなれるのも、確かに家業の安定感があったおかげであることは事実です。

「じゃあ、自分にしかできないことって何だろう?」
半澤さんは、自分の力でどこまでできるか、挑戦することにしました。

◆ 腕試しのはじまり

わかりやすく自分の力を試せるのは、「イベント企画」です。その頃、学生や社会人の間では、西野亮廣さんの活動が話題になり始めていました。

「この人を、山形に呼びたい!」
半澤さんは西野亮廣さんを呼んで講演会を開催することにしました。

・チケットの販売
・ポスターの配布
・広報活動
・会場や配布物の準備
・スタッフの確保

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いろんな準備や根回しを、半澤さんは多くの人の助けを借りて進めていきました。

その結果、講演会には750人もの人が参加してくれました。
東北圏でもなかなかない規模のイベントができ、大成功に終わりました。

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◆ どこまでもつきまとう苦しみと、希望

……が、周囲の目は必ずしも正当に見てくれるわけではありません。

「実家がスポンサーだからできたんでしょ」
どこまでいっても、完全に半澤さん自身の実力として評価されることはありませんでした。

(このまま家業を継いでも、親の七光りは変わらないのかもしれない……)
気持ちの納めどころがわからないまま、半澤さんは仕事に悩みました。

しかし、同時に少しずつ見えてきたこともありました。

講演会の企画やいろんな取り組みを通して取材を受けた時のこと……

「半澤さんが尊敬している人は誰ですか?」

「……父です」

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自然と頭に浮かんだのは、いつも間近で一生懸命に仕事をしている父の姿でした。

自分の存在意義に悩んではいるものの、やっぱり父の背中はカッコいい。
その姿や生き様に憧れるからこそ、家業を継ぐ選択肢もなくしたくはない。自分探しにもがくほど、やはり父や家業の存在の大きさに気付きます。

それに、たまご農家は飽和産業です。
必ずしも将来が安定しているわけではありません。

自分が後を継がず、時代の流れに任せてしまえば、家業も産業も衰退していくことが見えています。

「せっかく親が築いてきた素晴らしいものも、やっぱりちゃんと残していきたい!」

それは、単なる甘えとしての後継ぎではなく、挑戦としての後継ぎの気持ちでした。何もないゼロから築き上げていきたい気持ちもあるけど、ルーツを後世につないでいきたい気持ちもある。

そこに、半澤さんにしかできないことがあるように思えてきました。

◆ 本当の、自分にしかできないこと

「自分のやりたいことって、必ずしも自分だけでやりたいことじゃないのかもしれない」
まだ模索しながらですが、半澤さんの中で新たな挑戦が始まりました。

・他の鶏卵企業で働きながら、業界全体を広く見られるようになろう
・自分で会社を立ち上げて、経営感覚をゼロから身につけていこう
・家業の商品を実際に自分で販売して、受け継ぐべきものを見極めよう

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先人たちが築き上げてきたものの先に、自分たちが新しいものを築き上げていく。それが家業や産業を発展させる道であり、自分が望む道でもある。

こうして半澤さんは、自分にしか歩めない道を歩み始めました。

決して敷かれたレールの上を進むだけじゃない、新たなレールを継ぎ足していくところに、半澤さんの「実力」が試されているのかもしれません。

半澤さんたちの新しい道は、今日もまた一歩ずつ切り開かれています。
(To be continued…)

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(執筆責任:勉強を教えない塾福幸塾)


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