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しめかざり探訪記[7]――愛媛県松山市 記憶の中のしめかざり

■昭和50年代、三津

 私は幼い頃、年末になると家族三人で父方の実家へ帰省し、祖父母とともに正月を過ごしていた。実家は愛媛県松山市にある三津という港町。昭和50年代頃のことだ。
 帰省のたびに玄関先で撮影してきた記念写真が今でも数枚残っている。そこには若かりし頃の両親や、見覚えのあるベレー帽を被った祖父が写っている。祖母はいつも忙しそうにしていて、それらの写真の中には居なかった。幼い私は白いタイツを履かされていたり、ショートヘアの年もあったりで、まぁ、総じて可愛い。
 そんなふうに長年眺めてきた写真群だが、ある日突然、それらは「思い出写真」から「記録写真」へと一変した。「しめかざり」に興味を持ち始めていた私は、やっと写真の中のしめかざりを認識したのだ。こんなに大きく中央に写っているのに、それまでは気にも留めなかった。

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↑昭和50年頃、実家の玄関にて母と私。頭上には三津のしめかざり。そして母の超ロングマフラー(当時の流行り?)

 写真の中のしめかざりは、丸くて団扇のようなかたちをしている。東京在住の身には見慣れない形状で、特に「橙が2個」付いていることに興味を持った。当時の私は、複数の柑橘類が付いたしめかざりを見たことがなかった。

■思い出の検証

 2000年の正月。とりあえず三津の町や松山市内を歩いてみることにした。あの古い写真からは25年ほど経っている。はたして同じようなしめかざりを見ることができるだろうか。

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↑2000年当時の三津の森家。昭和4年に建てられ、2階壁面は銅板張り。精麦業を営んでいたので、商用の間や洋室が来客用に設けられたが、家族は和室で暮らした。松山は俳句の盛んな土地であり、昔は1階の座敷で句会が開かれたという。小屋組の梁には森家初代当主の句「薫風や今ぞ餅まく上げ汐る」が墨書きされている

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↑2000年の正月に三津の家に掛けられていたしめかざり。前出の昭和50年頃のものとは造形のバランスが少し違う。もちろん作り手も変わったのだろう。しかし20年以上経った今も、橙は「2個」付いている!

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↑近所の美容院。三津には古い建築が多く残っている。ここの橙は1個

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↑大正時代に建てられた旧濱田医院。当時の洋風建築として貴重な文化財だ。人が住んでいる気配は感じなかったが、ちゃんと玄関にしめかざりが掛けてあった。橙は1個。ちなみに現在(2021年)ではリノベーションされ、テナントが入っている

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↑近所の大きな蔵。小さなしめかざりがその出入口をしっかり守る。橙1個

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↑近所の神輿庫。橙1個

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↑三津の漁港。船にもしめかざりが付いている。小さなしめかざりなので、橙ではなく葉つきみかんが1個

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↑左の居酒屋は橙2個。右の民家は橙1個。街中では橙の数が混在していた

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↑三津厳島神社では前垂れ系のしめかざりに橙2個×5セット。「5」という数は奇数を重んじているのだろう。前垂れの中央をカーテンのように少しだけ束ねて、左右に分けている。その奥に見えるしめ縄は「左元右末」で「右綯い」。全国的には「右元左末」で「左綯い」が多いのだが、愛媛や香川などでは逆のものを多く見かける。その謎はまだ解けない

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↑あの団扇状のしめかざりは花屋で販売していた。この丸い形状を「杓子」に見立て、「福をすくい取る」という説もある。また、橙や裏白の装飾が無いものは、自分で付けるのだろう

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↑葉付きみかんは小さなしめかざりや鏡餅などに付ける

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↑三津には大根じめ系もあった。香川県や関西圏でよく見られるかたち

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↑道後温泉まで足を伸ばしてみた。玄関両脇にはしめかざりの付いた門松。中央には杓子型のしめかざり

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↑これは松山空港の門松だが、道後温泉のものと作りが同じだった。大根じめ系のしめかざりが付いている

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↑道後温泉街を歩く。勝手口には葉付きみかんの付いた小さなしめかざり

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↑道後温泉から湯神社へ向かう鳥居。笹を軸にして藁の前垂れを沿わせ、その上に杓子型のしめかざりを掛ける。そして「橙は1個」と思いきや…

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↑2個目の橙は後ろに回ってました!

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↑お寺でもしめかざり。橙1個。

■祖母の橙

 一日中歩き、ヘトヘトになって三津の家へ戻る。祖母は「疲れたじゃろ」とお茶をいれてくれた。結局、街中の取材では「橙2個」の謎は解けなかった。そもそも「橙1個」の場合も多かった。私は大した収穫もなかったので祖母と話が弾まず、取ってつけたように尋ねた。
 「どうして三津のしめかざりは橙が2個付いてるんだろうね。」
 「あれはお正月様の目じゃけん。二つないといくまいがね(いけないでしょう)。」
 えっ!!!
 祖母が即答したので心底驚いた。私の祖母のイメージはとにかく「ハイカラ」。家の習俗などに興味がないと勝手に決め込んでいた。私がそう思ったのも、父からたくさんの「祖母語録」を聞いていたから。しめかざりとは関係ないが、面白かったのでいくつか並べてみる。ちなみに祖母は明治42年生まれ。

「この町内で、ソースを使う量はうちの家が一番多いンで」(つまり「洋食」を作ることが多かったということ。いつもソースを買っている商店で言われたらしく、自慢げに子供たちに話した)
「これからの男は料理ができなきゃいかん。私の横でよう見とおきな」(父はこれで「出汁」の存在を知った)
「女学校の頃、バスケットボールをしとったんよ」(大正時代の女学生としては珍しかった)
「行きと帰りに同じ道を通るなんてバカじゃろか。変えれば勉強になるんじゃけん」(父が東京から三津へ帰省するときに、いつも同じルートで往復することに対して)

 父からこんな話ばかり聞いていたので、失礼ながら「祖母はしめかざりのことなど知るまい」と決めつけていた。まさか橙が「お正月様の目」だったとは……。
 もちろん、これで橙の謎が解けたわけではない。本来はもっと別の理由だったかもしれないし、家ごとに謂れがあるのかもしれない。しかし、いずれにしても、自分の日常の細部にまで「答え」を持っていることに驚き感動した。だから生き方に迷わない。そんな祖母だった。

■取るに足りない文化

 さて、祖母の息子、つまり私の父は、精麦工場の長男として生まれた。田んぼとは無縁に生きてきて、田植え、稲刈りの経験なし。縄も綯えない。父こそ何も知らないだろうと、期待値ゼロで聞いてみた。
「実家でしめかざりの思い出ある?」
「俺が家中のしめかざりを掛けてたよ」
 えっ!!!!
 そんなバカな、とさえ思った。父にしめかざりとの関わりがあるなんて……。
 父は長男だったので、中学生の頃には正月仕事を手伝わされていた。玄関はもちろん、洗濯機や自転車、精麦工場で使っていたボイラーやリヤカーなど、計14カ所にしめかざりを掛けて回ったという(詳細はnote_5を参照)。しかし同じ町内でも、その風習は家によって少しずつ違ったらしい。
「俺の幼馴染の家なんかは魚の卸屋をやってたから、『ウチは正月には鯛を飾るんぞ』とよく自慢してたよ」
 それは三方に鯛をのせて神棚に飾るという話だったので、おそらくカケノイオの一種だろう。
「…っていうかさ、娘(私)が長年しめかざりの調査してるのに、なんで一度もこの話をしてくれなかったの?!」
「いやー、なんでだろう。そんなことは当たり前だったし、お前が調査してるのはもっと珍しいしめかざりのことだと思ってたよ。」

 しめかざりに限らず、自分の家の風習は取るに足りないことだと思いがち。あまりにも「当たり前」で、他所と比べないからだろう。

■コロナ禍の「昔話聞き取りタイム」

 先日、コロナのせいで引きこもりがちな父を散歩に連れ出した。もちろん健康増進のためであるが、実は「昔話聞き取りタイム」という裏テーマも秘めていた。とはいえ、森家代々のしきたりを教わるような重厚な話は一切なく、父のおじいさんが食事のたびに「いただきます」ではなく「プレイボール!(=食事開始)」と言っていたとか、魚を使っていない料理なのにわざと「骨に気をつけろよ!」と注意していたとか、たわいのない話ばかり。そんな話の端々から、父や家族との関係、ひいては森一族の歩みや気風を感じることができて、思いのほか楽しかった。
 しかし一方で、これは誰かの昔話ではなく、自分に繋がっている話なのだと気づいた途端、すこし怖くなった。私との関係など希薄だと思っていたご先祖様が、急に近づいてきて私の耳元で「いつも見ているよ。ふふふ」と囁いているような心地になった。

 私たちの家の「取るに足りない」文化は、どの民俗辞典にも載っていない。けれどもそれは、一族による一族のための貴重な「生きる術」。立派な技術やしきたりでなくとも、父のおじいさんの「プレイボール!」でさえ、いつかきっと私を助けてくれる。少なくとも、自分の人生は生まれたその日に始まったのではないことを、家の記憶は教えてくれる。
 しかし「記憶」は時限装置付きの宝。早く聞かないと消えてしまう。最近つくづくそう思う。

森 須磨子(もり・すまこ)
1970年、香川県生まれ。武蔵野美術大学の卒業制作がきっかけで「しめかざり」への興味を深めてきた。同大学院造形研究科修了、同大学助手を務め、2003年に独立。グラフィックデザインの仕事を続けながら、年末年始は全国各地へしめかざり探訪を続ける。著書に、自ら描いた絵本・たくさんのふしぎ傑作集『しめかざり』(福音館書店・2010)、『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち』(工作舎・2017)がある。
2015年には香川県高松市の四国民家博物館にて「寿ぎ百様〜森須磨子しめかざりコレクション」展を開催。「米展」21_21 DESIGN SIGHT(2014)の展示協力、良品計画でのしめ飾りアドバイザー業務(2015)。2017年は武蔵野美術大学 民俗資料室ギャラリーで「しめかざり〜祈りと形」展、かまわぬ浅草店「新年を寿ぐしめかざり」展を開催し、反響を呼ぶ。収集したしめかざりのうち269点を、武蔵野美術大学に寄贈。
2020年11月には東京・三軒茶屋キャロットタワー3F・4F「生活工房」にて「しめかざり展 渦巻く智恵 未来の民具」開催。
https://www.facebook.com/mori.sumako

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