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イモムシ画家になる前の桃山鈴子さんが魂をつかまれた「黒い芋虫」

「素敵なことがありました」
ある日、桃山鈴子さんからメールが届きました。
10年以上前、一枚の鉄道写真と出会った桃山さん。
そこに写された情景に魂をつかまれて繰り返し眺めていたそうです。
その後、ツイッターを介して撮影者の眞船直樹さんとコンタクトを取ることができ、先日思いがけないサプライズをいただいたとのこと。
鉄道とイモムシ。自然と人為。神々しさといとおしさ。桃山さんの魂をつかんだ眞船さんの写真とともに、当時の感動とお二人の交流をつづります。
 

黒い芋虫

──桃山鈴子


 野外でイモムシを探し、イモムシと出会う。その時、私は2種類の眼を使っている。「虫の眼」と「鳥の眼」だ。
 「虫の眼」の目線は低い。キョロキョロと友達(イモムシ)を探しているといったら伝わるだろうか。時間の流れも虫に寄り添わせようとしているからか、瞬間瞬間をクローズアップのように感じている。そこには過去も未来もない。出会った瞬間の友達は美しく神々しい。私は友達を仰ぎ見て畏怖の念さえ感じる。しかし、しばらくすると眼は「鳥の眼」へと切り替わる。今度は高い目線でちいさな友達(イモムシ)を見下ろす。「鳥の眼」には過去も未来もある。時間を伴った科学の目で大きな風景の中の小さな友達(イモムシ)を見下ろす。自然下においてイモムシの99%は死んでしまうこと、温暖化の影響やこの辺りの草刈りは毎年今頃だったのではないか等、イモムシの命を脅かす様々な負の情報が首をもたげ、小さなイモムシをますます小さく、儚く感じ、切ないようなもの悲しい気持ちになるのだ。
 
 2010年だったと思う。その頃、私は無性に旅がしたかった。遠くへ行きたかった。しかし放り出せない日常が足かせとなって動けずにいた。そこで鉄道雑誌を眺め、気持ちだけでも汽車に乗せ、車窓から見える風景を想像の中で楽しんでいた。そんな日々の中で雑誌『Nostalgic Train』に掲載されていた眞船直樹さんの写真と出会った。
 写真を見た瞬間、私はいきなり大きな鳥に魂ごと掴まれて、空高く急上昇した。そして「鳥の眼」で上空から雪景を見下ろした。

眞船直樹さん撮影 陸羽東線 鳴子─中山平(撮影日:1969年2月11日)
雑誌『ノスタルジックトレイン』No.4(2010年 芸文社)より転載
雑誌『ノスタルジックトレイン』No.4(2010年 芸文社)
*同誌はこの年休刊

 雪と蒸気機関車。こんなにも美しい取り合わせってあるだろうか。そこではまったく相容れないもの同士が共存していた。
 
雪の静寂と機関車の轟音。
赤々と燃える石炭と凍るような冷たさ。
積もり行く雪と煙をなびかせ進む機関車。
くろがね色の塊と白くひらひら軽いもの。
 
 日に幾度もこの写真を眺めた。写真は私が旅に出られない本当の理由、ぐるぐる巻きになった人と人との苦しい関係性を、優しく説き伏せてくれているようにも思えた。そして、肉体こそつなぎ止められて動けなくとも、魂は自由なのだという事を、この時私は教えられた。私は一枚の写真に救われたのだった。
 
 それから時が過ぎた2018年、今まで誰にも見せずに描きためていた「イモムシのひらきシリーズ」でコンペに挑戦した。年の瀬も押し迫った頃、受賞の連絡を受け、翌2019年夏に初個展をする運びとなった。
イモムシが出てくる春を迎えると私は個展に向けて、新作を描き始めた。モデルとなるイモムシを野外で探しては採集する毎日。「虫の眼」と「鳥の眼」を繰り返し使いながら、草むらにイモムシを見つける度に眞船さんのあの写真を思い出していた。私は画像と共に以下のようなツイートをした。

ヒメジャノメ 昆虫激減 という嘆きを耳にする時、芋虫好きの私は蒸気機関車を思い出す。この美しい機関車(撮影:眞船直樹)はもう走っていない。叢に芋虫を見つけた時、この写真を見ている時と同じ胸の高鳴りを覚える。芋虫が好きな人には分かってもらえるだろうか

 3年後の2022年春、コメントが届いた。
 「このツイート偶然見つけました。撮影者です。」
 驚いた! なんと眞船直樹さんからコンタクトをいただいたのだった。嬉しい気持ちといっしょに聞いてみたいことが次々に浮かんでくる。私は、ダイレクトメッセージで質問を返した。
「このような写真を残そうというお気持ちになったきっかけは何ですか?」
 
 返事は半年後にJR北海道の車内誌『The JR Hokkaido』2022年10月号に寄稿されたエッセイとして届いた。
 エッセイのタイトルは「鉄道昆虫図鑑」。撮り下ろしの赤とんぼと電車の写真、そして根室本線を眺望した1982年の写真が添えられていた。こんな文章からエッセイは始まる。
──「高いところから汽車を見ていると芋虫みたいで好きなんです」と言われてハッとした。列車というのは確かに節足動物に近い。──
 エッセイから私は、眞船さんが幼い頃、鮮やかな緑の電車を見て思わず「アオムシ電車!」と言ったことや、列車を俯瞰した遠景写真がかつては「芋虫写真」と揶揄されたことなどを知った。そこには、「鉄道という巨大なシステムさえもが小さく見える風景の中の列車は様々なメッセージを放っているし、それをどう捉えるか試される自分を楽しむのはかけがえのない時間だ。」と書かれてあった。
 エッセイのお礼をお伝えすると、1969年の大晦日に撮影された俯瞰の列車写真とともに、心に残る言葉が送られてきた。

眞船直樹さん撮影 陸羽東線 中山平─境田(撮影日:1969年12月31日)

これは1969年の大晦日です。つまり、1960年代最後の日です。場所は陸羽東線中山平〜堺田間。景私記(*眞船さんの写真集)にこの場所の夏のバージョンが出ていますが、冬は代えがたい程の荘厳さがありました。
まず、音がありません。雪がすべての音を吸収して無音の世界が広がります。そこに遠く汽笛が漂うように流れて来ます。また無音。そのうちにかすかな息遣い。蒸気機関車は呼吸する機械であることがわかります。機関車は2両。その息が合ったりずれたりしながら潮騒のように流れてくる時の感覚は、なぜか涙ぐむほど心が揺すぶられるものでした。この黒い芋虫こそ人の文明。しかし、それもこの大自然の中ではこんなにも小さいのか。それでも一生懸命這っていくのが人というものなのか。様々な思いが交錯する中で機関車の息遣いはやがて龍のうなりのように山々に轟き、足元を長い貨車の列が通り過ぎるのでした。私が高校生の時の写真です。この青春の刹那が私の人生観の基礎になったことは否めません。 ──眞船直樹

 数日前、鈴鹿山脈にある藤原岳の山裾でキジョランの葉に丸い食痕を見つけた。葉を裏返すとなんとも美しいアサギマダラの2齢幼虫がじっとしていた。冬空高く幼虫を見下ろしながら、思わぬ出会いを運んできてくれた「黒い芋虫」のことを思った。


眞船直樹さんの写真集『景私記』は桃山さんの宝物

眞船直樹さんは1951年宮城県生まれ。医学博士。生化学研究のかたわら、鉄道写真を発表してこられました。1997年にモノクロの鉄道写真集『景私記』(笠倉出版)を発行。現在、JR北海道の車内誌『The JR Hokkaido』にフォトエッセイ「北の鉄道風景」を連載中です。


桃山鈴子
イモムシ画家。東京生まれ。幼少期をニューヨーク郊外で送る。生物学の授業で顕微鏡を使った観察スケッチを学んだことが絵画表現の原点。個展多数。2022年には細見美術館の「虫めづる日本の美 養老孟司×細見コレクション」展に出展した。公式サイトはこちら
2023年4月1日~12日、京都の書店「子どもの本専門店 メリーゴーランド KYOTO」のギャラリーで個展を開催予定。

桃山鈴子さんのイモムシ画集『わたしはイモムシ』は工作舎から刊行。2022年、The ADC Annual Awards(ニューヨークADC賞)イラストレーション部門でブロンズキューブを受賞しました。アサギマダラの幼虫、さなぎ、蝶と食草のキジョランを描いた絵も収録しています。
B5判変型/上製 148頁(カラー128頁)

桃山鈴子さんの初めての絵本『へんしん』は福音館書店さんから刊行。モンシロチョウ、ナミアゲハ、ウラギンシジミの卵から羽化までの過程が美しく細密に描かれています。
27×20cm/上製 48頁オールカラー


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