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森須磨子 しめかざり探訪記

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『しめかざり—新年の願いを結ぶかたち』が大好評の森須磨子さん。年末年始、全国各地へしめかざりを探し求めて旅した記録「しめかざり探訪記」を連載します。
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#しめかざり

しめかざり探訪記[12]福島県耶麻郡「会津民俗館」――会津民俗館で藁の民具を探訪する

 今回は番外編。  しめかざり探訪の途中で、猪苗代湖畔にある「会津民俗館」に立ち寄った。その展示品には「藁」関連の民具も多く、私個人としては初めて見る驚きの民具もあったので、少しだけ紹介してみようと思う。後半では、会津若松で生まれ育った山内政文さんによる、実生活での生き生きとした民具のお話。 ◼️藁にねむる  2019年12月30日。猪苗代駅からバスで10分、小雨まじりの会津民俗館に到着。近くに野口英世記念館やいくつかの飲食店があり、観光地の一角という感じだ。  古民家風

しめかざり探訪記[11]滋賀県大津市――「ミさん」に守られた、大津のしめかざり

 今回のnoteは、前回の「高山探訪」の翌日の話。  岐阜県高山市をあとにした私は、その翌日、滋賀県長浜市に来ていた。当時の私はまだまだ全国のしめかざりの全体像が見えておらず、白地図の「県」を塗りつぶすように旅をしていた。 ■スタートは空回り  2006年12月30日、早朝。長浜駅前のビジネスホテルを出て、私は最初の一歩に悩んでいた。予定通り商店街に向かうか、初めましての琵琶湖を見に行くか。例のごとく「急ぐ旅」ではあったが、確か湖までは徒歩圏内だったはず。何かの感動を期待

しめかざり探訪記[10]――岐阜県高山市しめかざりタイムスリップin飛騨

 2006年の「しめかざり探訪」は、岐阜県高山市から滋賀県大津市をまわった。今回のnoteでは高山での2日間を書いてみる。 ■ビル街のバスターミナル  12月28日。早朝に自宅を出て、新宿西口の高速バスターミナルへ向かう。まだ「バスタ新宿」が影も形もない頃で、旧安田生命第二ビルの一階にバスの発着所があった。ビルも待合室も年季が入って薄暗い。そもそも私は「バスターミナル」というものが苦手だ。目まぐるしく発着するバスの波から、自分の一台を的確にキャッチできるだろうかと不安にな

しめかざり探訪記[9]――佐賀県佐賀市  鼓の音のするほうへ

 今回は、昨年末に訪れた佐賀県佐賀市のしめかざり探訪について書いてみる。コロナ下ということもあり旅自体を躊躇したが、この時点では感染者数が落ち着いていたので万全を期して向かった。 ■ 車窓からこんにちは  12月31日、大晦日の朝7時。羽田空港でANA451便に乗り込むと、窓には朝焼けが広がっていた。久しぶりに機内で飲むコーヒーを味わいながら、自分が本当に「旅」を自粛していたのだと実感する。飛行機も伸びやかに雲を突き抜け、2時間ほどで佐賀空港に到着した。  まず、佐賀城を

しめかざり探訪記[8]――広島県庄原市東城町 〜「おっかけ」に会いたい〜

 今回は2008年に訪れた広島県庄原市東城町での「しめかざり探訪」を振り返る。東城町は広島県の内陸部で、町の7割が標高500m以上という山間部。寒さに弱い私が、勇んで向かった理由は……。 ■ 出会い  当時、私には気になるアイドルがいた。その名は「おっかけ」。韓流スターではない。広島県東城町に伝わるというしめかざりだ。  出会いは昭和44年発行の『東城の文化』という冊子。その中に、「東城地方のしめ繩」として23点の絵が掲載されていた。よく観察された丁寧な筆致で、私にはどれ

しめかざり探訪記[7]――愛媛県松山市 記憶の中のしめかざり

■昭和50年代、三津  私は幼い頃、年末になると家族三人で父方の実家へ帰省し、祖父母とともに正月を過ごしていた。実家は愛媛県松山市にある三津という港町。昭和50年代頃のことだ。  帰省のたびに玄関先で撮影してきた記念写真が今でも数枚残っている。そこには若かりし頃の両親や、見覚えのあるベレー帽を被った祖父が写っている。祖母はいつも忙しそうにしていて、それらの写真の中には居なかった。幼い私は白いタイツを履かされていたり、ショートヘアの年もあったりで、まぁ、総じて可愛い。  そん

しめかざり探訪記[6]――福岡県北九州市旦過市場の真っ赤な出会い

 今回は、2009年に訪れた福岡県北九州市での「しめかざり探訪」を振り返る。私は12月27日に東京を発ち、福岡県を3日間で巡る旅に出ていた。行程は「能古島〜天神〜直方〜福智〜木屋瀬〜小倉」。最終日の小倉での一日を記してみる。 ■「北九州の台所」へ  12月29日。小倉駅近くのビジネスホテルで目覚め、さっと身支度をし、リュックを背負って出立。やはり南の年末は暖かくて、体が楽だ。ダウンジャケットの上に着ていたゴアテックスのパーカーを脱ぐ。  小倉駅から都市モノレールに乗って

しめかざり探訪記[5]――展覧会「渦巻く智恵 未来の民具 しめかざり」を振り返る〈後編〉

 前回に続き、東京・生活工房で開催された展覧会「渦巻く智恵 未来の民具 しめかざり」(2020.11.28〜12.27)を振り返る。今回は第1室と第3室を見ていこう。 【第1室 しめかざり時空探訪】  ここでは、しめかざりの多様性、地域性、歴史、構造などを写真やグラフィックで紹介した。 ↑第1室会場風景(☆) ■しめかざり地図  順路の最初に展示したのが「しめかざり地図」。私の20年に及ぶ調査を日本地図に落とし込んでいる。訪れた場所に印を付け、その土地で撮影したしめかざ

しめかざり探訪記[4]――展覧会「渦巻く智恵 未来の民具 しめかざり」を振り返る

 noteの更新が滞ってしまった。  言い訳になるが、昨年の11月28日から12月27日までの一ヶ月間、東京・三軒茶屋で「渦巻く智恵 未来の民具 しめかざり」という展覧会を開催していたため、その準備や事後処理に追われていた。  この展覧会では、私の20年に及ぶ「しめかざり探訪」で収集、撮影してきた資料の中から、約100点のしめかざりの実物と、1000点以上の写真を展示した。そのほとんどは私の個人資料だが、実物のうち17点は個人や博物館などからお借りした。また、解説文の執筆や

しめかざり探訪記[3]――島根県飯南町 出雲大社の大しめ縄製作  「大撚り合わせ」行事

■6年ぶりの掛け替え  2018年、初夏のある日のこと。しめかざりの関連会社に勤務するAさんから、出雲大社のしめ縄が6年ぶりに掛け替えられるという情報を得た。あの有名な出雲大社神楽殿の「大しめ縄」だ。全長約13メートル、重さ約5トンで日本最大級。まず私が思ったのは、「そうか、あの巨大なしめ縄は毎年作り替えるわけではないのか」ということ。その準備や労力を考えれば当然なのだが、個人宅のしめかざりを主に見てきた私には新鮮だった。  Aさんによると、その大しめ縄製作の最終工程であ

しめかざり探訪記[2]――山口 一筋ナワではいかない!? 小郡の丸いしめかざり

 今回は2002年12月30日に訪れた山口県小郡町(現在の山口市)の「しめかざり探訪」を振り返る。小郡がまだ新幹線「のぞみ」の停車駅になる前の話である。【前回はこちら】 ■あすは山頭火の地  私にとって、小郡といえば俳人・種田山頭火(たねだ さんとうか1882-1940)。山口県に生まれた山頭火は漂泊の人生を送ったが、晩年に6年間だけ小郡の草庵に暮らした。  私は山頭火の句が好きで句集は事あるごとに読んできたが、この草庵での日々を綴った「其中日記」(ごちゅうにっき)はなぜ

しめかざり探訪記[1]―――鹿児島  「ナンゲンノガホシイノ?」

お正月になると家の内外に掛けられる「しめかざり」。新年の福を授けるトシガミ様をお迎えする標(しるし)とされている。しかし、そのかたちが地域や家によって大きく異なるということは意外と知られていない。私はそんなしめかざりの多様性に魅せられて、この20年ほど日本中を歩いてきた。先々で書いた当時のメモをもとにしながら、「しめかざり探訪記」として振り返ってみたい。 第1回目は17年前の鹿児島から。この頃は私も若く元気だった…。 ■作り手自身による露店  2003年12月29日。午前