ノートシステムを再編成する/「ブッダという男」:「人を殺しても地獄に落ちないわけ」など/「対話のレトリック」「初期仏教」も読んでいる

12月12日(火)雨

今朝は夜半からずっと雨が降っていて、気温は高い。10時ごろ寝て3時ごろ起きたが、寝床の中でも雨音が聞こえていた。夜中に6度台まで下がったようだけど朝はずっと7度を超えていて、ストーブもつけたり消したりしている。

頭の中が整理しきれないので項目ごとにノートを作ったら30冊近くになってしまったのだが、それだと流石に使いづらいので整理を整理するノートを作ったりしていたのだけど、今朝は改めてノートの再編成に取り掛かり、結局6つのグループに分けることにした。ファイルボックスなどもかなりの数になるしPCの中やネット上はもっと大変ではあるのだが、一番手をつけやすいところから整理することにした。

そのグループ分けは、

1.自分の創造性開発 これは趣味のものというか、毎日の思い浮かんだことを書くモーニングページや、アート関連の書籍、音楽CDや書籍、興味関心のある天文・地理関係のBD(コズミックフロントやブラタモリ)、マンガ関係、アニメBDその他という感じである。こちらには持ってきてないが映画関係や演劇や歌舞伎などの舞台関係もこれだろう。自分が何か刺激を受けてそこから何かを、文章その他を作り出すきっかけになるものに関連したものという感じである。詩や小説・写真集そのほかもここに入る。

2.自分の研究関連 これは今関心があるテーマとしては知的生活、保守、アートその他になるが自分が過去に書いた作品やネット上の文章など、それに書籍整理ノート、今のところ岩波新書と岩波文庫にとどまっているが、それにきちんとつけてないので書籍の購入履歴、図書館貸出履歴などを辿って記録しておくことで、自分の考えの変化や新しい発想について書けるようにしたいという感じである。

3.自分の企画、仕事関係 これは今考えている仕事上の企画や投資関係、それに自分の仕事の経営みたいな内容。投資に近いことから保険も一応この範疇に入れようかとは思っている。

4.自分と対世界 ネットとリアルの交友関係、地元を知るための地元紙の閲覧、その他。ここはもっと広げていかないといけないなと整理しながら思った。

5.自分の生活 スケジュール帳や金銭出納帳などの日常記録、買い物メモなどの生活ノート、体調管理(整体)関係、生活環境整備の家の中の充実、状況を把握しながら整理していくための二つのノート、するべきことしたいことを書いていくノートなど。

6.自分の家とその仕事 大まかに行って父や母や親戚を中心とした人々との関係の整理、不動産などの管理、母の医療と介護の三つに分かれる。

みたいな感じで整理している。整理ノートや整理ボックスが大量に必要になるジャンルもあるしこれから頑張らないと、みたいなジャンルもあるが、とりあえずそういう形で整理しながら、見通しを持ちやすくして取り組んでいけるといいかなと思う。やりたいことややらなければならないことがあることは確かなのに何をやっていいかわからないから手がつかない、みたいなことはよくあるので、自分の活動を見える化して取り組んで行けたら良いなと思う。

やってみて思ったが、創造性というのは整理から生まれるな、ということ。つまり色々なものがわからない状態になったままだとこれをやろうという決断がつけにくいし、自分の興味も拾いやすくなる。全体がわかっていればこれもやりたいしあれもやりたいけどまずこれだ、みたいに優先順位もつけやすくなる。研究の時に学説史を整理することで何がすでに研究されていることで何がされてないのか、またすでに研究されていることでもどこに違和感を感じるのか、みたいなことが見えやすくなるのと同じで、自分の生活全体もそうやっておけば優先順位をつけながら取り組んでいけるなということだなと思った。


「対話のレトリック」6章「聞き手の感情を知る」まで読了。怒りの定義(怒りとは、自分自身または自分に属するものに対するあからさまな軽蔑、しかも、不当な軽蔑によって起こされる復讐への欲求、苦痛を伴う欲求であるとしよう)も面白かったが、「穏やかになる」ということの「穏やかになるとは怒りを鎮め、和らげることであると定義しよう」とあって、その定義に従えば「和む」とか「穏やかになる」ということがとても重視される世の中というのは、それだけ「怒りに満ちている」ということになるなと思ったりした。

実際のところのこの世の中は「怒り」に至る前の「不満」とか「鬱屈」みたいなものが多くて爆発に至る前の状態をいかにコントロールするかみたいになっているが、こういうように定義から考えてみたりするとより冷静に状況を見ることができるんじゃないかな、などと考えたりした。


「ブッダという男」は第5章「ブッダは階級差別を否定したのか」を読んでいるところ。その前の「ブッダは平和主義者だったか」のところが色々考えさせられたのだが、現在でも「不殺生」を説く仏教者が戦争や武力行使を肯定することはよくあるわけで、特に上座部におけるその正当化言説の起源がスリランカの歴史書「大王統史」にあるスリランカのアバヤ王の故事にあるというのはへえっと思った。歴史的記述がない南インド世界の古代において例外的にスリランカにだけは歴史がある、というのはどこで読んだのか忘れたが、(こういう感じで複数の同ジャンルの本を並行して読んでいると出典がわからなくなりがち)その歴史書が虐殺を正当化する言説を生んでいるというのもへえっと思った。

殺生はもちろん悪なのだが、それだけでは必ず地獄に落ちるという重大な悪ではなく、功徳を積むことで取り戻すことができるというのがブッダの考えだと明らかにされていて、これはなかなか想像してなかったなと思った。必ず地獄に落ちるのは「決定的な邪見(誤った考え)を持つこと」と「無間罪(父母や悟った人を殺したり、僧団を分裂させたり、ブッダの体から血を流させたりすること)を犯した場合」のみであるという。

つまり、両者とも手塚治虫の「ブッダ」にも出てくるのだが、大量殺人鬼のアングリマーラ(アヒンサー)であっても悔悟して修行に励めば救われる(その代わり現世で地獄のように苦しい目に遭う)が、父を殺したマガダ国王の阿闍世王はいくら功徳を積んでも地獄に落ちるのだ、と異様にはっきりしている。

手塚の「ブッダ」ではアジャセ王は地獄に落ちるというような描写はなく、むしろ「一般の人間の中にも仏は宿る」みたいな「悉皆成仏」みたいな感じで描かれているけれども、実際にはそうだったのかと思うとかなり印象が変わるなとは思った。

そのほかブッダは輪廻転生を否定していない、またそれにより階級差別も否定していない(今世は前世の因縁によるものなので差別に苦しむのは本人の責任)、階級を否定しているように見えるのはバラモン階級に対する批判のために平等を強調しているからだ、というのもなるほどと思った。

こうやって一つずつ自分の中のブッダの従来のイメージが更新されていくのはなかなかスリリングな体験で、それがこの本の眼目であるのだろうなと思った。86/221。


「初期仏教」は第1章「仏教の誕生」を読み終わったところ。章の最後に「ブッダのインド思想批判」というのが出てくるのだが、生天信仰、四無量心、解脱の主体の否定などについて書かれていて、これはいずれも後で述べられるものらしく、この時点ではあまりよくわからなかった。あとは簡単に仏伝を述べ、僧伽(教団)を作った点におけるバラモンの宗教との相違などについて述べられていて、基本的に客観的に理解が進むように書かれている。この先を読んでみないとわからないということだろう。37/221。

サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。