新型コロナ:科学における「絶対」の欠落と「我々はどう生きるか」/「対話のレトリック」:比喩と説得力/岩波新書と「湧き出ずるもの」/没入することと生き方のシンプルさ

10月27日(月)晴れ

昨日は日中岩波新書の整理などしていて、家の中にある父の残した岩波新書は大体番号順に並べ直したのだが、後になって廊下に置いてあるものがあったなと思ってそこからまた持ち出し、それをまた番号順に並べ直す、というのをやっている。夕方になってからそういえば外のプレハブの書庫にもそういう本があるなと思って探しに行ったのだが、可動式のはずの本棚が全然動かず、手が届かないところがあるので本を移動しつつ棚を使えるようにしないといけないから、かなり手間がかかるなと思ったり。

夕方岡谷に出かけて本を見たり夕食を買ったり。最近少し食べ過ぎているなと思ったり。帰ってきてネットを見たりしていたらインドにいる友人から連絡があり、iPhoneの充電をしてから少し話す。「知的生活の方法」を読んだ話など。

夜はなんとなく変に考え事に沈んでしまい、あまりよく眠れないまま4時前に起きて、いろいろやり始めた。6時過ぎにジャンプとスピリッツを買いに行き、なんとなく読んだり考え事をしたりしていたら、7時に銀行から引き落としができないとのメールが来ていろいろ確認していたら時間が経ってしまい、ブログが書けないまま9時を過ぎた。

自分なりの向かうべき方向は見えたのだが、そうなってくると今まで片付けられていないいろいろなことがまた問題となって浮かび上がってきたりして、それらも一度に片付けられるわけではないのでぼちぼちやっていかないといけないのだが、自分としては今やるべきことに集中したい感じもあり、時間や労力やお金おやりくりしながら進めるしかないという感じになっている。まあそんなことは当たり前なのだが。


ツイッターを読んでいて、京大のウイルス学の宮沢さんのコロナウィルスに関するツイートで、「数理モデル」に基づく予測とそれに基づく対策、つまりいわゆる「疫学的アプローチ」に対して、全く否定しているのを読み、これでは数理モデルを主導した西浦さんや分科会長の尾身さんなどと話が合うわけがないなと思った。疫学の数理アプローチというのはまあそういうものかと思って聞いていたが、ウィルス感染についての話は何が一番良いのかは結局まだ自分自身よくわかっていない。感染症流行という危機における科学者同士の対立は社会や政治を巻き込み、SNSでは暴言やデマや足の引っ張り合い、果ては退職に追い込まれたりなど、科学における絶対が確立していないということはこれだけの混乱を呼ぶものかと思った。

結果的に自分は4回ワクチンを打ち、一度も感染していないが、5回目はまだ迷っている。知らないうちにまた新しい感染症も話題になっているし、そろそろいい加減にしてほしいとは思うが、施設に入っている母がいるので自分自身もそう無茶なことはできないなあと思いながら、科学と社会との関わりの難しさということについては改めて感じている。

平成の大地震や津波、原発事故に始まり、伝染病の世界的流行や19世紀的な戦争の勃発、戦力格差の大きい国と武装組織の大規模な戦争など、こういうことが令和の御世、2020年代にも起こるということはあまり予想はしていなかったわけで、「我々はどう生きるか」が問題になっているのだなとは思うが、世の中の動きの中で生活や仕事、考えるべきことの基軸になることもそれぞれ変化していく。「知的生活の姿勢」そのものは変わらなくても、世の中に対して何をどうやっていくかは当然変わっていくのだけれども、まずは身体の力が重要だなと思わざるを得ない。特に目と歯と脚は大事にしないとなと思ったり。


「対話のレトリック」は第4章「比喩・ユーモア・アイロニー」に入っているのだが、あまり意識したことがなかったが比喩もまた説得力という点で大きな働きをするということを再確認した。自分が比喩を使うのは文章として魅力が出るから、とか気が利いた言い回しをしたいから、みたいな感じであることが多いが、弁論術の一端と考えると「より説得力が増す」というところがポイントになるのだなと今更ながら理解したり。確かにこういうことの基本を知らないままにネットバトルとかしているとそういうのが巧みな人たちには全然敵わないなと思う。まあバトルなどしないにしても説得力という観点をもう少しツイートにも導入したら、余計なことは言わなくなるしより洗練された感じになるかなと思ったりした。


「ブルーピリオド」は最新話から振り返って13巻からまた読み直したりしているのだが、広島編になる前のノーマークス編もとても面白いし、読んでいるうちに引き込まれてしまう。ハッと我に帰ると数時間経っているというまあよくある話なのだが、まあ没入することによってしか得られない何かもあるので良いのだけど、最近こういうことあまりなかったよなとも思う。いろいろ生き方をシンプルにしろということなのかもしれないが、まあぼちぼち自分として生きるしかないよなとも思う。

サポートありがとうございます。記事内容向上のために使わせていただきます。