斎藤知事の選挙参謀noteの炎上と選挙について考えさせられた2024年/節約志向は身体にもいい感じであること
11月23日(土・勤労感謝の日)晴れ時々曇り
朝職場に用事で車で出かけた時は少し雨がぱらついていたのだが、今空を見ると日もさしてきて天気は良くなってきた。冷え込みもそんなに厳しくはないのだが、じっとしていると寒い、という感じである。今日は外作業が少しはできるかなと思うが、だんだん冷え込んできて外で作業をする時期ではなくなってくるのだが、今年は夏が10月まで続いた感じがあり、外の仕事に良い日和、というのが本当に短くなってきているのが困ったことだなあとは思う。
昨日は午前中母を病院に連れていき、帰りに西友で差し入れや自分の昼食など買ったのだが、りんごやみかんを見ると自分が目で欲しがってしまうところがあり、つい余計な買い物をいくつかした。その後で銀行に書類を出しに行ったのだが、いつも混んでいるパン屋が並ばずに入れそうな感じになっていたので数十年ぶりに入ってみた。もうかなり売り切れてはいたが、カンパーニュなどもあることがわかったので、今度買っておこうと思う。土曜の朝のパンと柿のフルーツパンを買った。
帰ってきて昼食を食べたり、買ってきたパンを食べたりしていたら少し食べ過ぎた感じがあり、いろいろ調子が悪い。最近は節約志向で食べる量も減らし、高いものも買わないようにしていたのだが、昨日は少しは目を外した感じがあり、それが身体に影響しているのだなと思う。今の節約志向は体にもいい、ということが実感できたので、しばらく頑張ってみようと思う。
兵庫県知事に当選した斎藤知事の選挙を支援した折田楓氏のnoteが炎上していて、かなり話題になっている。
この件についてはいろいろ論点があるようなのだが、一番問題なのはこれが選挙違反かどうか、ということだろう。
この件については斎藤知事側も火消しに躍起になっているようだ。
公職選挙法の規定はかなり複雑で、何が違反で何がそうでないのか、グレーゾーンもかなりある。しかし東京都知事選挙などでN国の立花氏が掲示板ジャックを行なってそこへの掲載権を販売したり、かなりあからさまな妨害行為がその場では取り締まられていないなどの問題点も明らかになってきている。
完全に妨害行為と思われるような大音声で候補者の演説を妨げるような行為も札幌地裁の判決で表現の自由の範囲内であると判断されたこともあり、この辺りはかなり野放しになっている印象である。
選挙というのは実質的に大きなプロジェクトであるのは間違いないわけで、ただそのプロジェクトを業者に委託して金銭を払ったら場合によっては公職選挙法違反になるというバグが今回表面化したということなのだなという気がする。この業者が都知事選では安野さんについたけど当選はできなかったが、今回斉藤さんについて成功したから嬉々としてnoteで戦果報告をしたら、そこに問題があるのではないかという指摘を受けているようである。
今までも「軍師」がついて当選させるなんてことはいくらでもあったわけだが、そういうのは言わぬが花だというのが定着していたのに新しい感性でやろうとしたら遵法意識が抜けてました、ということだったのかなと思う。
米大統領選のあれだけ派手な動きを見てきたら、選挙でお金はいくらでも動いているのは有権者も感じるだろう。しかしそれをそれを表に出したらダメだというのは選挙の玄人でないと見落とす点だったということなのかなと思う。
営利企業が選挙に関わると、仕事をして報酬を得ないと株主に背任になるし、得たら公職選挙法違反になるケースも考えられる。資本主義と民主主義が完全にバッティングしているのが面白い。
選挙参謀はあくまで個人としてボランティアで参加しないといけないということだと思うのだが、それでは彼らはどういう形で報酬を得ているのか、というのは確かに気になるところではある。
この件、あまりにも今まで公然の秘密だったことを無防備に全部曝け出しているという印象があり、かなり面白い感じでになっているということなのだろうか。今のところ、それぞれの関係者や観測者の発言も割と本音に近いレベルのものがポロポロ出てきていて、この件を観測するには今が一番旬だという感じがする。状況が整理されてくるとそのうち誰も皆ポジショントークしか言わなくなってくるだろうし。
この件について発言している弁護士の方のツイートを読んでいても、専門外の人にはあまりよく知られていない論点などもあるのかなという気はする。
実際には高度に専門的な領域なのだと思うのだが、選挙というのは民主主義を成り立たせる最も重要な制度でもあるわけで、投票する私たち国民一人一人も「現在の規定で何が違反で何が違反でないか」「何がグレーゾーンなのか」「理想としてはどうあるべきで、現実として不公正にならないための仕組みはどういうことが考えられるのか」など考えるべきことは多いなと思う。当然ながら、有権者の一人として関心を持つということは必要だろうと思う。
また、広告会社などにしてみたら、広告戦略がうまく行って当選に至ったらそれを実績として誇示したいという気持ちも資本主義的にはもちろん理解できる。しかしここは先に言ったように民主主義と資本主義がバッティングするところであり、さまざまな守秘義務などもnoteで明らかにされた範囲が違反していることはないのか、その辺も今後問われてくるようには思う。
それにしても今年は東京15区補選に始まり、都知事選・衆院総選挙・兵庫県知事選と選挙について考えさせられる一年だったなと思う。