雪かき/「セクシー田中さん」をめぐる小学館の対応に対する漫画家さんたちの怒りと悲鳴/巨大な同族会社という体質と実写ドラマ化拒絶などのコンテンツ産業全体への影響

2月8日(木)晴れ

昨日は午前中松本に整体に行き、ようやくだいぶ調子が整ってきた感じはする。9時に家を出てから「あれ、高速開通してたっけ?」ということに思い当たったのだが、もし下道行くようになったら場合によってはキャンセルかなと思いながら走っていたのだけど、思いのほか車が少なかったせいもあり、インターまで行ってみたら普通に走れることが分かったので、ほっと一安心。予定時刻には余裕を持って間に合った。新宿で7時間待った話などし、「身近にそういう人がいると大雪を実感しますね」と言われてまあそうだよねと思うなど。その前の特急に乗って途中で立ち往生し、車中で一昼夜過ごすとかになる可能性を指摘されてみると、まだマシだったかなと思ったりもした。そういう人たちがいたかどうかはわからないが、運行状況を考えるとあり得なくはない。

ただその影響で目が疲れて(車内でスマホばかり見ていたため)体が冷えた(車内の暖房は暖気が上に上がる)ようだ、と自覚していた通りのことを指摘されて、まあそうだよなあと思った。体調を自覚する上でも整体を受けるのは自分には必要なことだなと思う。

終わった後松本市内に走るが、やはり普段より車は少ない印象。丸善の近くの駐車場に止めて中田考「イスラームから見た西洋哲学」を買う。2冊目だが、読みかけのこの本を東京の自宅に置いてきたようなので書い直した。それからバスターミナルの地下のデリシアで昼食の買い物をし、いつもはもう少し他のところも行くのだが、昨日は雪もありやることもあったのですぐ帰ることにした。

インターを降りてからの下道はそれなりに混んでいたが、やはりいつもよりは空いている印象。国道20号と高速の除雪は済んでいるが少し横の道に入るとまだ路面が固い雪のままだったりする。国道から高速に接続する道ですらそういう状態だったから、あまりで歩きたくない人が結構いるのだろうなとは思った。

家に帰ってからとりあえず昼食を取り、家の前の雪かき。文化的でないモノホンの雪かきである。早朝だと凍結していてできないので昼頃にやるのがリーズナブルなのだが、昼ごろでもまだやりにくいところはあり、そういうところは残っている。それから作業場へ行ってまた雪かき。一番大変なところはやってくれてあったので作業場への出入り口と自分の車の出し入れに必要なところだけで済んだ。必要なものを作業場に置いてすぐ銀行に出かけ、会計の準備のために通帳を数冊記帳。職場に出るが、長靴を履いていけばもう少し駐車場周りの除雪ができたのにと思ったのだけど革靴で行ったのでそれは断念した。

まあ今書いている部分は日記なのだけど、なんだかんだ言って文章を書くのは時間がかかる。今朝車で出かけてヤンジャンを買いに行き、職場の資源ごみを出したのだけど、もう今は7時前で、あっという間だ。


「セクシー田中さん」の件、昨日は新たに進展があった。なんと小学館が今回の件で公式に社外に発信することはない、と社員に伝えたという。この件に関しては日本テレビだけでなく小学館にも問題があるのではないかと思っていたが、これはそれを明確にしたことのように思える。

当然ながら、多くの漫画家さんから悲鳴のような、怒りのような声が多数出てきて、タイムラインのかなりの部分がそれで占められるような状況になった。編集者さんたちも疑問の声をあげているし、社内でも抗議したり直訴したりする動きもあったようだが、その後新しい動きは感知できていない。

これは問題を起こした企業としてはかなり信じられない、というか悪手の対応だと思うのだが、つまりは小学館としては「自分たちには問題はない」と考えているということだろうと思う。つまり、問題は芦原さんがSNSで発信したことであり、それを受けて個人攻撃等が発生したことであって、小学館と日本テレビの対応には問題はなかった、という見解を示したということになるわけである。

これを受けて、芦原さんの死によって動揺していた漫画家さんの間でもさらに失望が広がり、編集者たちもこの対応はないだろう、という声が多く上がっている。小学館から作品を出している人たちも「こんな状況では宣伝ができない」と呟いたり、初めての本の出版を控えている作家さんからは「小学館から本を出すこと自体に不安を感じる」という声も出ていて、全く作家や漫画家に配慮がない出版社であるという印象を持たざるを得なかった。

「最後まで後ろから撃ってくる相手を信じられるか」という漫画家さんのツイートも読んだけれども、本当に今のままでは芦原さんは浮かばれないと思わざるを得ない。

ということもあったので、小学館という会社について改めて考えたり調べてみようと思った。


小学館というのは、最初に知ったのは学年誌の「ようちえん」だったと思う。(感じだったかもしれない)机に座って本を読んでいる小学館のマークは、その頃から見慣れていて、初めて会社名を覚えた会社だったように思う。

「小学館」という名前もあり、子ども(小学生)のみかた、という印象があった。われわれの世代では小学館の学年誌と学研の「学習と科学」を買うのが割と一般的だった。手塚治虫の「不思議なメルモ(最初は「ママアちゃん」という題だった)」や藤子不二雄「ドラえもん」なども最初に読んだのは「小学三年生」あたりではなかったかと思う。「ドラえもん」は学年によって掲載内容が変えられたりしていて、かなり手が入っているなと思ったし、「発売日が待ち遠しい」という感情を最初に持ったのも学年誌だったと思う。

そんな感じで、こちらとしては勝手に親近感を持っていたのだけど、今回の経緯はそれを裏切るものだったなと思う。

「小学館の体質」を指摘する漫画家さんたちも多かったので、小学館という会社について少し調べてみた。周知のように、小学館は「一ツ橋グループ」と呼ばれる出版コングロマリットのトップの会社である。グループ内にはそれ自体が巨大な「集英社」があり、講談社をトップとする音羽グループやKADOKAWAをトップとするKADOKAWAグループと並び立っていて、傘下の主な会社としては他に白泉社や祥伝社がある。

この小学館は初代社長の相賀武夫(1897-1938)に始まり、現在4代目の相賀信宏氏(1983-)が継承している同族会社である。同じ出版社では講談社も初代の野間清治(1878-1938、「面白くてためになる」というキャッチフレーズで知られる)に始まり現在は7代目の野間省伸氏(1969-)が継承している同族会社だし、KADOKAWAも初代の角川源義(1917-75)に始まり2代目の角川春樹氏(1942-)、3代目の角川暦彦氏(1943-)など個性的な経営者を輩出し、現在はオリンピック疑獄もあって社長を退いているが、基本的には同族的性格が強い会社だと言えると思う。

だから同族会社だからといって即良くないということではないとは思うが、やはり古い体質みたいなものはあるのではないかということは思った。今回の判断は最終的には当然ながらそうした中枢部の判断だと考えるべきだろう。まあそんなことは出版関係者なら結構「誰でも知ってる」ような話ではないかと思うし、「あの会社ならそういうことをやりかねない」と思われているというのも、やはりあまり良くないことだろうと思う。

作家や読者が納得できる対応をしていたら「会社の体質」まで問題にされるようなことはなかったと思うのだけど、こうしたことが出てくると痛くない腹を探られる部分も出てくるだろう。今からでも遅くはないので、現代の常識に沿った良識的な判断をしてもらいたいと思う。

すでに「自分の死後に自分の小説作品の実写ドラマ化は全て拒否する」と宣言する作家さんも出ており、日本のコンテンツ産業全体にかなり大きな悪影響を与える可能性も出てきている。

「作家に寄り添う」という姿勢を示すなら、今回の芦原さんのことに関して、経緯を明らかにすることから始めるべきではないかと思う。

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※東スポに掲載された小学館のオンライン説明会の記事があまり読まれていないということなので、追加しておきます。こちらの方がより具体的に内容が伝えられています。東スポは最近、良い記事が多いですね。


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