「天下の大勢の政治思想史」を読んでいる:古事記を読めば日本がわかるというロマンティシズム/朱子学者は勢いを重視しない
10月16日(日)曇り
いろいろなことがありいろいろなことがあるわけだが、少し時間があったので昨日は濱野靖一郎「天下の大勢の政治思想史」(筑摩選書)を少し読めた。
丸山眞男の古事記の記録をもとにした「日本の政治風土」論は、自分が考えた「日本の保守の拠り所」のようなもの、西欧の「創造主的宇宙観」に対する「初発的宇宙観」の根拠となる古事記冒頭の記述に注目しているところから、自分の思想との照らし合わせみたいなのに少し時間がかかってどう評価すべきか迷ったので少し読みを中断していた。
ただ、自分の考えはさておき古事記解釈が現代のように進んできた大元になるのは本居宣長の古事記解釈であって、丸山もどれくらい意識したのかはわからないが本居宣長の解釈に準拠して話を進めているように思われる。だから本来は古事記が書かれて以来の古事記解釈の変遷を追った上でその議論を展開すべきなのだが、宣長以来の解釈のみに偏っているという著者の指摘はその通りだと思った。
だから自分がこの問題について考える時も、宣長以前の古事記の解釈史をきちんと踏まえた上で考えなければならない、という認識を得られたのはとても良かったなと思う。
振り返って丸山の解釈を考えると、結局は江戸時代後期の「やまとだましい」論の向こうに「日本は古来ずっとそうだった」という幻影を見ているに過ぎないということになる。「古層」の研究自体は意味はある、というか自分もそれをやらなければと思ってはいるのだけど、丸山のアプローチは太安万侶から本居宣長までの1000年間の解釈の歴史を飛ばしているところに問題があると言えるだろう。
ただ、これはある種の時代的風潮みたいなものもあるかもしれない。「古事記に書いてあるから日本人はずっとこうだった」とか「吾妻鏡に書いてあるように日本人はずっと野蛮」みたいな議論は、現在ではあまりまともに取り合われな口なっている。歴史学的な視点を入れると、哲学者の梅原猛の議論と同様、政治学者の丸山眞男の議論は足りないところが目立つということにならざるを得ない。
逆に言えば、丸山の議論が受け入れられたのは、「古事記に書いてあるから」「万葉に書いてあるから」日本はこうなんだ、みたいなロマンティッシェな議論が通用した古き良き時代ということはあるのかなとは思う。ただ著者の言うようにこうした議論は「仮説」の域を出ないと言うべきだろう。古事記に書いてあることだけを根拠に「日本人はユートピアもよりどころたる伝統も持たず自然法的規範を排除し成り行きと勢いでつぎつぎに続けてきただけの民族だ」という自己イメージ像をつくるのは、やはり乱暴な議論のように思える。
ただこうした丸山の議論も、江戸末期以来の日本の国家イメージに国体論的なバイアスがかかっていたからそれ自体を研究対象にしにくかったことを考えると、丸山がそれを批判するために古事記から見なおそう、と考えたこと自体は理解は出来る。ただやはりその分野には素人だからその限界が来た、ということなのだろう。
今までこの辺りを考えたこととの関わりで言えば、もともと「大和心」「大和魂」と言うのは源氏物語や大鏡にも出てきていて、「源氏」の「少女」の中で使われている「からごころ」「やまとごころ」は漢学的な規範重視の思想とそれを実務面でどうさばいて行くかという対応力重視の思想の対比なのだけど、当然ながら規範の確立と実情への対応というのは常に両方行われてきたことで、「規範」より「現実の状況を過大に評価してそれだけを考える」「勢いがすべてだ」になってしまう危険みたいなものを見なおそうというのは意味のあることだろうと思う。この辺りは宣長の源氏研究にもあるのかもしれないが、まだ確認していないのでよくわからない。
しかし、歴史を見る中で「勢い」を重視する見方があるのは、変動期の歴史に対してはままあることで、日本に限った話ではないので、そういうことの日本における状況を対比しつつ見直していくことは意味のあることだろう。フランス革命に関してはフランスの歴史家の左派のルフェーブルも右派のフュレも「事物の勢い」に関心を示している。
それでは「勢い」と言う意味での「大勢」を重視する思想がどこから出てきたかと言うことについて著者は改めて思想史的に振り返っているのだが、この辺りは知の冒険というか大変面白くなってきている。
まず幕末の思想家たちの「天下の大勢」を論じる姿勢の根本として、著者は朱子学まで帰って考える。江戸時代の官学はいうまでもなく朱子学であり、武士たちが学問を修めるということは基本的に朱子学を学ぶことだった。そして朱子学には大義名分論や華夷の別、尊王攘夷論など明治維新にも大きく関わってくるし相対系があることも周知のことだろう。
しかし、その朱子学の思想では「勢い」は重視されていなかった、と著者は指摘する。朱子学は根本的に原理原則を重視し、物事それぞれの「理」を理解するー物事がそうである所以と物事のあるべき姿を理解するーことによって豁然と全てに通じ、知に至る。それは経書に書かれている真実を知り、人としてあるべき姿である「礼」に則って行動すれば良い、ということになる。
「人の世の真実の姿」と「人として行動すべき規範」さえあれば、その通りに行動していれば恐れるものは何もない、という考え方であり、これは道学先生の議論だと嫌われる元でもあったわけだが、原理原則が分からなくなり相対主義が跋扈する現代にあって、「どう生きたらいいかわからない」人が溢れている現状を見ると、そうした指針自体があることはある種の人々にとっては救いではあるわけで、これは思想というもの、あるいは宗教というものが人々を捉えて離さない理由の一つでもある。ただどんな思想であってもそれが示す「真実」はある意味一面的なものであり、「行動規範」も他の思想を持つ人から見れば非合理的で意味不明のものだったりすることはよくあるし、それが「聖戦」的なものにまで発展すると世の中に害を与えるものになりかねない。
そういう意味では、日本の「勢い」を重視する考え方のようにその場その場で最も合理的と考えられる方向を選択していくという考え方も良いところはあるわけで、それがある種の思想的な方向で硬直化した昭和初期に問題が起こったとも言えるわけで、「勢い重視の問題点」よりももっと違うところを考えるべきなのではないかとは思う。
ただ、多くの日本の左翼が「天皇制」のイデオロギー的な問題点にのみ着目したのに対し、政治学者の丸山が「勢い重視の日本」の問題点の炙り出しに着目したこと自体は注目すべきだと思う。
朱子の思想では述べてきたように重要なのは原理原則であり、「大勢」は客観的な現実認識の側面のみに限られているが、朱子学はこの言葉を使ったこと自体に幕末の思想家たちが正当性の根拠をおいたというのはなるほどと思った。
朱子に対する分析に続けて趣旨学者新井白石の「天下の大勢」という語の用法について分析がなされているが、これも基本的には朱子と同様の「現実的な世界の状況」という意味として使われていたとする。ただ、まだ先を読んでいないからわからないが、白石は朝鮮国の日本に対する対応の二枚舌外交について朱子学者として批判していて、その辺りが幕末の思想家たちの朝鮮観に影響を与えているのかなというふうには思った。
「勢い重視の儒者」というと自分が思い当たるのは陽明学者の大塩平八郎なのだが、この辺りについて触れている部分があるのかどうか、その辺についても読んでいきたいと思う。
少し詳しく書きすぎた感はあるのだけど、この本では知っていたことと知らなかったことの割合がとても絶妙で、少なくとも門外漢の自分にとってはとても興味深い。
第二次世界大戦の時の日本が「なぜああだったのか」ということに関してはさまざまな研究がいろいろな角度からアプローチをされているけれども、イデオロギー色の強い「研究」を除いては「天皇制」の思想の問題というよりは当時の日本の「制度」や「意思決定システム」、「状況認識」「社会システムと軍や政府の構成の問題点」などに対する指摘が説得力を持つようになってきていると私などは思っていて、こうした「天下の大勢」というものを重視した姿勢が近代日本の一つの特徴であるということがこのあたりにも関わってくるのではないかというのは刺激的なアプローチであるなと思う。
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