買い物カゴをのぞいて話しかける人/文化体系としての神話体系/のび太とドラえもんのような大国主とスクナヒコナ

1月12日(金)晴れ

今朝は冷え込んでいる。今の所の最低気温はマイナス6.8度。昨日は夜から冷え込んでいる感じはしたが、朝は今時期らしい寒さ。諏訪湖といえば御神渡りが有名だが、諏訪湖が凍るためにはマイナス10度まで下がる日が数日以上続かないといけないので、まだまだ御神渡りまでは遠い。つまり御神渡りができるということはめちゃくちゃ冷え込むということなのでそれはまあ辛いと言えば辛いというジレンマはあるのだよね。

昨日は午前中松本に出かけて体を見てもらい、2月の予定を入れていなかったのでそれを取ったり。まあ思ったより悪くない感じだったから少し安心して、なぎさライフサイトで本を見たり便箋を買ったりお昼を買ったり。スーパーツルヤは面白いものが売っていると人気だと姪たちが言っていたが、やはりへえっというようなものとを時々置いてあって、鯖節と青さのふりかけみたいなのを買い物カゴに入れてレジに並んでいたら、後ろのおばさんがいきなり「これ美味しそうね」と話しかけてくるので「美味しそうですよね。ふりかけのところにありましたよ」と言ったらなんだかいろいろ言っていた。人の買い物カゴのぞいて話しかけてくる人は江東区では下町だからか何回か遭遇したことあるが、松本で遭遇したのは初めてだ。

「アマテラスの誕生」。日本書紀では弥生時代からの神話体系=イザナミイザナギからアマテラス、オオクニヌシの体型が「神代一」に書かれていて、それが「神代二」のタカミムスビ系の天孫降臨・神武東征神話に接続している、という整理はわかりやすいというかそのまんまだと思うのだけど、文化体系だけでなく神話体系自体が北アジアから朝鮮半島を通って日本に到来したというのはなるほどとは思った。その時にも渡来人がかなりあったことは確かなわけだが、弥生的風景の神話と古墳的というか大和朝廷的な風景の神話というのはやはり違うなという感じはある。卑弥呼の死の時に大いに塚を作ると魏志倭人伝にあるが、「古墳を作るという文化」は伝わったものなのかどうか。前方後円墳は日本のものといわれているけれども、その間にある権力機構の集中度合いというのがいつ頃どのように強まったのかはやはり関心がある。

銅鐸は弥生文化の象徴的存在だが、6世紀頃の記述で銅鐸が出土したが何に使うものか誰もわからなかった、というのがあり、多分200年くらいしか経ってないのにそれだけはっきりとした文化断絶があるというのも不思議だなと思う。青銅器時代の弥生と鉄器が導入された大和朝廷時代。

支配層自体が大規模に日本列島に侵入して大和朝廷を立てたというのがいわゆる騎馬民族説だが、これは様々な観点から現状否定されているので、「一神教的なきたアジアの神話体系=タカミムスビ系神話」が導入されて半島諸国と対抗した、というのはまああるかなという気はする。確かに日本の中をまとめるだけならオオクニヌシが日本中の女神と関係を持ってそこら中にオオクニヌシ系の神様がいる、という話で済んでしまうが、半島諸国と対抗するためには武威を持った神話が必要になったということなのだろうと考えると納得はできるなと思う。それが天孫降臨=神武東征神話だというわけである。

オオクニヌシの国づくりに協力した神はスクナヒコナだが、彼は常世の国からやってきてオオクニヌシに協力したあと、粟茎に弾かれて常世の国に帰ってしまったといわれている。それを大国主が嘆いていたら東方から光り輝く神がやってきて、私はあなたの幸魂・奇魂である、と言って大物主神として三輪神社に祀られる、みたいな神話があるわけだが、これはなんというか考えてみるとのび太を助けるためにドラえもんが未来の国からやってきたがある時未来に帰ることになり、のび太が泣いていると「もともと君が持っている力が君を助けていたんだよ」と教える、みたいな話だなと思った。日本はのび太とドラえもんの力で作られたわけである(違う)。

大神神社(三輪神社)は知られている通り箸墓古墳のすぐそばで、そこには纏向遺跡もあり、卑弥呼の伝承とも関わりがあると考えられ、12代景行天皇陵などもあることから初期王権はこうした弥生神話をイデオロギーとした成り立ちを持っていたというのはなるほどと思った。11代垂仁天皇に関する田道間守の伝説も、常世の国が出てくるということもあるけど弥生時代的な感じのする話ではある。

日本思想の起源としての神話分析は興味深い。114/223。

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