真冬日/自分を振り返るのに必要な本/今読みかけている11冊の本:「フランクフルト学派」「エリートたちの読書会」「日本一の農業県はどこか」など
1月25日(木)晴れ
昨日は最高気温がマイナス0.5度で真冬日だったが、今朝の最低気温はマイナス5.7度でそんなにすごく寒いというわけでもない。昨日はお昼頃松本にいて、道路脇に気温表示がマイナス2度と出ていて驚いてアプリを見たらマイナス2.2度とあり、どうやら松本の方が寒かったのだなと思った。
昨日は9時ごろ出発して松本へ整体の操法を受けに出かけた。行きは道路が空いていて、また信号もなぜか全然引っ掛からなかったので思ったより早くついた。汗の処理がうまくできていなかったと言われ、考えてみたら東京へ行った時に暑いなと思って汗をかきながら歩いていたことを思い出し、切るものの調整が難しいのだよなということを思い出した。あと、最近うたた寝がクセになっているのだけど、やはり良くないという話を聞けたのが収穫だったかなと思う。とはいえ、結局昨日も寝る間に少しソファに横になったら眠ってしまっていて、クセを治すのは難しいなと思った。
整体の帰りは普段はなぎさライフサイトのツタヤやつるやに寄っていくのだが、今日は思い立って中心街まで行くことにし、国分町のノーザンパーキングに駐車して丸善へ行った。
人文書のあたりは書籍の入れ替え中のようで、特に買うつもりはなくベンヤミンとか見ていたのだが、歴史のところへ行ったら池上俊一「歴史学の作法」(東京大学出版会、2022)という本があって、立ち読みしてみるとアナール派やメンタリティの歴史についての意義が強調されていて、そのあたりのところがやはり自分が大学で何をやったのか、やろうとしたのかについてもう一度振り返りたい、何を理解し何をわかってなかったのかを確認したい、という感じがあって、この本はそれについて整理するには一番良いのではないかという気がしてきたので少し高かったけど買うことにした。
今は自分のやってきたことを振り返りたい、整理したいというのが割とテーマになっていて、いろいろな意味でやりっぱなしになっていることがたくさんあるなと思うのだけど、そういうことを振り返るために読むと役に立ちそうな本というのはやはりあるなと思い、なんだか新しい本の読み方のような気もした。
帰りはバスターミナルの地下のデリシアで昼食の買い物をし、帰りも車の流れは基本的に順調だったが、岡谷インターで降りた後の20号は結構混んでいて、帰ったのは12時半ころになった。昼食を食べて一休みしたら2時半ころになり、少し作業場に行ってマンガの整理などした。
読みかけの本の整理などしていたのだが、とりあえず今読みかけの本、と認識できるものだけで11冊あった。もちろん読み切ってないほんというのはもっと大量にあるのだが、とりあえず今そう意識されているものをちょっと上げておこうと思う。まあこれは自分向けのメモなのだけど、こういうことも案外自己紹介みたいなものかもしれない。
廣瀬匠「天文の世界史」50/248、集英社インターナショナル新書。望遠鏡の開発のあたりのところで止まっている。これはかなり前に止まっていたものを一昨日手に取ったら面白そうだと思って読み始めたもの。
細見和之「フランクフルト学派」86/231、中公新書。今メインに読んでいる本だけど、ベンヤミンの残した断章のような記述の解釈のあたり。思想家の書いた文章をどう解釈するかというのは割と難しいところがあるわけだけど、こうなるとその内容もある種の事実の記述というよりは創作の解釈のようなもので、書かれている文章のルール自体を見つけながら読まなければいけないわけだから、それを理解するためには特にベンヤミンのような複雑な背景を持つ人の記述は膨大な探るべき範囲があるわけで、なかなか骨が折れる作業だよなとは思った。
村上陽一郎「エリートたちの読書会」。この本はアメリカのエリート教育の伝統に「偉大な本をよめ」みたいな考え方があり、それを勧める「アスペン研究所」というのがあって、その日本支部が提案している本を紹介する、みたいな内容のようだが、(村上氏は自分が駒場で講義を聞いた先生で、とても明晰でわかりやすかったのだが)この本の記述は少しわかりにくいところがあるなと思った。今読み返してみてこれか、と思ったのは、「エリートとは何か」というものであって、つまり欧米では「エリートとは神に選ばれたもの」という感覚があってそれなりに広く社会に受け入れられている考えだ、ということを前提としているからだなと思った。要は階級社会を前提にした考え方だけど、日本は少なくとも階級が現在では不可視化されている社会なので、それは論じにくいテーマだということなのだろうと思う。ただ欧米社会、つまりは国際社会を理解するためにはこの「エリート」というものを理解することは必要なので、またこの辺は改めて取り組まないといけないなと思う。そういえば山口周「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」(光文社新書)も読みかけになっているということを思い出した。
つまりはこの本はブックガイドなので、気になったのは名著逍遥5として示されているアレクシ・ド・トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」なのだが、記述自体は17ページほどで自分が読んだのは3ページくらい、というところ。しかし今書いてみて本当に取り組むべきは「エリートとは何か」ということだなと思う。日本も戦前には(知的にしろ政治的にしろ経済的にしろ)エリートというものは明らかに存在したし、今でも見えにくくはなっているけれどもある程度は存在するのだろうと思うが、どこの国でも今はエリートというものの評判は悪い(トランプ現象などはその典型だろう)にしても日本においては「上級国民」などという揶揄とともに語られるそれらは良いものとは考えられてない感じはする。アカデミアにおけるフェミニストの跳梁跋扈などがエリートの腐敗として捉えられることは多いが、実際には「彼女らを庇護しているもの」こそが本来の意味での「エリート」なのだろうと思う。それが実体のあるものかどうかはよくわからないのだが。
馬場紀寿「初期仏教」156/221、岩波新書。これは去年来の「ブッダという男」との関連で読んでいるのだが、四聖諦と縁起の構造、つまり肝心のところで読みが止まっている。「ブッダという男」で批判されている部分だと思うのだが、どうも少し関心が薄れているのでまた取り組む気持ちが起きてからにした方がいいのかもしれない。
高坂正堯「歴史としての二十世紀」22/229。これも昨年評判だったから読み始めたのだが、どうもいまいち読み進められていない。著者が界隈で評価が高い人なのだけど、最近外交や国際関係のプロが書いたような本がどうも読みにくくなっていて、その理由がよくわからないのだけど、一つ一つ丁寧に読むよりも全体に言いたいことを把握していくような読み方の方が読めるかもしれないと思った。まあ物事を理解する緊急性が感じられないものは特に興味があるものでないとなかなか読めないということはあるなあとは思うのだが。
向坂寛「対話のレトリック」134/190、講談社現代新書。これも去年からずっと読みかけになっているのだけど、アリストテレスの推論の技法みたいな話が途中になっている。これもその技法の必要性があまりよく理解できてないから止まってるのだろうなと思う。
溝口睦子「アマテラスの誕生」160/223、これは一度読了しているのだが、天照大神や高皇産霊命、素戔嗚尊のような建国神話上の神の位置付けの話をもう一度確認したいと思って読み始めた。要は日本の国体に関わる話であるわけだけど、神話的な立場からはどうなるかとか。これは北アジアの神話の話と繋がってきているのだけど、テュルクの神話の話を読んでみてあまり重ならなかったのでちょっとどう読むべきか迷っている部分が出てきて読めなくなったというところもあるなと思った。
森本泰正「日本のクラシック音楽は歪んでいる」98/237、これは日本の近代における西洋音楽の受容のところはとても面白く読んだのだが、明治以前の邦楽に関する分析のところで引っかかってしまい(作曲者がほとんど盲目の当道座の人だったという指摘)、なんとなく読む気が失せてしまっている。音楽教育の問題とかは自分も感じてはいるが、自分の死命を決するような問題ではないのでちょっと疑念が湧くと読みにくくなるのだなとは思った。
養老孟司・茂木健一郎・東浩紀「日本の歪み」54/269。これも読んでいるうちに引っ掛かることが多くて読みが止まるというパターン。「自由意志は存在するか」という話に三人とも否定的になっていて、これは法学、特に刑法の人が読んだらどう思うかなと思ったり、また東條英機をアーレントの言う「凡庸な悪」だと指摘して済ませていて、これは同意するかどうかはともかく田野大輔氏らが「アイヒマンは凡庸な悪ではなかった」という指摘をしている中での対話だから、それについての見解は示されるべきだなと思ったりした、みたいなことが引っかかってしまっているなと思った。
池上俊一「歴史学の作法」3/271、東大出版会。これはまあまだちゃんと読み始めていない、ということなんだが、自分にとって割と大きい問題を取り扱っているので、腰を据えて読まないといけないなとは思っている。
で、今一番読んでいて面白いのが山口亮子「日本一の農業県はどこか」(新潮新書)なのだが、昨日は40/260ページまで読んだ。
1円の農業予算が生む農業産出額、すなわち農業行政の効果の高さで第一位は群馬県。以下関東6県が10位以内に入り、そのほかでは宮崎、青森、鹿児島、長野。いずれも特徴的な商品作物のある県だということになる。関東が強いのも商品化に成功しているということだろうな。農水省がカロリーベースの自給率を重視していることが農業の全体像を、というか農家のリアルをみえにくくしているのだと思う。
この本に関しては面白いところがたくさんあるので、稿を改めて書きたいと思う。
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