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頼れるものがなくなった時

♪たとえばきみがきずついて

くじけそうになったときは



あなたのそばにいてくれる人は誰かいるでしょうか。

いや具体的にいえば、話を聞いてくれる人はいるでしょうか。

彼氏彼女じゃなくていい、友達でなくてもいい、親でなくてもいい

学校の先生とか、カウンセラーとか、いや床屋のおっちゃんだっていい

...。


――――――

大学生でカウンセリングを受けてたことがあったり、論文で自助グループ(初めて聞いた人はググって)を扱ったこともあって、なにかと依存症に縁がある生活だった気がする。

noteを書いている人は、多分そういうのに理解がある人が多いんだろうなと思いつつ、でも冒頭のイントロが頭の中で流れてしまったので書く。


僕の好きな漫画で、依存症について次のセリフがある。

人は人を頼らなければいきていけない。(中略)つまり『酒』ではなく、本来の、『人』に頼って生きる方法を何とか見つけない限り、いつでも簡単に元の生活に戻ってしまう。(『健康的で文化的な最低限度の生活(6)』より)

依存という言葉は、依存症の存在からネガティブなイメージが持たれがちだと思う。ただ、それに似たようなもの、「特にやりたい欲求があるわけではないけど、とりあえず暇つぶしにやるもの」は人生に不可欠だと思う。

例えば休日。特に予定もなくて暇なとき、じゃあスポーツしようとか誰かと飲みに行こうとか。でも、外に行けない状況だったり、そもそもそういうコミュニティがなかったりして、じゃあ一人でやれることを探すかってなる。

読書とか、なんかの作業でもいい。何かしらの行動を探せばいい。


でもすぐそこのコンビニには酒が売ってるし、車で少し走ればパチンコ屋もあるし、いやそもそも手元にある携帯を触れば、ゲームだって動画だって、果ては性的コンテンツだってなんでもある。僕を狂わせられるものはたくさんある。


退屈なのは、寂しいのは苦痛だ。
だから何かやりたいな、面白いことないかな。

...。


本当なら人に頼るべきだ、若いんだから人と遊ぶべきだ、彼氏彼女でも作って愛し合ってればいい。新しいコミュニティに参加して、知り合いを増やせばいい。でもそうじゃない奴がいる。そうじゃない時もある。

そういう時のために、自分を害さない方法で癒す方法が必要なのだ。荒れ狂う社会に飛び出す前に、探しておく必要があるのだ。

今のうちに、今のうちに、どんな方法があるんだろうか。

未来の僕が壊れないように、自分を知っておかなくては。

焦るばかりである。


つばめ

――――――――

↑友人知人に同じような問いをしたら、「寝るのが一番いい」の回答ばかりでした。なので自分でお金を稼ぐようになったら、めっちゃいいマットレスを買おうと思います。なんかもう飛び込んだら二度と出たくなくなるようなやつを。

あと真面目な文章を書くと、変なことを考え出してしまって手が動かないので、次はごみの掃きだめのようなものを書こうと思います。

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