久しぶりの休日にゆっくり歩きまわってゆっくり思考した話

昨年宮崎では「ミヤザキコーヒーマップ」なるものがにわかに話題になった。県外経験のある20代の若者が中心となってつくられた冊子で、何もないと言われる宮崎の街中にも「ちゃんとカルチャーがあるんだよ」「おもしろい人がいるんだよ」「おもしろいことやってんだよ」というのを伝える目的で発行されたらしい。街中に点在するスペシャリティコーヒーを扱うお店たちを取り上げ、そのお店たちを巡ってもらうことで自然と街を探索してもらおうという狙い。

僕はこういうコンセプトは好きだし、これからもこの運動を応援したいと思っている。

しかしまあ、市街地にある全てのコーヒー店をピックアップしている訳ではなく。どうしても制作陣のフィルターが入ってしまうので「抜け」が発生してしまう。別にそれ自体は悪いことではない。

コーヒーマップが取りこぼしているであろう&コンセプトから外れるため取り上げられないカフェや純喫茶を練り歩いて自力で探す作業は楽しいね。

つか、市街地の徒歩圏内(@僕の大股開き調べ)にこんなにあんのか⁉︎ってくらいあるわ。生態系はすでにあって、それを知らなかっただけ。

「環世界」って概念があるけど、人はそれぞれその人の主観的な世界、その人の関心や価値観に強く影響されて独自の世界をつくりだしている。その独自につくられた世界が、その人にとって存在している世界のすべてである。なので、ほかの人には見えているのに自分には見えていないなんてことがざらに起きる。

この環世界を越えていくこと、もしくはつくりかえていくことって定期的にやった方がいいな。体の凝りがほぐれるように頭の凝りもほぐれてくる。

それはそうと、「そこにあるのにみえてない」ことを顕在化させるほかに、「そこにあるのに無いことにしている」ことが"ある"事態を自覚した方がいい。

それをなんとなく分かったのも、歩いていたからであって。そのスピード感で動かないとまだまだ見えないことはたくさんある。そしてスピード感に比例した移動距離も重要だ。同じ1秒でも、徒歩や自転車、車では距離感と一度に情報として入ってくる景色が違う。経験の強度がそれぞれ違う。目線の自由度だって。

ちょっと話はとんで、マガジンハウス系の雑誌の地方特集で、コーヒー屋さんや雑貨屋さんを紹介することが多々あるんだけど、宮崎ってなかなか取り上げられないのよね(商品の紹介はたまにあるが)。それって接点の無さも当然関わってくるし、向こうさんのセンスという名のお眼鏡に適うかどうかってところがデカいとこれまでは思ってた。これまでは。ただ最近は編集部の単なるリサーチ不足じゃね?て気がしてきた。

まあ何かしらメディアで紹介されるから価値があるかよりも、自分の五感で感じるバイブスを大事にしたいもんで。百聞は一見にしかず。

だからこそ、最近にわかにコーヒーやパン、焼き菓子のブームがここ宮崎で起きているけど(個人的にはもう終焉に近いと思ってる)、新旧問わずどのお店もイメージの消費、そしてコンテンツの消費として、個人や公の思惑のなかでいいように使い古されやしないかと懸念している一市民でございます。

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