見出し画像

メレンゲの気持ちでまぜる白身。そえるだけの黄身。それを食べる君


欠けたお茶碗はご愛嬌

つくる工程を変えてみるだけで、何倍もおいしくなる

結論、卵の黄身と白身を分けるだけで、“ふつう”の卵かけごはんよりもおいしく食すことができる。しかも調味料は塩だけ。

嘘だと思っても思わなくてもほんとに試してみてほしい。それだけ味には自信がある。

何か具を加えるでもない、ほかほかの白ごはんの上に生卵を乗せたり、事前に卵をといておいて白ごはんにかけたりと、そんな普段あなたが食べている卵かけごはんをつくる工程をちょっと変えてみるだけで食感や風味、味わいが大きく変わるのだから。

予想もしない味と出会ったときって、そんなつもりはないのに思い切り表情が変わるものでしょう? 頬が緩んで「えへへ」ってにやけてしまう。

お高い絶品グルメを食べたときの「おいしいーーー!」っていう大きなリアクションと誰かに同意を求めるような視線、そして品良くお口を隠す手のひら。そこまでオーバーなリアクションははっきりいって出ないし、なんなら必要ない。「えへへ」くらいの笑みがこぼれて「おいしい」ってついつい声がこぼれてしまう、それくらいの素朴なおいしさ、ちょっとした幸せがちょうどいい。

その日の朝ごはんや昼食でも夕食でも、その何かを食べるひとときに小さな幸せが宿ると、その日一日を気分良く過ごせるし、嫌なことがあっても小さな喜びに救われる。いつの間にかオールオッケーな一日になっている。

そんなちょっとした祝福を運んでくれる卵かけごはんを紹介しようではないか。この食べ方を発見することができて良かった。悪食趣味があって良かったと思うこのごろ。もし、この記事を読んだあなたがこの卵かけごはんを試してみて、ちょっとでもご機嫌が良くなったのであれば、僕も嬉しい。嬉しくなって卵かけごはんをつくっちゃうかも。

おすすめ卵かけごはんのレシピと材料

用意するものはいたってシンプル。

・ほかほかの白ごはん
・卵
・塩(岩塩でもOK)

の3つだけだ。

ただ、事前にやっておくことがある。
卵の黄身と白身を分けておくのだ。これがミソ。

白ごはんは土鍋炊きだとなお良し。卵と絡むおこげが最高にウマい

まず、白ごはんに分けておいた白身をかける。
ここでごはんをメレンゲをつくるつもりでグジュグジュにまぜる。

実はそれだけでじゅうぶんにごはんがおいしい。ここはつまみ食いポイント。なんにも味付けしていない、ただの卵白で淡白な味のはずなのになんだかウマいのだ。ここでちょっとタンパク質を摂取しておいて次に備えておく。

そうして白身とまざったごはんの上にようやく黄身を乗せる。ごはんの中央にくぼみをつくっておいて、そこにストンっと。つやつやに照り返る黄身を眺めながら、その上に塩をまぶしていく。量はお好みで。もし塩が足りなくても、少しずつ塩を加えていきながら食すという味わいの美学を楽しんでほしい。急かさないことが肝心だ。

ここがラスト。乗せた黄身を愛おしく優しく撫でるように割いていく。それをお好み加減までまぜたら出来上がり。

あとは一口ずつ愛おしく食べるだけ。

黄身を割いていく瞬間は、実はなんとも切なくなる。

繊細な黄身を破らなければ、卵かけごはんの真髄を味わえないという宿命。食べるとき、その業を背負わねばならない気持ちになってしまう。

「ああ! 破けてしまった…」と黄身のはかないさだめを見届けつつ、流れでる黄身をゆっくりとまぜてゆく。なんというか、あなたの命をいただきます、という精神につながるような。

ついついそんな慈悲に包まれながら食べてしまう。けれども、口にした瞬間食欲スイッチに火がつき、ひとくち、またひとくちと強欲に食らいついてしまう。これがほんとにおいしいのだから仕方がない。しかもひとくちごとのおいしさ、小さな幸せの味わい方が異なってくるのだから、お腹も心も満たされるってもの。

食べ終わったときの「もうないの…」というちょっとした寂しさ、同時にやってくる幸福感。

卵かけごはんがあれば、いつも機嫌良くいられそうだ。
明日も食べたいな。


執筆活動の継続のためサポートのご協力をお願いいたします。いただいたサポートは日々の研究、クオリティの高い記事を執筆するための自己投資や環境づくりに大切に使わせていただきます。