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惰眠を貪ってしまったときの思考法

 遅く起きてしまったとき、昼寝や仮眠のつもりが何時間も眠ってしまったとき……。

 そんなときは「脳内配信のオリジナル映画が見れた!」と思うようにしている。

 ただただ惰眠を貪ってしまい嫌悪感に陥るよりは、そう考えて少しでもハッピーに過ごせた方がいいに決まっている。だって、今まで何度も「しまった! やってしまった!」と思ってきた。寝る前にあれこれしようと思っていたことができなくなったり、あるいは緊急を要する出来事に変化してしまって義務的に「やらねば!」となって切迫したり窮屈な思いを抱くことが多かった。

 性格上、いつも緊張しながら生きているものだから、こういうときくらいはちょっと心に負担かけたくねーよと思ってる。だいたい起きた瞬間に時計を見て「惰眠を貪ってしまった!」と思った瞬間にありとあらゆるマイナスな思考がなだれ込んでくるもので。少なくともそのなだれをいなす変化球をそこに投げてあげないと、さらに自己嫌悪から惰眠を貪るループに入るんだからさ。

 「へへ、長かったけれどよく眠れたな」って思える方がよっぽど健全。どうせそう思えるようになるんだったら、よりおもしろく解釈できた方がいい。

 眠りが浅いからか、夢を見ないことがない。それは子どものころからずっと変わらない。それも大長編でストーリー性がある不思議なものばかりだ。さながら映画の世界のようで、SF・ホラー・ミステリー・恋愛・ヒューマンドラマ……etcとなんでもあり。起きたときに感情を引きずることがよくある。その日や、その時間以降の気分がそれで決まってしまうことも。

 それだけファンタジックで非日常な世界をタダで味わえるんだから、寝過ごしてしまったことを悔やむより「脳内オリジナルの映画が観れた! 脳内天才! 次はどんな作品が当たるんだろ!」って壮大に勘違いしてあげた方が、その後の気分がいい。そう言い聞かせている。

 にしてもほんと眠っているときって、無意識なくせして起きているときより自由じゃないかい?

 この逆説はおもしろい。

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