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ハタチのきみたちへ。30歳を目前にした僕のひとりごと

 20歳になるきみたちへ。

 成人おめでとうございます。
 いま20歳を生きるってどんな気分だろう。

 僕は今年30歳になります。20歳は10年も前の話。成人式に出席したのは9年前。こんなに早く30代になろうとは思いもしませんでした。成人式の写真に写った自分を見ていてもいまの自分とほとんど変わらない。気持ちだって依然若いまま。ただ、時間だけは確実に過ぎていきました。

 今日、スーツ姿、そして着物姿の新成人を数多く見かけました。そのとき、ふいに「若い」と声が漏れた。そのときの気持ちを正直に表した言葉です。同時に彼らは幼く見えました。

 彼らを揶揄するわけでも何でもなく、ただただそう思った。僕は25歳で社会人の仲間入りを果たしました。20代ということもあり周りの大人から「若い」と言われ続けてきました。しかし同時に、自分よりも若い20代と接する機会も多くなっていきました。それは自分が歳を重ねるごとに少しずつ増えていき、自分もいつの間にか年下の子たちを「若い」と言うようになった。そして、ハタチの子たちとの距離が遠のくごとに、彼らを幼く感じてしまう。同じ20代であっても彼らを見る目は明らかに変わってきています。

 20歳のころ、僕は大学生でした。東京の大学で人文学・哲学を勉強しつつアルバイトや遊びに精を出す日々。髪を伸ばしてパーマを当てていることがかっこいいと思っていたあのころ。電車のなか、カフェ、学食で純文学をひらいてエセ文学青年を演じていたあのころ。メンズノンノに載っていた内容を自分の教養として友人たちにそのまま披露していたあのころ。

 地元に帰れば都会風をふかせて街を歩いていた。成人式を迎えたあの日だって、東京の気配をスーツと一緒に身にまとい会場へと足を運んでいた。成人式の写真に写るすました表情からは、変な自信がうかがえる。以前、大学の友人が「いけすかない」と表現したその意味がなんとなく分かる。

 客観的に眺めると、痛い。痛さと勘違いを、それと気づくことなく過ごしていました。でも、20歳ってそういう年齢なのかもしれません。痛さや勘違い、ついつい大言壮語をはいてしまう、そんな時季を生きているのが20歳なのかもしれません。それは決して否定的な意味ではなく、そんな「余白」がハタチそこそこの年齢にはある。

 そんな「余白」を見て、僕は新成人から若さと幼さを感じとったのかもしれません。彼ら自身がどう感じているかはさておき、その「余白」からは希望のようなものを感じてしまいました。

 そんな僕は少し歳をとったのでしょう。

 老婆心が芽生えてきて、10年なんてあっというまに過ぎるから、何でも経験しておきなさい、今を楽しみなさいと、ついつい上からものを語りたくなります。20代から30代の10年間のあいだに色んなことが降り注いだ。身辺の変化がめまぐるしくて、青春の名残を生きつつも大人の階段を少しずつ上っていく。階段を上がるほどに時間の流れは加速していく。

 20代って何でも吸収できて、いくらでも成長できて、いかようにも変身できる、そんなドデカい可能性を秘めていると思っています。その始まりに立ったハタチってとても希望に満ちている。ドラマティックな10年が目の前に広がっているのだから。ハタチのみんなには「余白」を大切に、そしてフル活用して生きてほしい。

 あと数ヶ月で僕は30歳になります。

 残りの20代を生きていて、30代の10年間は自分より若い人たちが希望もって生きていける道をつくっていきたいなと思います。痛いままに、勘違いそのままに、その状態を飽きるまで楽しんでほしい。

 もちろん、僕だってまだまだ若いつもりです。
 まだ残っている若さと幼さをフルに活用するつもり。ただで老いるつもりなんてない。

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