自分の信じる「美」を追求したい

周りの評価ではなく、自分の信じる「美」を追求しよう、表現しよう。

媚びへつらわず、周りの良さに合わせず、腰巾着にならず、大勢に好かれることを手放そう。

体調不良でぐったりするなか本を読んだり、見聞きした話を原稿にまとめたり、この数日間いろんな人たちと会話以上の「対話」をしたなかで冒頭のことを思った。

思い切って持ち出すまでもなく、多くの人がそうだ! そうだ! と思っていることだろう。宣言や表明の場をよく見かけている。

しかし、多くの人が、そうやって他者に見えるところでお気持ちを表明しなければならない、そうすると決めたと宣言したがるところが、その通りに生きられない難しさがあることを証明している。

意を決したとて、何度も何度も回帰してはぶち当たる壁、あるいはハマる溝。

それは個人の思考の癖、世間や社会の構造的な困難さもあるかもしれない。

それでもあえて言葉にしているのは、やはり己の心のあり方をそっちに運びたいからだ。

30年以上生きてきて、深く体に染みついてしまった他人(のものと思っている)のまなざしや世間の常識(と思っている)を、自分を巡る物事の出発点に置きたくないのだ。

一日をコスパ、タイパ、レビューで満たしたくないのだ。

自分がこの体で感じる時間とともに一日を過ごしていたいのだ。

最近、立ち寄った先々で「こういう時間が自分にとって『豊か』なのかもしれない」と腹落ちする体験をしている。その出来事が起きた場所を持つ人たち、つくった人たちは、なにも思想が強いわけでもなく、数多の人々に好かれようとしたわけでもない。

ただ、自分たちが大切にしたいこと、守りたいことを、積み重ね、形にしただけだ。

しかもそれはサグラダ・ファミリアのようにいつまでも完成することなくずっと続いていく営みだ。

それが人間本来の生き方だ! なんて説くつもりはないし思わない。
ただ、そういう営みのあり方を想像したとき、心が躍っているのを感じるんだ。

だからこそ、自分の信じる美を追求していきたいんだ。

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半田孝輔|ライター・編集
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