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夏 ≒ 風 × 洗濯物

 風は見えない。けれど、風は物に触れることによって姿を現す。 

 渋滞や信号まちの車の中。
 空気が停滞して息が詰まりそうだからと窓を開ける。
 そうすると車内に澄んだ風が流れ込む。誰かが首にふぅーっと息を吹きかけるように、涼しさとくすぐったさを感じる。そのおかげで気分も少し晴れてくる。

 少しも車が動き出しそうにないときは視線をどこに向けるかが課題だ。
 意識は前方に向けているものの、前のドライバーの頭に視線を固定するのは疲れるし、ふとバックミラーやサイドミラーに視線を向けたときに目が合ってしまう気まずさ。それに対して微笑むのはなんだか気持ち悪い。

 そんなもんだから、開けた窓に肘を乗せて、掌で口を覆い(あるいは頬杖をつき)、窓の向こうの景色を眺めるのがいつものスタイル。

 夏色に焼けた少女が自転車を立ちこぎしている。
 マスクと背広姿で苦しそうにしているサラリーマン。

 少し離れた場所に見えるアパート。
 ああ、あんな場所に住みたいな。

 雲がわずかしかない晴天の下。
 ベランダに干してある布団は気持ちよさそうだ。

 そして風にそよぐ洗濯物たち。
 揺さぶられるわけでもなく、ゆらゆらと風になびいて体勢を整えたと思いきや、また風にその肩を撫でられる。そのリズムは心地よく、どことなく懐かしさを感じる。見ていて気持ちがいい。ジブリ映画を観ているときのような感覚。人の生活と風がうまく融けあっている感じ。

 目に入るのはその光景だけ。しかし同時に風の肌触りも感じる。
 誰かの単なる日常に、ちょっとだけ心を動かされ、余裕が生まれてくるのがわかる。
 
 自分もあんな生活がしてみたい。単なる「あんな」感じ。

 前方の車列から赤いランプが消えてきた。
 徐々に均等な距離が生まれてくる。

 そして、僕も踏み込んだブレーキから足を離した。

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