見出し画像

本気にならないはずではなかったか

「本気にならない」

2024年の正月に立てた、本年の一番大きい目標。今日、6月30日で上半期が終わり、日が変われば下半期という無慈悲な時の流れにため息をつきながら、そしてボンデリスのパンをかじりながらこの半年間を振り返ってみる。

蒸し蒸しする気候に加えて、食べたパンが熱に変わり体が内側から熱くなる。体の外も内もホット過ぎてどうしようもない。

そんな状態で不意に思ったのだった。
もうタイトルの通りなのだが「俺は今年、本気にならないはずではなかったか」と。

声高にやりたいことや目標を宣言するのはいいが、その前にまずやっておいたほうがいいこと、やっておきたいことは「本気」になることをやめることだ。やっと気づいた。

「本気になるのをやめた|2024年のやりたい10のこと」より

そんなふうに堂々と語り、〆を「気づいた」などとカッコよく結んでいる割には「本気をやめる」ことを「やめていた」ことに「気づいた」。

癖や習慣はそうそう簡単に変わるものではない。だからこそ、癖であり習慣なのだろうと思う。とまあ、そんな逆説的なことはともかく、何事も自分を追い込んでしまう性格はほんとうにどうにかならないものか。と、また今年も思っている。「気づいた」としても思ってしまう日々である。そのループは続く。そして、飽きてきている。

この半年間を振り返ってみると仕事にしても、趣味のランにしても、ハマっている自炊にしても、掃除やらなんやらとした家事、人間関係ほか諸々のこと。それらすべてに本気を出してしまっているようだ。日々、常に、神経を尖らせ緊張気味が続く。いったん弛緩してしまうと動けなくなってしまうことを自覚している。だからこそ、緊張の糸を緩めないように神経の尖り具合に意識を向ける。

その持続によってうまくいっている部分ももちろんあるのだが、何かの拍子に、あるいは何の前触れもなく、プツンと糸が切れてしまう瞬間が生きてて何度もあった。当然、この半年のあいだにも何度かあった。

バーンアウト。何か仕事がひと段落したり、目標を達成したタイミングを見計らうようにして燃え尽きがたびたびやってきた。プスプス…と燃えた屑が宙を舞う。燃え殻になっては、煤を払うようにして新しい自分が現れて、また魂を燃焼するかの如く何かに取り組み、またプスプス…とカケラが宙を舞う。その繰り返しだ。

6月に入り、どん詰まりを感じはじめた。このままズルズルと進んでては、同じことを何年も反復するだけだぞと。奈落の底、自己分析や内観の深みにハマり過ぎない程度に振り返る機会を設けてきた。とは言いつつ、「そんな時間はねぇ!」とまたストイックさを出していたりと。意外とそんな心配はいらないんだけどな、と6月後半になりわかってきた。「何もしない」「何も考えない」時間があるからこそ、何かに集中できる時間が生まれる。

「大事なのはバランスだ」

最近観た『悪は存在しない』にそんなセリフがあった気がする。なんでもないセリフだが思わず膝を打ちたくなる。「いやいやそーなんだよ」と。何もしない/何かするを行ったり来たり。交感神経と副交感神経を偏ることなく相互にバランスよく働かせる。何事にも余裕が必要だ。

もうすぐ日が変わる。7月1日になる。2024年の折り返しがやってくる。今のままではいられないこと、今のままで大丈夫なこと。それらを行ったり来たり。自分をうまく動かしていくために、変えるところは変える。

「継続可能なように行為せよ」

大学の恩師はとある授業の最後にそう言い放った。自分も含めたみんなポカーンとしていたが、何かこう不思議な感触をもったまま今でも頭の片隅にある。アイデアの種がインセプションされてしまった。時限爆弾のように。

継続可能なように行為する。本気を出さず、燃え尽きずに日々を生きる。緊張と弛緩、バランスを保つ。それが習慣となり癖となることを願わん。

さて、明日からの半年間はどんな日々を送るのであろうか。

そんで、このnoteの使い方も徐々に変えていくつもりだ。試行錯誤の6ヶ月間のはじまり。



この記事が参加している募集

#今週の振り返り

7,952件

#上半期の振り返り

1,371件

執筆活動の継続のためサポートのご協力をお願いいたします。いただいたサポートは日々の研究、クオリティの高い記事を執筆するための自己投資や環境づくりに大切に使わせていただきます。