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ストイックさを捨てよ

とりあえず2週間毎日続けてみよう。
そんなふうに思い立った6月中旬。なんとなく仕事以外で書く、吐き出す時間を確保しようと、日々noteを書いてきた。

そんなことしてたら昨日で3週間(21日間)連続投稿していたらしい。
なんだか止めどきがわからなくなってきた。まあ、1ヶ月は続けてみようと今日思ったところだ。とはいえ、かつてInstagramでは“ほぼ1年間” “ほぼ毎日”ここと変わらない文章量で投稿していたため、実際noteもどうなるかわからない。

毎日続けるのは意外と面倒臭いところもある。疲れているときや仕事で頭がオーバーヒートしたときなんて頭を使いたくないモードに入り込む。そこから書くなんてのは相当体力を使うものでございました。

Macのメモ帳に書きたいテーマを逐一記載しておりネタには困らないのだが、内容を膨らませたり考察するためにはそれなりの気力と体力が必要だってことがわかってくる。仕事ほど気にはしていないにせよ、文の構造や文脈、言葉の一つ一つにどうしても目が向いてしまう。粗々な文がなかなか許せないところもあり、ある程度の体裁の整った文章にしないと気が済まない。そうなってくると内容をもっと深堀したくても、そこに注ぐパワーがなくなっていたりする。

そんな完璧主義症候群に陥っている僕。なんでもかんでも気を張りすぎて、自滅していく傾向あり。いったい何に対してストイックさを発揮しているのだか。

3週続けてきて気づくのは、テキトーにやり過ごすことも肝心だということ。ほんとうに考えたい、深堀したいテーマにパワーと時間を割くためにそのほかのことは40点50点の出来でもいいのだ。なんだかアイデアが出ないときや気力がないときはテキトーに済ませていいのだ。なんでも100点を出そうとしてしまわず、常に70点どころか50点を量産していてもいいのかもしれない。

「続ける」ことを一番の目的として据えるのであれば、こん詰め過ぎても毒にしかならない。疲労や鬱憤が蓄積されていき、不満が湧き起こり、自己否定的になる。続けるためにはハードルを下げる。自分が納得するラインを下げる。続けることを義務化・タスク化せずに自分の自由時間の一部としてやる。「苦」や「負」の感情と接続しない。接続してしまうってことはやり方やマインドセットが誤っているのだろう。

ストイックさは毎日、毎時間、毎瞬発揮されるものではなく、ほんとうに必要なときに出していくもの。それを履き違えてはいけないのだよ、オレ。

自分を奮い立たせるつもりが、かえって自分を呪いにかけてしまっている。
「べき」思考が強い人間の落とし穴か。




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