見出し画像

焼いたトマトの旨みのように、僕たちは生きることができるか

朝食をつくろうと、とりあえずフライパンを取り出しオリーブオイルをしき、卵を割る。いつものように半熟の目玉焼きで済まそうと思ったが、咄嗟に冷蔵庫にある特大のトマトを思い出す。熱せられたトマトが醸す絶妙な甘さと酸っぱさ。そのおいしさにこれまで何度も感動してきた。半熟の溶け出す黄身との相性は抜群なはずだ。カットしたトマトを一緒にフライパンへしく。弱火で卵ともどもじっくり時間をかけて焼く。

そうだ、ヨーグルトも合わせると別々の食材の酸味が合わさって、さらにその味わいに深みが生まれるかもしれない。お皿の上に大さじスプーン3杯程度のヨーグルトを盛っておく。

ジュウウウウ…と耳を幸福にさせる音がフライパンから聞こえてくる。トマトの水分がフライパンを包む。覇気のある湯気と一緒に香りが沸き立つ。オリーブオイルと混ざり合った心地良さがキッチンに広がる。

うまくないはずがない。期待値が大きく上がる。
目玉焼きが崩れないよう、フライパンからお皿へそっと移す。空いたところへcoconoe(ココノエ)で買った黒胡椒パンを添える。

お皿に盛り付けられた食材たちの画像
coconoeさんのパンは定期的に食べていたい

いざ食べ出したらどうか。
勘にハズレなし。これぞ食材のアンサンブル! と、そのおいしさとともに紋切りな表現が浮かぶ。何がどうおいしいのかって、それぞれが持つ自己主張の強さが、それぞれにないものを補いかつ旨みを引き出しているところ。

とくに焼いたトマトの甘味と酸味。生で食べたらどんなに期待ハズレな味でも焼いた途端に極上の味に変わる。そりゃあ数多のソースに使われるはずだ。なんていっても、その味わいによって「こんなことができるかも」と創造的なモードになるのだ。試してみたいこと、アイデアが溢れてくる。

目論見通り、トマトと黄身、そしてヨーグルトのそれぞれが混ざり合い、ソース上になったとき、その味は舌を唸らせるものだった。いや、期待以上だった。加えて、黒胡椒パンの強めの胡椒加減と塩味がそのソースと合わさると、これまた驚きと創造に満ちた味わいが口に広がる。体が喜ぶとはこういうことか……と。そのままでも十分おいしいはずのパンが、そのソースをつけることによってさらにおいしさを増す。何度でも食べる者を驚かせ、至福の時を長引かせる。

パンにソースをつける画像

トマトに「焼く」という行為を加えただけで、調理の幅はぐんと広がる。舌が感じる味わいも深みを増す。五感が刺激され創造的になる。生きてる感覚が内側からふつふつと湧く。

力んだ「ひと手間」でもなんでもなく、不意な「簡単な動作」が予期せぬ幸運をもたらす。そんなセレンディピティを感じたサンデーモーニング。予期せぬ出来事に驚いていたい。そんな感度と創造性を高めていたい。セレンディピティを引き起こすような動きに身を投じたい。

要するに本日の朝食は最高だったのです。



執筆活動の継続のためサポートのご協力をお願いいたします。いただいたサポートは日々の研究、クオリティの高い記事を執筆するための自己投資や環境づくりに大切に使わせていただきます。