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文化は生きていくために不要なのか

新型コロナがやってきて1年。
いろんな制限が降りかかってきたけれど、その状況にしぶとく適応して生きている人たちをたくさん見た。
この状況に適応していくなかで、「スマートに」考えたら無駄とされて除外されていくものもたくさん見た。


その一つが文化やアートだった。


生存に必要な食や医療、そして経済活動を重視するとなると、文化は余り物に過ぎないとみなされてきた。


しかし、果たしてそうだろうか。
文化やアートも人の生存になくてはならないものではないか。
想像してみてほしい、僕らの世界から音楽や映画、演劇、絵画、文学が消えた世界を。そういう「高尚」で「お高く」とまったように見えるものでなくても、ストリートから生まれるカルチャーたち、長年育まれてきた土着の民族文化たちが廃れていく世界を想像してみてほしい。


ものをなくすのは簡単だが、なくしたものは二度とかえってこない。復興や再興するにしても何年何十年何百年と時間がかかる。文化ってそうやって人々の生活のなかから時間をかけて生み出されるものでしょ?


僕の尊敬する文化事業支援の専門家はこう言っていた。

「文化芸術に関わる人はエッセンシャルワーカーなのか」
というテーマを話したことがありますが、人と出会い、何かを感じ、リズムに体を揺らせて、感性を弾ませる、知らない世界に出会い、新しい物語を生きることが、人間には必須だということ。
美意識と哲学のない毎日はつまらないものだと、このコロナ禍の中で感じております。

この言葉には共感する。
意訳すれば、ワクワクすることが毎日には必要だってこと。何かに感動したり、心が躍ったり、何かを表現したり、それによって自分が生きた心地を味わったりと。


年齢、性別、貧富の差、人種などなど、そういった人をカテゴライズする属性関係なく、文化的なものを味わう環境って必要だ。


新型コロナの第一波が世間を騒がせていたころ、僕は前職を辞めてフリーの編集者とライターを名乗るようになった。かといって定期的に仕事が舞い込んでくるわけでもなく収入に不安があったころ、友人をつたってアーツカウンシルみやざきという公的な文化事業支援機関の仕事を手伝うようになった。僕はそこでこのコロナ禍におかれたアーティストたちの現実を知ることになる。

たまたま、僕はアーツカウンシルみやざきのお仕事にも関わるようになった。
たまたま、僕はいろんな文化活動をしている人たち、それを支える人たちと出会った。


そんで思うんだ、このコロナ禍にあって、文化やアートの灯を消してはいけないって。だって、文化やアートと呼ばれるものたちは僕らが生きていくために絶対に必要なものだから。

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半田孝輔(エディター/ライター)

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