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「ジャーナリズムは人を自由にする」

有田芳生さんのTwitterを見ていたら目に入った本を買った。

1977年、TBSに入社し報道畑で活躍した著者は「筑紫哲也NEWS23」発足の2年前
1987年の「大改編」に向けた動きも見ていた。
そこには「ニュースステーション」(1985-2004 テレビ朝日)の存在がある。

「君臨すれど統治せず」
「何でもあり」
「拒否権なし」

「筑紫哲也NEWS23」の番組モットーだ。

そういったことや、権力への対峙といった話が多数記されているが、今の僕が(向き合っている仕事上でも)首肯したというか、ほほぉとなったのは、筑紫哲也さんが晩年、番組首脳陣の会議に寄せたメッセージの部分だ。

「私がTBSで仕事をしようと思った心理的動機として……昔は、新宿駅東口の大きなボードに書かれていた(局の)宣伝文句のことがあります。そこには〝TBS for the best〟とありました。図々しくも、しかし気概のある宣言だな、と印象的でした」

金平茂紀・著 筑紫哲也『NEWS23』とその時代

…あったよ、新宿(笑)。

大ガード東側のJRの線路脇。西武新宿駅を出ると、靖国通りを挟んだ向かいのところは、公開映画の看板などと並んで長いことTBSが看板広告を出していました。ドラマとか各種新番組の看板。90年代後半まではそうだったと記憶しています。何なら番組が始まってからは筑紫さん自身もあそこの看板に描かれていたんじゃないだろうか。あれは、TBSが買い切ってたんでしょう。

映画が好きな筑紫さんが、歌舞伎町の映画館に行く時に看板を見たのか。それともゴールデン街や「噂の真相」の編集部や池林坊(作家や編集者が集まる居酒屋)あたりに出向いた時にに見たのか…などと余計な妄想もしてしまう。

現在「報道特集」(TBS系 毎週土曜午後5時30分〜)のキャスターを務める著者は、かつての「23」デスク。筑紫哲也さんの片腕として番組を切り盛りしてきた。「権力の監視」である報道機関の面目躍如たる番組ではあったが、それと同時に、社会・文化をも吸収し発信する「面白いテレビ番組」だったのが「23」だったと考える。

今では当たり前のようになっている、全国ネットの報道番組のエンディングに有名アーティストの曲を起用したこと。番組後半の特集(第2部)では、映画、演劇、音楽などを取り上げるカルチャーマインド溢れる番組だったことが挙げられる。

ちなみに報道番組のエンディングテーマで「全国ネット」と記したのは、その半年前、同じTBSの夕方ニュース「テレポート6」が、荒川強啓・久和ひとみコンビにリニューアルされた際、エンディングに爆風スランプの「満月電車」を採用したことを記しておきたい。同時にTBSの報道・情報番組は「おはよう700」の海外取材企画『キャラバンII」で、ダニエル・ブーンの『ビューティフル・サンデー』や、オリビア・ニュートンジョン『カントリーロード』などの曲を多用し、レコードをリリースし大ヒットに導いた。とはいえ『23が後発』などというつもりは毛頭ない。むしろ、こうした姿勢を先取りするのが『報道のTBS』のもうひとつの姿だったのかもしれない。番組初日を見ていたのは記憶にあるが『最後のニュース』を見た(耳にした)の衝撃は大きかった。

この本でも度々引用されている筑紫さんの著書「ニュースキャスター」(集英社新書 2002年)も、それまで番組とキャスターが経験した様々な荒波が記されているが、この本ではさらにその一歩先の話が書かれています。制作会社とか、スタッフのこととか。まぁ、色々。生放送の帯番組に出入りしていた私自身が思う、個人的なものか。でも『スタッフは闘っていた』ということなのだろう。果たして、今の私に、私たちにその心意気があるのか。などと根性論で昔を懐かしがってもいけないが…。

ひとつ気になっているのは、著者はその後、紆余曲折を経て現在も「NEWS23」のタイトルが残る番組を別番組とみているのか、それとも何らかのイズムが継承されているものと見るのか……昨今「何もかも批判ばかりする報道は時代にあってないかも」「優しさや多様性を大切にするお笑いにヒントがある」と、関西のニュースキャスターは語った。奇しくもそれは、筑紫さんの「古巣」新聞社のポッドキャストで発せられたものであり、その系列会社のアナウンサーの言葉だ。私が言えるのは『批判に流行り廃りなんか、あるわけないでしょう』ということだけだ。

筑紫哲也『NEWS23』とその時代(金平茂紀 講談社・2,200円)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000358296

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