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孫が介護をすることのしんどさ 【プロ資格マニアの軌跡】

祖母の介護を続けていた時期のことを振り返ると、祖母の世話そのものが大変だったわけじゃないな、と思う。「孫」であり「在宅仕事」をしている、という立場の微妙さが、しんどさにつながっていた。どんなことが大変だったのか、10年以上経った今、あえて書き残しておこうと思う。

大事な話ほど蚊帳の外

たとえば、病院の先生から大事な話があるときは、祖母の実子(母)に話が行くので、知らない間に大事なことが決まっている、ということも多かった。母や父も、大事な話ほど即断即決が求められ、私のことまで気を配っていられなかったのだろうけど。

なお、祖母の介護とは無関係な私の主治医に、後になって聞いたのだけれど「重要な話であっても、孫に話してくれて構わない。孫が責任をもって実子に伝える」ということを、一筆書くなりして病院側に伝えておけば、事情は変わったかもしれない、とのこと。その意思表示があれば、僕だったら孫に伝えていただろう、とあくまで主治医の意見として、話してくれた。

介護を受ける側の葛藤

私の祖母は、見舞いに来る人に「孫はろくでもない仕事しかしていないから、介護に使ってもかまわない」と言っていた。この言葉を真に受けた人から「いつまでもそんな生き方はできない」「結婚するなりして親を安心させるべきだ」と説教されたこともある。

おそらく祖母は「孫に介護をさせている」ことを負い目に感じていたり、実子のかかわりが薄いことに寂しさを覚えていたりして、その負い目・葛藤に折り合いをつけようと、上記の言葉を発していたのだろう。
少し時間が経った今ならそれが分かるが、「ろくでもない仕事」と言われた当時は、自宅に残っていた祖母の荷物を道路に放り出したいような気持になった。

相談できる相手が少ない

同世代の友達は介護をしておらず、社会で活躍しているので、気軽に相談したり、愚痴を言い合ったりすることができない。

ネットで介護相談ができる掲示板を利用したことがあるが、掲示板の他の利用者から言われた言葉に傷つき、二度と利用しなくなった。

ただ、病院で出会う看護師の方、特に入院中にお世話になる看護師の方とは年齢が近く、話しやすくて救われていた。

社会人としての経験や実績が浅くなる

社会人として、フリーランスとして、いろいろな経験と実績を積まなければいけない時期に、他のフリーランスに比べて仕事ができる時間が限られる。経験不足で実績も多くないフリーランスをわざわざ選んで、仕事を頼んでくれるクライアントは限られてしまう。

友達をなくす

友人に「祖母が体調を崩して、いつ一緒に遊べるかわからない……」というと「私と遊びたくないから言い訳してるんだろう」と怒られ、疎遠になった。友人の結婚式に出席できず、結果的に縁を切られたこともある。
まぁこれは、これは私の人望がなかっただけだろう。

あらぬ噂が立つ

「実子ではなく孫が介護を担わなければならない事情があるのか?」
「孫はニートなのでは?」
などあらぬ噂が立つことも。

もちろん、他の家庭のことをあれこれ噂するほうにも問題はある。そして、在宅仕事であり、そのことを人にちゃんと説明したこともなかった私にも責任の一端はある。

孫に体力の限界が来たら

介護が終わった時、私はメニエール病が悪化して耳が聞こえなくなったり、卵巣の機能がストップしてしまったりして、連日、地べたをはい回るナメクジのような生活に陥った。社会に再び戻るのが、恐ろしかった。

孫が社会に出て、お金を稼ぎ、家計を支えていくべき時に、その道が絶たれてしまうと、誰も幸せにならない。

私自身の闘病の記録はこちら

まとめ

以上、孫という立場で、介護の主たる部分を担った時期の思い出をまとめた。この記事では苦労した部分にスポットを当てたが、よかった部分、幸せだった部分もある。

もしこれから、孫という立場で介護を担おうとしている人、孫に介護を任せなければいけない親の立場の人がいるなら「孫が介護をすることの大変さ、しんどさ」について十分検討した上で、決断してほしい。

河野陽炎の本とコンサルティング



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