愛されているから売れる? うまいから売れる? 【プロ資格マニアの軌跡】
私が大学生だった頃、電車の中で、ギターケースを背負って歩いている少年たちの会話を聞いた。
「下手でも愛されるバンドを目指そう!」
なんだか笑ってしまったけれど、誰でも初心者で、上手ではなく、メンバーの息が合わない時期があるのは確か。その段階でも愛される存在になれるなら、それに越したことはない。
この話を知人にしたら、「いや、上手くなればいいのに」と笑っていた。それもまた事実で、バンドとして愛されなくても、たとえば歌や演奏がむちゃくちゃ上手ければ、誰もが思わず聞いてしまうような存在になれるかもしれない。
「文章を書く」世界には、
・プロとして執筆で稼いで生計を立てている人
・本業を別に持ち、副業として執筆をしている人
・趣味で書いている人
・今は趣味だが、将来はプロになりたい人
など、さまざまな立ち位置がある。そして「文章のうまさ」「多くの人に歓迎される文章かどうか」というのは、上記のような立場とは関係がない。
「報酬をもらって書いている人」と「自分の好きなことを、好きな時に書いている人」の違いは「誰のための執筆なのか」という点にある。
報酬をもらって執筆するなら、クライアントが満足する文章を書かなければいけない。逆に言えば、締切やクライアントの満足感、コストパフォーマンスなどのさまざまな面を考えてクライアントがOKを出せば、自分としては不満が残る原稿であっても、それでその仕事は終わる。逆に、自分のために書く文章は、長く時間をかけてもかまわないし、納得いくまで公表しなくてもかまわない。
ただ想像するに、音楽の世界でプロとして活動するなら、「誰も観客がいない場所で演奏を続け、自分の満足だけを追求し続ける」というのは、難しいのではないか?
執筆活動とは違って、楽器やスタジオ代、楽譜代などかなりのお金がかかっている。その活動費をどうにかして稼がなければ、音楽家としての活動を続けるのが難しくなるからだ。
音楽家だけに限らず、先行投資が必要な分野では「プロとしてやる」と決めたときから「どのくらいお金を稼ぐか」を計画してやっていかなければ。
日本では「お金の話をするのはよくない」「自己研さんを続ければ、人は自然についてくる」のような意識が長く続いていたように思う。「愛される」「うまい」をまずは追求し、その結果「売れる」がついてくる、という考えと言い換えられるかもしれない。
ライターの世界では「いくら文章がうまく書けても、ビジネスマナーがなってない、連絡が取れない、人間として付き合いたくない人は、仕事をもらえなくなる」と言われている。うまいだけではダメなのだ。
もちろん「友達として付き合うならいいが、文章は読みづらい」というライターも、仕事がなくなっていくだろう。
「愛される」「うまい」「売れる」の、ちょうどよいバランスを取って、活動できることが、プロということなのかもしれないな。
河野陽炎の本とコンサルティング
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