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同人誌で抜いたって言いづらい

 前回小難しい話をしたから、今回下らない話をすることでバランスを取りたい。だが、下らないからといって軽んじてほしくはない。こういう話を真剣に取り合える人でなければ、きっと深刻な話題も理解できないからだ。

 男なら誰しも自分磨きをする。自分磨きには興奮材料が必要である。そして男には、互いの興奮材料を知らせ合う習性がある。というか、そんなことばっかりしている。だって楽しいから。

 思い返せば中学生の頃、女の子と付き合うということが意味するところを知るより先に、そういう話に花を咲かせていたように思う。その頃はまだ、某動画サイトにおいて、後に業界を震撼させる、大量動画削除が起こる前だったから、その手の議論は盛んに行われていた。あの女優はおっぱいが大きいだの、この会社が出すビデオは自分の趣味と合っているだの言い合った。時には、というかしばしば、各々の好みの女優を、カードゲームの如く突き合わせて戦っていた。別に誰がどの女優を好きだろうと知ったこっちゃないんだが、そういうことに必死になってしまう瞬間が、男にはある。だって楽しいから。

 しかし、十四、五の少年というのは、他者のフェティシズムに排他的な側面もある。大衆の共感を得られるかはさておき、僕たちの間で、興奮材料は3次元、すなわち動画しかあり得ないとされていた。AV至上主義ともいえる状態だった。2次元に興奮しているやつは、仲間内で馬鹿にされた。

 これをうけて、「オタクに風当たりの強い国・ニッポン」と銘を打つのは、果たして飛躍しすぎであろうか。

 3次元の女優がリアルだとすれば、2次元の女性キャラは、自動的にフェイクになる。リアルでないもので興奮するのが、ダサいとされる社会が存在する。じゃあリアルって何だ?演出という虚構に塗り固められたAVはリアルといえるのか?はたまた設定は二の次で、被写体がリアルであるかどうかが、そんなに大事なことなのか?

 僕は正直動画派ではあるが、同人誌の良さはよく分かっている。同人誌は、言うなれば性癖の多様性というものに対応できる。漫画の世界なら、モノのサイズを異様にしたり、種の壁を超えた交配をしたり、時を止めたりできる(最近は3次元でも行われるが、個人的には2次元の得意分野だと思っている)。こういうことで興奮するのは、R18の世界に限ったことではない。SFやスプラッターというジャンルは、そういう興奮から生み出された。キャラクターたちが、夢のような超能力を使用するアニメが増えてきた。昨今のアニメブームで、オタクやアニメファンへの理解が広まってきた。それなのに、エロは遅れている。再度注意喚起を申し上げたい。漢なら他人の性癖に口を出すべきではない。

 自分磨きには、男の見栄が詰まっている。だからこそ意地を張って、どこかで優劣をつけようとしてしまう。でも、そんな姿はみっともない。性別の認知が多様化している世界と、興奮材料の一強が保たれている世界が同じだなんて、にわかに信じ難い。僕の住む社会は、同人誌で抜いたんだと高らかに宣言できる社会であってほしいと願う。


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