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憲法をまなぶ意味とは

なんで憲法はあるのだろう?

憲法と聞いたらほとんどの人がなんとなくのイメージを持っているとは思います。ただ、「じゃあなんで憲法はあるの?」と聞くと案外答えるのは難しいのではないでしょうか。

教師として公民を教えるものとしては、1年間なり学んだ後に、
「国の一番大事な法でしょ?」
といった程度の回答しか生徒から得られないのだとすれば、憲法を教えるのが失敗したと言わざるを得ないと考えています。
ましてや、
「わたしたち国民が守るべき大切なルール」
という回答だったとしたら、憲法のことを何も教えられなかったどころか誤ったニュアンスを伝えてしまっていると考え、教師をやめようかとまで思います。(あきらめずに頑張ります......)

私が憲法を教える上で一番大切にしたいと考えていることは
憲法は「わたしたちを守ってくれる存在」だということ、
時に私たちの権利を侵害しかねない「国家の暴走を縛るためにある」ということ
この2点です。

なぜ、憲法はわたしたちを守ってくれる存在なのだろう?

なぜ憲法は「わたしたちを守ってくれる存在」なのでしょうか?
なぜ「国家の暴走を縛るためにある」のでしょうか?
それは憲法を読んでみればわかります。

憲法には、様々なことが書かれていますが、その中でも様々な権利が書かれています。

第26条 すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育を受ける権利を有する。
第23条 学問の自由は,これを保障する。
第22条 何人も,公共の福祉に反しない限り,居住,移転及び職業選択の自由を有する。

さて、数ある中でも3つだけ取りあげてみました。私も生徒として教育を受け、学生として学問に励み、そして教師という道を選択することができました。ただ、この22年間とくにこうした憲法に書かれていることを意識したりすることは特にありませんでした。ほとんどの人にとってもそうだと思います。では、なぜこんな"あたりまえ"のことが憲法には書かれているのでしょうか。

それは、人類の歴史の中ではその"あたりまえ"がなかったことが"あたりまえ"だった時代が続いてきたからです。

その歴史について詳しくは別の回に勉強していきたいと思いますが、憲法に書かれてあることの背景には全てと言っていいほど、(主に)国家権力が権利を奪い、苦しんできた人がたくさんいました。そして長い歴史の中でわたしたちはその権利を獲得してきたのです。

例えば、あまり日本人には身近ではない条文かもしれませんが、

第20条 信教の自由は,何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も,国から特権を受け,又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も,宗教上の行為,祝典,儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は,宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

という条文があるのは、単にこうした権利があるというだけではなく、歴史上こうした権利を迫害されてきた人がたくさんいたことを忘れてはならないという意思を感じることもできると思います。近世以前にはヨーロッパにおいても様々な宗教弾圧が起こり、近代の日本においても特定の宗教が天皇制と結びつき、(単純に結び付ける意図はありませんが)かの戦争へと向かってしまったという深い反省があります。そうした意味で、憲法にしっかりと書かれているのではないでしょうか。

第11条 国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。

そしてこうした権利を統括する意味としての基本的人権は、侵すのできない永久の権利として私たちに与えられています。(日本国憲法の英語版を読むとここでの「与える」は授与するというconferの意味ではなく、保障するというguaranteeの意味です。細かいですが、憲法に書かれた権利は憲法に書かれることよってはじめて得られるものではなく、人類普遍の原理として私たちが本来持っているものなのです。人類は長い歴史を通じてもとから持っていたはずのこの権利をようやく"発見"したのです。)

戦後この憲法により、学問の自由(第23条)と両性の本質的平等(24条)により、大学が女性にも開かれた存在になった時には、時代的には大学を志すには非常に困難であったにせよ、志を持つ女性にとっては非常に感動し憲法の存在をありがたく思ったのではないではないかと推測します。(実際に私の祖祖母も女性の大学進学率が低い時期に大学に行っており、そのおかげで今の私がいると思っています。)

こうした歴史は国家権力がいともたやすく私たちの権利を侵害してしまうものだということを物語っています。もちろん国家権力に携わる人みなが悪い人ではないにせよ、そうなりやすい構造を必然的に持っているのです。だからこそ、

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣,国会議員,裁判官その他の公務員は,この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

上記にあるように、この憲法を守る義務があるのは国家権力に携わる人で私たち国民は含まれていないのです。

ここでやっとはじめに述べた、
憲法は「わたしたちを守ってくれる存在」だということ、
時に私たちの権利を侵害しかねない「国家の暴走を縛るためにある」ということ
を説明することができました。

"いまのわたしたち"にとっての憲法ってなんだろう?

"あたりまえ"のことを意識しないでも生活できる私たちはある意味で"憲法というものを必要としない存在"なのかもしれません。

それじゃあわたしたちにとって憲法は必要ないのでしょうか?専門家や政治家にだけ任せておけば良いのでしょうか?

いいえ、違います。日本国憲法に書かれた基本的人権の保障の理念は制定から70年以上がたったいまもいまだ現実になっているとは言えません。私個人としては、憲法はすでに完成されたものとは思っておらず、いまだ未完の状態だと思っています。

いまだに、様々な場面で基本的人権の保障が実現していない場面が多々あります。両性の本質的平等は実現されているでしょうか。少数派の意見が多数派に押しつぶされていないでしょうか。

自分にはあまり関係ないことだと思うかもしれません。
ただ、人生100年時代です。いつ自分が社会的弱者になるかわかりません。マイノリティーになるかわかりません。権利を侵害されるのは、いつも社会的に弱いものです。マイノリティーです。そのような時代を生きる上で人生において一度、権利について憲法を通して考えることは意味のあることだと思いませんか。

特に現在のコロナ情勢では、わたしたちの様々な権利が危機にさらされていることを少しは感じているのではないでしょうか。あまりピンときていない?かもしれませんが、いよいよ次回からコロナのいまを通して憲法や人権を考えていきたいと思います。そうすることによって、憲法や権利をちょっと身近に考えられるのではないかと思っています。もちろん、専門家ではありませんので間違いはあると思いますが(というかあるはずですが)、一教員として、一学習者として、一市民として考えていきたいと思います。
















まだ駆け出し者の文章を読んでくださり本当にありがとうございます!