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憲法はいろんな人がいろんな思いを込めてつくったもの

■憲法はどのように制定されたのか

(ここでは個別の条文を検討していきたいので、憲法制定の過程は簡単に)

ポツダム宣言の受諾(1945.8)

終戦後、GHQは日本政府に新しい憲法を作るように指示(1945.10)

松本を首班とする憲法問題調査委員会を設置。大日本帝国憲法を基に修正案を考案(1946.2) ※「調査」委員会というところからも現行の憲法に問題があまりないという姿勢が見受けられる。

GHQが松本案の民主化の不徹底さに見切りをつけ、マッカーサー草案を日本政府に提出(1946.2)

日本政府とすり合わせを行い、憲法改正草案要綱を作成

衆議院・貴族院で審議(1946.6) ※2ヶ月前に男女普通選挙による衆議院議員選挙が行われている。

日本国憲法公布(1946.11.3)・施行(1947.5.3)

■それぞれ条文はどこからきたのか

前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそ......(中略)......と思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条 皇位は,世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する。
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

前文、第1章(1~8条)、第2章(9条)についてGHQは、特に厳格にGHQ案によるべきと主張した。国民主権戦争放棄を徹底したかったことがうかがえる。

第3条について一つ前の改正案では「内閣の補佐と同意」となっていたが、補佐は天皇を上に見るニュアンスであることをGHQが気にした結果変更された。助言と補佐は日本人からしてもほぼ同じ意味に感じられるが、GHQが天皇に関する条文には細心の注意を払っていたことがわかると同時に、日本語に対する知識の深さに感心させられる。

第9条 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

衆議院での審議において、第2項に「前項の目的を達するため」との文言を入れた芦田修正は有名である。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有(きょうゆう)を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

GHQ草案が基本となっている。なお、国際連合人権委員会はこれらの条文の「公共の福祉」が問題であるとして4回の勧告を出している。学校では無条件で、公共の福祉により個人の人権が制限されることもあるよと教えられたものだが、世界的に公共の福祉という文言が稀であること、人権的に問題視されていることは知らなかったので驚きである。

〈参考〉
窪 誠 (2016)『なぜ、日本国憲法「公共福祉」概念が、国連機関で問題とされるのか?』
https://journal.osaka-sandai.ac.jp/pdf/20161130-001-027.pdf

第17条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

衆議院の審議の過程で組み込まれた。当時のアメリカにもなかった権利条項である。

第24条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

少女時代を日本で過ごしたアメリカ人であるベアテ・シロタ・ゴードンが草案を書いた。当時としては、非常に先進的な条文。アメリカには、現在も「両性の本質的平等」にあたる規定が存在しない。女性の地位が著しく低かった当時の日本において、法律ではなく簡単に変えることのできない憲法に条文として載せたことは大変意義深かったと考えられる。

〈おすすめ書籍〉
ベアテ・シロタ・ゴードンの自伝
『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』https://www.amazon.co.jp/dp/4022618574/

第25条 
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第25条の第1項の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」の部分については衆議院の審議会において社会党により提案された。

意図としては、この条文により国民の生存権を積極的に求めることができることが必要であるということであった。憲法12条の幸福追求権でこうした権利はカバーできているのではないかという指摘もあったが、12条のみでは、こうした権利を国民が有するのは国家の善意によるものになってしまう危険性を指摘した。施しではなく、国によって積極的に国民の生存権を保障する義務が課されたのだ。

第27条 
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。

衆議院の審議過程において社会党の主張により挿入された。勤労の義務については、今で言うニートなど働かない(実際には働けない)人たちを非難する意味ではなく、資本家や大地主の不労所得に対する牽制の意味であることは、こうした憲法制定の経緯を知らないと誤解を生んでしまいますね。
特に勤労の義務の規定における「休息」の挿入は、社会党委員の強い主張
によるものである。

第40条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。

第17条と同様、国家賠償権を規定するものとして衆議院の審議過程で組み込まれた。

第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第43条
両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
 両議院の議員の定数は、法律(公職選挙法第四条)でこれを定める。

GHQの草案では一院制であったが、日本は国会の二院制を主張した。
日本側の案では、参議院は地域別、職能別に選挙された議員、内閣が任
命する議員により組織されるとしていた。理由としては、適当な被選挙資格を定めることや適当な選挙母体を発見することができない職能の代表者をも網羅するためであった。ただ、こうした参議院の組織に関する日本側の案は拒否され、両院とも全国民を代表する選挙された議員によって組織するものとされた。

こうした一院制から二院制への変更に伴い条文上の祖語も生まれた。

第7条
天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

国会議員の「総」選挙は、参議院は半数改選のため、本来あり得ないが、GHQが一院制を指示した際の文言が残ってしまっている。

第59条
法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

両院協議会の規定については、貴族院の審議過程により挿入された。日本国憲法は大日本帝国憲法を改正するという手法をとったため、この時点ではまだ貴族院。

第66条
内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

衆議院もGHQも衆議院審議会の時点において、文民規定については消極的であったが、極東委員会の強い要請により、貴族院審議会において結局修正されることになった。
これも知らない事実だった。もともとGHQ草案には文民統制(シビリアンコントロール)の規定があったが、衆議院審議において日本は第9条により軍隊を持たないのであるから、文民とわざわざ規定するのは矛盾するとして削除し、GHQもそれを了承したのだった。
これに対して、極東委員会のロシア・カナダなどが9条に「前項の目的を達するため」という芦田修正により軍隊の所持が可能になったとの判断をし、文民規定を要請したのだった。

第98条
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

国際法への遵守の規定は衆議院審議において、挿入された。

参考資料
平成28年11月 衆議院憲法審査会事務局 衆憲資第90号  『「日本国憲法の制定過程」に関する資料』

■まとめ

憲法の制定過程については、様々な意見がありそれを問題視する意見もあるが、日本国憲法の制定過程には実にいろいろな立場・思想の人が関わっていたことがわかる。GHQの中にも女性の権利を守ろうとしたアメリカ人女性もいれば、極東委員会とGHQに考え方の違いがあったり、GHQと政府で足並みを揃えるところもあり、議会においても様々政党の議員の意見が積極的に交わされたことが窺える。

憲法草案は公布の前に国民に知らされたし、ここでは取り上げなかったが、戦後すぐに立ち上がった高野岩三郎・森戸辰男などの民間団体「憲法研究会」もその先進性から、GHQに大きな影響を与えたりと、本当に日本国憲法をめぐっては様々な思い・思惑がこめられていることがわかる。

制定過程の議論が今の憲法の解釈にそのまま適用されるわけではないが、こうした経緯を知っていると日本国憲法に対する印象も大きく変わるのだから面白い。



まだ駆け出し者の文章を読んでくださり本当にありがとうございます!