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ドイツ その6 ベルリン編 ザクセンハウゼン強制収容所

4/8(金)、ドイツ4日目。今日は早起きをしてブランデンブルグ州にあるザクセンハウゼン強制収容所へ。

ホテルのあるアンハルター バーンホフ駅から終点のオラニエンブルグ駅までSバーン1で50分くらいです。

S1は地下鉄なのね、と思っていたらベルリン中心部を出ると地上にでました。

Sバーンの電車はアイアンマン色!

ドアはボタンを押して自分で開けます。自動ではないので気を付けてね。

オラニエンブルグ駅到着。

駅前はマックとパン屋さん位しかないです。

駅前からは821か804のバスが平日は1時間に1本、土日は2時間に1本出ています。

2016年4月現在の時刻表では毎時間24分発でした。

徒歩30分くらいらしいけど道を間違えずに行ける自信が無かったし、収容所内をこれから2時間ほど歩いて廻る事を考えて45分バス待ちをしました。

Gedenkstätteというバス停で降りて、道の突き当りまで行くと右側に灰色の壁とインフォメーション施設が見えてきます。

日本語のオーディオガイドはありませんが、パンフレットが0.5ユーロで売っていて、地図や各バラックがどんな施設だったか解るので買ってから中を見に行くと良いと思います。

トイレもインフォメーションの地下にあるので行っておく方が良いです。

いくつかのバラックの地下にトイレがあるようでしたが、私はとても地下への階段をおりる勇気は出ませんでした。

ものすごい空気感というか…

インフォメーションを出て歩いていくと巨大な強制収容所の壁が見えてきます。

壁にはパネル展示がされています。

そして収容所の門にはアウシュビッツと同じ「労働する者は自由になる」の文字が…

内からみた塀です。鉄条網が壁の前に張り巡らされていて、逃げたくても逃げられない絶望感を感じます。

広大な敷地内にこのようなバラックが68棟あったそうです。

右側が医療棟で、医療殺人や強制断種、人体実験が行われていました。左側の建物は病理学棟で、地下は遺体安置所だったようです。

独房棟には影響力のある政治犯なども収容され、壁に囲まれ外から見えないこの場所で残酷な虐待や殺害が秘密裏に行われていたそうです。

ユダヤ人が詰め込まれていた小収容棟のバスルーム

私が訪れた4月中旬でも、ヒートテック、セーター、ダウンのコートを着ていても震えるほど寒いのに、収容された人たちが着させられた服はこれ1枚かと思うと…

ユダヤ人の人たちのベッド

銃殺用の壕

ザクセンハウゼン強制収容所の模型。左下のナチス親衛隊の宿舎はシャンデリアが飾られ、壁の中とは別世界の豪華さでした。

実際の親衛隊宿舎は展示準備中だったので、そのうちここも見れるようになりそうです。

以前は無かったそうですが、4列68棟のバラックがどこにあったのか、石と枠で可視化されていました。

ザクセンハウゼン強制収容所はドイツの全強制収容所の統括をしていたので、月に1度各地の強制収容所の所長が集まり「どういう殺し方がより効率的か」などお茶を飲んで話し合い、実際にその方法で殺してみたりしていたそうです。

ここを訪れたドイツ在住の方が引用していた、アウシュヴィッツの生還者であるイタリア人 プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』(朝日選書)の一説がとても重要な言葉だと思ったので、紹介させていただきます。

 ナチの憎悪には合理性が欠けている。それは私たちの心にはない憎悪だ。人間を超えたものだ。ファシズムという有害な幹から生まれた有毒な果実なのだが、ファシズムの枠の外に出た、ファシズムを超えたものだ。だから私たちには理解できない。だがどこから生まれたか知り、監視の目を光らすことはできる。またそうすべきである。理解は不可能でも、知ることは必要だ。なぜなら一度起きたことはもう一度起こりうるからだ。良心が再度誘惑を受けて、曇らされることがありうるからだ。私たちの良心でさえも。


 彼ら(ナチスの信者たち)は何の変哲も無い普通の人だった。怪物もいないわけではなかったが、危険になるほど多くはなかった。普通の人間のほうがずっと危険だった。何も言わずに、すぐに信じて従う職員たち、たとえば、アイヒマン、アウシュヴィッツの所長だったヘス、トレブリンカの所長だったシュタングル、20年後にアルジェリアで虐殺を行ったフランスの軍人たち、30年後にヴェトナムで虐殺を行ったアメリカの軍人たち、のような人々だ。

 だから、理性以外の手段を用いて信じさせようとするものに、カリスマ的な頭領に、不信の目をむける必要がある。他人に自分の判断や意思を委ねるのは、慎重になすべきである。予言者を本物か偽物か見分けるのは難しいから、予言者はみな疑ってかかったほうがいい。啓示された真実は、たとえその単純さと輝かしさが心を高揚させ、その上、ただでもらえるから便利であろうとも、捨ててしまうほうがいい。もっと熱狂を呼び起こさない、地味な、別の真実で満足するほうがいい。近道をしようなどとは考えずに、研究と、討論と、理性的な議論を重ねることで、少しずつ、苦労して獲得されるような真実、確認でき、証明できるような真実で満足すべきなのだ。

#ザクセンハウゼン #強制収容所

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