#考え事
人の思いを勝手になぞる
なんとなく嫌なこと。
私にとって、客観的に見て嫌なことが起きたときに、「こう解釈できるよね。だからいいよね。」と言われるのが割と嫌である。
何かが壊れた(ある人のアクシデントとして壊された)ときに、「(ごめんね。)それは、こう解釈できるよね。(だからいいよね。)」というのが嫌である。
(だからいいよね)が嫌である面もおおきいかもしれない。それ以上に、自分の感情を規定されたように感じるのがいやなの
2019年初めに思ったこと。
新年の抱負みたいなもの。
わざわざ正月に行う価値はあるのか?とか思わなくもないが、一旦ちょっと長めのスパンでいろいろ考えるには、いいタイミングなのでとりあえず。
「奪い合いというか、トレードオフ状態からの離脱、逸脱」
みたいなことをしたい・考えたい。時間給からの逸脱みたいな。
濱口秀司さんやら、宮本茂さんやらが、何か問題が生じたときに、あっちが立てばこっちが立たず、こっちが立てばあっちが立たずみ
少しでも期待があると受け取るなら。
意外と〇〇長をさせてもらう機会は多かった。委員長や部長、班長などである。
生徒会長なんて大きな箱にはついたことはないのだけれど、いくつかは他薦で出してもらったものである。
いろんな理由があるのかもしれないが、基本的に政治的都合で回ってきただけなのではないか。とずっと思っている。
具体的には
・中学校卓球部部長:生徒間で3人選んで、その中から最後は顧問が決めた。
生徒間で選ばれる際にはある程度、
母親を尊敬できていない話。
マザコンであるという話。
このノートで書いたことのもうちょっと直接的なことをば。
たぶん、私は母親に対して強い理想像と、そんな人に思うように接して欲しかったみたいな願望がある。
理想像は、子どもの意識をきちんと尊重して接していけるような人。である。私の実の母親が、子どもの思いを尊重しなかったかというと、多分そんなことはない。ただ、なんか、もっと「私の思い」を聞いて欲しかった。というような気持が
安定的に考えられるようになりたい
素直になること。
無自覚だった自分のことを知れたり、
無意識で「抱えてはいけない」と思っている自分の感情を「抱えていること」を認めたりすること。
をイメージしている。
素直になるためには、大きく2つ種類があると思っている。1つ目は、出会う(突きつけられる)ことである。
これは、何かを見聞きすることで「それあるかもなぁ」と思ったり、誰かからの評価で自覚を得るように進むことである。インパクトも強く