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一歩と劇的と
自戒を込めつつ、欲望と当たり前らしいことに。
「白馬の王子様」を待っている。何かの些細なきっかけで世界が一変するのではないかと思っている。意識的にではないが、すくなくとも無意識には思っている。
また、すくなくともなんとなくの体調の不快感を抱えている今としては、何かを(何かたった一つのものを摂取できれば)摂取すればこの不快感から自由になれるのではないかと思っている。
ただ、『阿・吽』において書かれていたりしばしば言われる通りではあるものの、そのきっかけをつけむためには、信じて準備をしている必要がある。
なんかふとしたnoteが急にバズってそれから人生が変わるような話はほとんどない。
ほとんどないだけで、多分どこかにある。ただその「波のようなもの」を認知できるのかは、普段の状況をきちんと知れているかどうかがかなり重要な気がしている。
認知できるようにするための鍛錬はただ日々ちょっとずつ行うのが結果的に効率的なのであろう。高校の数学科の先生が言っていた言葉を借りると「A little,everyday」なのである。(※文法的なこととかきちんと認知いてないです。)
日々何かをやるためには、何を考えるべきなのか。
たぶん、何かを信じること。ただし、盲信的になりすぎず、その手法を見直せるような余裕が必要なのであろう。
信じるにはなんらかの目的性とか、渇望感みたいなものが便利である。
そのうえで、自分に一人だけでないこと。(仲間がいるでも、投げかける対象がいるでもそのあたりの要素が必要なのではないか。)
なんか、無意識に劇的さを求めているように思うけれど、そればかりでなく小さな扉の積み重なりみないなものも意識し続けられるようでありたい。
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