Birthday 第五章 誠(2)

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「秘密?」
「はい」
 瑠花は頷く。
 四回目のデート。いや、初めて二人で出かけた回数というだけなら六、七回目にはなるか。
 何度か食事に行き、言葉に違わぬその健啖家ぶりに驚嘆しつつ、そんなところにすら可愛さを感じるようになって、とあるホテルのレストランでそれまでより少し気取った食事をとってから、バーラウンジに移動して正式に告白。彼女は一瞬だけ瞳を翳らせたが、すぐににっこりと笑い。「はい。嬉しいです」と、ちょっとズレた返事をして俺を笑わせた。
 部屋はとってあったし、彼女も何も言わずついてきた。抱きしめた時身を硬くした様子に、ひょっとしてと思って聞いてみたが、彼女は「そんなこと聞かないでくださいよ」とはにかみながらも、はっきり初めてではないと口にした。とはいえ慣れている様子ではなく、いくらか緊張と戸惑いを漂わせた彼女の様子はとても新鮮に感じられた。
 こんなことを言うと怒られそうだが、その時、俺は本格的に、彼女を好きになったのかもしれないと思う。
 告白が嘘だったわけではない。やりたかっただけというわけでもない。ただ、それまでの俺は、どこか状況に流されているだけのような気がしていた。好ましさはあった、かわいいとも、会いたいとも思った。だが、それを行動にうつしたのは、それだけ強い情熱があったからと言うよりも、ただ成り行きに従ってそうしていたような……テレビドラマを見ていて、先の予測がなんとなくついてしまうように、この流れなら次はこうするだろうという行動を自分がとっているだけのような……そんな感覚が、拭えなかったのだ。
 それが、初めてベッドを共にした時から、変化し始めていた。行動の主体が、誰かこの物語を紡いでいる存在から、自分の手に戻ったような、そんな感覚があった。
 その日を境に、俺は社外では彼女を「跡見さん」ではなく「瑠花」と下の名前で呼びはじめ、彼女も俺のことを「誠くん」と呼ぶようになった。もちろん、社内ではお互いを苗字で呼び合うように気を付けていた。別に社内恋愛禁止なんて規則があるわけではないが、あまり知られるのもなんとなく気まずいし、公私混同を避ける意味でも、俺たちはそうすることで互いに同意していた。
 そんなわけで、一度別々に退社してから落ち合った、会社からはちょっと離れた繁華街のカジュアルなイタリアンレストラン。彼女は少食な女子なら持て余しそうなたっぷりのディナーセットを平らげ、デザートに手をつけ始めたところ。
「どういうこと? 大食い以外にまだ隠してたことがあるの?」
 瑠花は笑った。
「大食いは、隠してませんよ、別に。そうじゃなくて、本当に、人に言えないこと、っていうか」
「深刻な話?」
「そうでもない……のかな、わかんないけど、変な話なんですよ。信じられる人じゃないと言えない、っていうか」
「信じてくれた、ってことね」
「それは、まあ。信じて託さないといけないよなって」
 謎めいた言い方。いい加減じれてくる。
「で、何、その秘密って」
「笑わないでくださいね?」
「笑わない」
「怒ったり、呆れるのもなしで」
「わかったわかった。わかったからさ。何?」
「あの、あたし……わかるんです」
「わかる?」
「はい。未来が」
 一瞬何を言われたか分からず、言葉に詰まってしまう。
「……えーっと」
「あ、困ってます?」
「いや、その、予想外っていうか」
「例えば、今日なんですけど」
 瑠花は真剣な表情で言う。どうやら冗談ではなさそうだ。
「もうすぐ、雨が降ります」
「え? そんな予報出てたっけ?」
「出てないんですよ。出てないのに、突然結構な大雨が降って、みんな大慌て。あたしたちも駅まで走ることになります」
「そんな。わかってたのに、傘持ってないの?」
 瑠花は肩をすくめた。
「いつもタイミングよくわかるわけじゃないから。今回はここについた瞬間でした。買いに走ろうかとも思いましたけど、この辺で売ってるとこってよくわかんないし、探してあちこち行くと待たせちゃうし。濡れて走る自分たちも込みでわかっちゃたし。まあしょうがないかなって」
「うーん。気のせいってことは……」
 言いかけたその時。外から何か音が聞こえた気がした。水音? 眉を顰める暇もなく、それはざーっと言う明らかな雨音に変わった。店内にまで容赦なく響き渡る音に、客たちが一斉にざわめき始める。
 俺はまじまじと瑠花を見た。
「ね?」
 予言が当たったと言うのに、自慢げな様子もなく、むしろどこか諦めのような表情を浮かべて、瑠花は言った。
「じゃあ、本当に」
「はい」
「他には? 何かわかることは」
「そうですね、例えば……まず、雨はしばらくやみません。だから、タクシー呼ぶならそれでもいいんだけど……そうできないってわけじゃないと思うんですけど、多分あたしたちはそうしないんだと思います。さっきも言った通り、見えちゃってるんで」
「他には? そのあとは?」
「そこは、残念ながら何も。ただ、今日もいい夜になるだろうとは思ってますけど」
「いや、それは」
「こんな変な話を聞いても、誠くんはあたしと別れたりしないってことです。少なくとも、当面は。数日後とか、ちゃんとまたデートに行くのがわかってるので」
「もちろん、それは、そうなんだけど」
 俺は口籠る。正直、予想外すぎて頭がついていかない。
「この、雨のことが偶然じゃないってわかるようなこと、他にないの?」
「うーん。そうですね。明日のニュースに出る話なので今すぐわかることじゃないですけど、マレーシアで大きなデモがあります」
「もっと身近な話は?」
「特にはないですかね。まあ、あえて言っておけば……だから話すことにしたんですけどね、誠くん、この話、信じてくれます」
「あ……」
 確かに、そうだ。常識的に考えれば、とてもまともに取り合えるような話ではない。だが、すでに俺の中には、瑠花が嘘をついているわけではないし、ましてやいかれているわけでもないという確信が芽生え始めていた。たとえそう信じたいだけだとしても、そう思っていることには違いがない。
 それに。
「まあ、俺自身、変な力持ってるしな」
 そうだ。俺自身の、人の体調不良を癒す力。本格的な病気に効くわけでもないだろうし、相変わらずなんの実感もないままだが、どうやら何がしかの効果があるらしいことは、認めざるを得ない。
「ですね。予知のほかに、それも安心材料の一つでした」
「まあ、俺の方は自分では何も分からないんだけどさ」
「いっつも言ってますよね」
「そういやあのとき……最初瑠花が来た時はさ、なんか地味な印象だったよな。ちょっとおどおどしてるみたいだったし」
「人見知りなんですよ、これでも。話せるようになるまで、時間かかったでしょ?」
「確かにね。でもあれだ、俺が頭痛と肩こり治すのは、予知してなかったの?」
「それが、さっぱり。ほんと、気まぐれに時々わかるだけなんですよ。もうちょっと役に立てられたらいいんだけど、ギャンブルについてなんかわかったことないし」
「似たもの同士だな、俺たち。自覚のない俺の力と、コントロールできない瑠花の力」
「ほんとですね」
 俺たちは笑った。
「あ、でも、実はですね。もう一つ、言っておかなきゃいけないことがあって」
「え、何?」
「まあこれは、正直、自分でもただの願望かなって疑ってるんですけど」
「だから、なに?」
「えっと……」
 瑠花は何か言おうとして、ふいにその口を止めた。そのまま数秒俺を凝視した後で、不意にその視線を下に落とす。その口元が少し笑っているように見えて、俺は眉を上げた。
「どうしたの?」
「あー。やっぱり、やめときます」
「えー、何それ」
「ごめんなさい、でも、やっぱり、その時は、誠くんから言って欲しいかなって」
「え?」
「なんでもないです」
 瑠花は口をつぐんでしまう。俺は肩をすくめた。まあ、そのうちまた聞く機会があるかもしれないしな。
「さあ、そろそろ行こうか。このあと、どうする?」
「雨、降ってますけど」
「そうだった。うーん……駅、すぐだし……走っちゃおっか」
「そう言うと思ってました」
「ははっ」
 俺は会計をするため、店員を呼び止めた。

(つづく)

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