Birthday 第四章 誠(1)

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「ちょっといいか」
 声をかけられて振り向くと、同期の桜庭の姿があった。
「なんだよ。これから得意先周りなんだが」
「その前にちょっとだけ、さ。実は、彼女なんだが」
「彼女?」
 言われて初めて気がつく。桜庭の後ろにいる一人の女性。事務方の制服を着て、何か困ったような曖昧な笑顔を浮かべている。
「ええっと、どちら様」
 社内の人にこんな改まった言い方もおかしいかな、と思いながら聞く。桜庭は体育会系出身ならではの爽やかな笑みと共に応えた。
「彼女、電算課の跡見さん。最近、肩こりからの頭痛がひどいって聞いてさ、だったらって」
「ああ」
 俺は内心舌打ちをする。またか。
 そんな気持ちを察したのか、桜庭は拝むように片手をあげる
「すまん、でも深刻らしいからさ、頼む」
「……まあ、やるだけはやるやってみるけどさ」
 桜庭に促され、跡見さんが歩み出てきた。俺は右腕の袖を軽くまくりながら言った。
「跡見さん? 楽にしてください。あんまり、期待しないでくださいね。俺自身だって確信があってやってるわけじゃないんだから」
「あ、はい」
 小動物を思わせるような、細い声。
「じゃ、失礼して」
 右手のひらを下に、彼女の頭の上にかざす。彼女がちょっと身を硬くするのが分かった。
 触りゃしないってば。やれやれ。
 などと考えてしまうのを振り払い、形ばかりとはいえ、彼女の頭痛がおさまるよう念じる。
 ええっと、それと、肩こりか。
 俺自身、どうしてこんなことになっているのかわからない。発端は、体調不良の人に俺が、気遣う言葉を……特に変わったものじゃない、「お大事に」くらいのごく形式的な言葉をかけると、とたんに調子が良くなってしまう、なんて噂だった。
 最初のうちは、営業部内の連中が調子が悪い時に「谷内、頼む」なんて言ってくるだけだった。だが、誰かの「試しにやってみてよ」という言葉に乗せられて戯れに始めたこの手かざしみたいな行為が、単なる声がけ以上の劇的な効果をもたらすということになってから、一気に噂は広まり、いつしか他部署の人までもが俺の元を訪れるようになっていた。
 幸いまだ業務に支障をきたすような頻度ではないが、それにしても、自分でも何が起きてるかさっぱりわからないのに、こんな宗教じみた行為をするのはいかにも気が引ける。中には会うたびに有り難そうに手を合わせてくる人までいて、そんなつもりはないのにと、かえっていたたまれない。もちろん効果があるというなら役立ててもらうことになんら異存はないのだが、何らかの力を行使してるなどという自覚もなないだけに、どうにも煮え切らない気分だ。
「あ……」
 跡見さんが目を開ける。
「ね?」
 なぜか得意げにいう桜庭。
 俺にも、どうやら「効いた」らしいのは、その様子からわかった。ただ、俺自身に何かをしたという実感があるかというと、いつも通り。なんの達成感もありゃしない。
「はい、すっかり良くなりました」
 信じられないという顔で肩を回す。
「すごい、嘘みたい」
 俺はかざしたままだった右手を下ろした。
「まあ、効いたのならよかったです。それじゃ」
「あっ、あの、ありがとうございます」
 ぴょこん、とお辞儀をする跡見さんに、俺は手を振って背を向けた。

 誓って、その時はなんとも思っていなかったのだ。
 こういう言い方はなんだが、跡見さんは、すごい美人とか、逆にひどい不細工とかいうわけではなかった。むしろ平凡、といっていい容姿だ。内気そうで、化粧も地味な、どちらかといえば目立たないタイプ。お世辞にも垢抜けているとはいえないお仕着せの事務服のせいもあっただろうが、その中にすっかり埋没してしまえるのは、やはり彼女自身が強い印象を残すタイプではないからだろう。
 次に社内ですれ違って会釈された時は、誰だったか思い出せなかったくらいだ。
 だがさらにその次、最初に会って拝み屋の真似事をしてからちょうど一週間ほど経った頃、外回りから帰ってきたところで偶然会った時には、こちらの怪訝な気持ちが表情に出たのだろうか、向こうから名乗ってきた。
「あの、電算課の跡見です。先週、頭痛をなおしていただいた……」
「ああ、桜庭が連れてきた」
「はい、そうです」
「あれ? そういえば先日もすれ違いましたかね」
「あ、やっぱり、覚えてなかったんですね」
 跡見さんは、そう言ってくすりと笑った。
「いやすみません」
 苦笑混じりに、なんとか誤魔化そうとする。
「その後、どうですか」
「はい、快調です。こんなに肩軽いの、いつ以来だろってくらい」
「それはよかった」
「あの……」
「えっ」
 別れの挨拶をしかけていた俺は、言いにくそうに口を開く様子を見て眉を顰めた。
「何か?」
「いえ、実は、他にも何人か、肩こりに悩んでる人がいて。連れてきても、ご迷惑じゃないですか?」
「あー」
 ちょっと迷う。何一つ自覚すらないまま、こうして感謝され場合によっては賞賛を受けるのは、やはり心苦しい。だが一方で、客観的に効果がありそうだというのに、自分の気持ちの問題で手を貸さないというのもいかがなものかと考えてしまう。
 例えばプラセボ効果のようなものだとしても、これだけ多くの人が効果があると信じているのなら。謝礼をもらっているわけでもないのだし、生活に支障の出ない範囲で手を貸すのは、むしろいいことなのではないか。
「構いませんよ」
 俺は答える。
 まあ、これまでもやってきたことだ。今更悩んだところでどうなるというわけでもない。少なくとも悪いことなど起こりようがないだろう。
「じゃ、今度連れてきます!」
 ぱっと顔が輝く。
 その瞬間、俺はそれまで感じることのなかった感情が、自分の中で揺らぐのを感じた。
 この人……平凡だと思ってたけど、笑うと案外……。
 そんな気持ちが伝わったのかどうか、跡見さんは慌てたように付け加えた。
「あ、でも、忙しい時だったら悪いし」
「あー、それじゃ、明日の昼休みはどうです? 午後から会議の予定なので、昼には社内にいると思います」
「え、でも、準備とか、大丈夫ですか」
「大丈夫。ほとんど『顔出せばいい』みたいな会議なんで」
「そうですか。じゃ、お願いします。営業に連れて行けばいいですか」
「いや、二階の自販機前にしましょう。あそこなら目立たないし。何かあったら……」
 俺は名刺を一枚取り出して渡した。
「これ、俺個人のケータイだから。ここに連絡ください」
「わかりました!」

 翌日、彼女は約束の場所に、同じ電算課の先輩だという男子社員を連れてきた。数日後には同期入社の――彼女は俺の一年後輩だった――やはり女子社員。週が変わってから、高卒の事務の女の子。
「とりあえず、これで終わりです」
 晴々とした顔で頭を下げて今日の相談者が帰った後で、跡見さんはおもむろに、俺に告げた。最初の頃の内気な印象も薄れ、むしろ快活にすら見える。つまりは俺に慣れてきたということだろう。
 それも当然といえた。慢性的な不調に悩む知人を連れてくるだけとはいえ、二度、三度と顔を合わせていれば、その都度簡単な会話くらいはするし、だんだんお互いのペースもわかってくる。
 そんなささやかな交流ももうこれで終わりなのか、そう考えることには、一抹の寂しさが付き纏っていた。
「じゃ、もう当分会わないかな」
「そんなことないでしょう。同じ会社なんだから、顔くらい合わせますって」
 そう言って笑う彼女を見ていると、胸の内の寂しさが募るのを感じる。
「そうじゃなくて……」
 そんな気持ちが、不意に、口を突いて出た。
「あのさ、もし、よかったらなんだけど……今度、一緒に飯でも食いに行きませんか。奢るからさ」
 彼女は一瞬驚いたような顔をしてこちらを見た。しまった、早まったかな、そう思う俺に、イタズラっぽく笑って見せる。
「それ、セクハラになりません?」
「えっ。いや、嫌なら別に……」
「嫌とは言ってません。けど……大丈夫です?」
「え、なにが?」
「あたし、大食いですよ?」
「……給料日のあとにしとくか」
 俺たちは顔を見合わせて笑った。


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